太った中年

日本男児たるもの

ウータン攻撃

2010-10-21 | weblog

マニラ・ミーティングの翌々日、妻の実家へ向かった。2年ぶりの訪問だ。昼の便でマニラから飛行機でレガスピへ。そこからGTターミナルつー乗合いのワゴン車で妻の故郷へ。さらにそこから父52のボートに乗る。妻の実家に到着したのは夜の8時過ぎだった。疲れていたのでお土産を渡して挨拶しただけだった。

つまり、jet師範の教え「歓迎パーティーの開催をしなかった」ワケだが、フィリピン人はそう甘くない。

実家の向かいには空き家のバンブーハウスがある。そこで父52が近所の酒飲み仲間を集めて朝早くから歓迎パーティーを開催していたのだ。ビコール地方の酒の飲み方はストレートのジンを小さなグラスで回し飲みする。チェイサーにマンゴージュースを飲む。日本から来たプリンスの歓迎飲み会は盛り上がっていた。

「プリンス、プリンス」手招きをして呼ぶ父52。

「相手にしちゃダメ」妻と母48から昔アル中だった父52と一緒に酒を飲むことは厳禁されていた。

しかし日本男児たるもの挨拶くらいしなければ、と思い、それぞれに握手をして回った。そして実家へ戻ろうとすると、一人の男が英語で話しかけてきた。そいつはこの集落の長の息子で30半ばのポッチャリデブだ。

「おまえ英語は話せるか、日本から金を持ってきたのか」

ぬお、ウータン(借金)攻撃の先制ジャブか。酔っ払っているとはいえポッチャリデブの英語はヘタクソ。

酔っ払いの戯言を無視して答えないでいると第2のパンチを繰り出してきた。

「おまえの着てるTシャツは日本製か、日本製ならオレによこせ。日本製はハイクオリティーだろ」

ジョークのつもりらしいが、生意気な物言いだ。ポッチャリデブの顔もチャイニーズ系でフテブテしい。

「おまえの顔と同じで中国製だ、サーヤン(残念だな)」

ポッチャリデブへ軽くジャブを返して家に戻ると母48が見知らぬオバサンと話し込んでいた。

「プリンス、プリンス」今度は妻に手招きで呼ばれた。

このオバサンは母48の友達でサリサリ(雑貨店)のお客さん。定期的に借金をしてお米で返済するライス・オバサンだった。この人のことは妻よりズーと前から聞いていたのでP2000(4000円)を貸した。お金を貸したのはこの人だけで、なにしろ2ヶ月後にお米4袋分(200kg)が手に入る。ただし、以前少し等級の悪いお米を金利分支払った前科があり、また姑息なことをすれば最後だよと母48は言った。

普段なら数回足を運んで母48からP1000を借金するのだが、今回は一発でしかも倍のP2000を借りることができたからライス・オバサンは有頂天になった。ちょうど朝飯を作り始めたときで余程腕に自信があるのかライス・オバサンは頼みもしないのにビコール・エクスプレスを作った。なるほど旨い。一緒に食べて自慢話をするのかと思っていたらライス・オバサンはビコール・エクスプレスを半分持ってサッサと帰ってしまった。この予期せぬライス・オバサンの行動を妻と母48が唖然として見ていたのは言うまでもない。

ウータン攻撃第2段と朝飯が終了して家の前にある木のベンチに腰かけコーヒーを飲んだ。母48と弟22は町のセンターへサリサリの仕入れに出かけ、父52と酒飲み仲間は別のバンブーハウスへ宴会場を移動した。弟19は高校、妹4は保育園へ行き、妻はキッチンで娘に食事を与えている。一人で過ごすコーヒータイム。

ところが優雅なひとときを楽しむ間もなくウータン攻撃第3段が襲ってきた。フィリピン人はそう甘くない。

朝からの一連の行動を監視していたかのように(実際そうだったようだ)目の前に現れたのは母48の弟の女房、近所に住む叔母だった。この叔母の娘(妻の従妹)は今年2月、結婚相手のアメリカ人との間にできた子供を出産した。3月に帰省した妻が叔母とその子を写真に撮っていたのでその叔母だとすぐに分かった。

驚いたのは叔母がポッチャリデブとは正反対の流