先日、こんな記事を読みました。
「彼氏の実家に行ったらご飯にシチューをかけて食べてた。正直、将来うまくやっていけるかどうか不安になった。一瞬、結婚できないとも思った」と語るのは、都内の商社勤務のOL智子さん(26歳)。彼女は当編集部の記者の知人女性で、同僚の男性と今年のクリスマスに挙式の予定。
・ご飯にシチューをかけて食べはじめた
そんな彼女が先日、彼氏の実家に3度目の訪問をしたという。今回は、はじめて彼氏の実家に宿泊。夕食を彼氏の母親が作ったらしいのだが、そこでとんでもない出来事があったとのこと。彼氏、その父親と母親、そして彼氏の弟全員が、ご飯にシチューをかけて食べはじめたというのだ。以下は智子さんの言葉。
・そもそもご飯にシチューなんて無理です!
「シチューは鍋に入ったままテーブルに出てきました。彼氏のお母さんが「かけるで?」と言いつつ、彼氏のご飯にオタマでシチューをかけたんです。ビックリする間もなくお父さん、弟さんにもかけていきました。ありえません。私の家庭では、シチューのときはご飯すら出ませんから。ご飯の役割をジャガイモがするからです。そもそもご飯にシチューなんて無理です!」(智子さん 談)
・あんな食べ方はありえない
結局、智子さんのご飯にもシチューをかけられ、苦笑い状態で食べ続けたのだとか。その感想は「気持ち悪かった」とのこと。そのあと彼氏に「あんな食べ方はありえない」と話したそうだが、彼氏は「昔からそうだからおかしくない」と言っているらしい。
・・・。
彼氏さんは結婚を考え直した方がいいかと思う。
本人も結婚できないと思ってるみたいだし。
うちには女の子しかいないけど、もし男の子がいて、この彼女だったら、一応やめた方がいいよと進言するなあ。
胃袋をつかむ、なんて言うけれど、やっぱりねえ、食は大事よ~。
本人が書いた訳じゃなく、記者がかいてるわけで、実際のところはわからないけど、この文面からはこれ以外にも将来何事にも歩み寄れない人って感じが漂ってるし。
完全に自分が正しくて、彼がおかしいって思ってるふうだもんなあ。
まあ、ご飯にかけるなんてあり得ないってのは認めても、ジャガイモがごはんのかわりってのが当然っていう論調が納得いかない。
ご飯じゃなくてパンです、とかならまだ納得できるけど・・・。
あんたインカの人?グリム童話に出てきそうな昔のドイツ辺りの人?って感じだ。
ジャガイモがご飯のかわりなら、あんたんち、カレーも単品なの?って聞いてみたい。
この女の人にも?だったんだけど、私がなんてなく不愉快な気分になったのは、このあとに続く記事。
・あんかけで食べているような感覚
しかし、シチューをご飯にかけて食べる家庭はどれくらいあるのだろうか? 記者の周囲の人たちに話を聞いたら、本当にかけて食べている人がいた。カレーライスのような感覚なのだろうか? この記者が言うには「ご飯にシチューをかけて食べますよ。カレーというより、あんかけで食べているような感覚です」とのこと。うーむ、皆さんの家ではどうだろうか? ご飯にシチューをかけて食べる?
明記してないけど、この記事を書いてる人もかけない派だってことがハッキリわかる。
でもって周りに聞いたら「本当にいた」って・・・。
周りって何人?10人中1人?20人中1人?
20人中1人だとしたって何千人、何万人かはいるわけだ。
この記事を書いてる人自体が、なんだか上から目線なのが文章から滲み出てくるんだよねえ。
下らない優越感みたいな・・・。
うちの実家はシチューとご飯は別にでてくるおうちでした。
ダンナさんもそう。
だけど私はかける派。
別々によそって交互に口に入れたって、カレーみたいに食べたって味一緒だし。いちいち交互に皿からすくうのが面倒!
それに、別々によそったら洗い物が増えるじゃん!
シチューどころか一人暮らしのときはかなりの品目、ご飯にかける・・・っていうか、同じ皿によそってたしね~。
結婚後、かけて出すとダンナさんが嫌がるから、私のはかけて、ダンナさんのは別々によそって出してたんだけど、しばらくしたらダンナさんが、オレのも一緒でいいよって言いまして、現在「かける」家庭です。
シチューをどう食べるかっていうのは個人が好きなように食べりゃいいと思う。
かけるなんて信じられない!って思うのも、そう思う人にはそりゃ当然だと思う。
ただどーもこの記事、文面が不愉快なんだよね~。
書き方が違えば、「へえ~、かけて食べるの許せないんだ~、味一緒なのになあ」くらいなんだろうけど。
ま、これからもうちはかけて食べるわ。
ではでは。
「彼氏の実家に行ったらご飯にシチューをかけて食べてた。正直、将来うまくやっていけるかどうか不安になった。一瞬、結婚できないとも思った」と語るのは、都内の商社勤務のOL智子さん(26歳)。彼女は当編集部の記者の知人女性で、同僚の男性と今年のクリスマスに挙式の予定。
・ご飯にシチューをかけて食べはじめた
そんな彼女が先日、彼氏の実家に3度目の訪問をしたという。今回は、はじめて彼氏の実家に宿泊。夕食を彼氏の母親が作ったらしいのだが、そこでとんでもない出来事があったとのこと。彼氏、その父親と母親、そして彼氏の弟全員が、ご飯にシチューをかけて食べはじめたというのだ。以下は智子さんの言葉。
・そもそもご飯にシチューなんて無理です!
「シチューは鍋に入ったままテーブルに出てきました。彼氏のお母さんが「かけるで?」と言いつつ、彼氏のご飯にオタマでシチューをかけたんです。ビックリする間もなくお父さん、弟さんにもかけていきました。ありえません。私の家庭では、シチューのときはご飯すら出ませんから。ご飯の役割をジャガイモがするからです。そもそもご飯にシチューなんて無理です!」(智子さん 談)
・あんな食べ方はありえない
結局、智子さんのご飯にもシチューをかけられ、苦笑い状態で食べ続けたのだとか。その感想は「気持ち悪かった」とのこと。そのあと彼氏に「あんな食べ方はありえない」と話したそうだが、彼氏は「昔からそうだからおかしくない」と言っているらしい。
・・・。
彼氏さんは結婚を考え直した方がいいかと思う。
本人も結婚できないと思ってるみたいだし。
うちには女の子しかいないけど、もし男の子がいて、この彼女だったら、一応やめた方がいいよと進言するなあ。
胃袋をつかむ、なんて言うけれど、やっぱりねえ、食は大事よ~。
本人が書いた訳じゃなく、記者がかいてるわけで、実際のところはわからないけど、この文面からはこれ以外にも将来何事にも歩み寄れない人って感じが漂ってるし。
完全に自分が正しくて、彼がおかしいって思ってるふうだもんなあ。
まあ、ご飯にかけるなんてあり得ないってのは認めても、ジャガイモがごはんのかわりってのが当然っていう論調が納得いかない。
ご飯じゃなくてパンです、とかならまだ納得できるけど・・・。
あんたインカの人?グリム童話に出てきそうな昔のドイツ辺りの人?って感じだ。
ジャガイモがご飯のかわりなら、あんたんち、カレーも単品なの?って聞いてみたい。
この女の人にも?だったんだけど、私がなんてなく不愉快な気分になったのは、このあとに続く記事。
・あんかけで食べているような感覚
しかし、シチューをご飯にかけて食べる家庭はどれくらいあるのだろうか? 記者の周囲の人たちに話を聞いたら、本当にかけて食べている人がいた。カレーライスのような感覚なのだろうか? この記者が言うには「ご飯にシチューをかけて食べますよ。カレーというより、あんかけで食べているような感覚です」とのこと。うーむ、皆さんの家ではどうだろうか? ご飯にシチューをかけて食べる?
明記してないけど、この記事を書いてる人もかけない派だってことがハッキリわかる。
でもって周りに聞いたら「本当にいた」って・・・。
周りって何人?10人中1人?20人中1人?
20人中1人だとしたって何千人、何万人かはいるわけだ。
この記事を書いてる人自体が、なんだか上から目線なのが文章から滲み出てくるんだよねえ。
下らない優越感みたいな・・・。
うちの実家はシチューとご飯は別にでてくるおうちでした。
ダンナさんもそう。
だけど私はかける派。
別々によそって交互に口に入れたって、カレーみたいに食べたって味一緒だし。いちいち交互に皿からすくうのが面倒!
それに、別々によそったら洗い物が増えるじゃん!
シチューどころか一人暮らしのときはかなりの品目、ご飯にかける・・・っていうか、同じ皿によそってたしね~。
結婚後、かけて出すとダンナさんが嫌がるから、私のはかけて、ダンナさんのは別々によそって出してたんだけど、しばらくしたらダンナさんが、オレのも一緒でいいよって言いまして、現在「かける」家庭です。
シチューをどう食べるかっていうのは個人が好きなように食べりゃいいと思う。
かけるなんて信じられない!って思うのも、そう思う人にはそりゃ当然だと思う。
ただどーもこの記事、文面が不愉快なんだよね~。
書き方が違えば、「へえ~、かけて食べるの許せないんだ~、味一緒なのになあ」くらいなんだろうけど。
ま、これからもうちはかけて食べるわ。
ではでは。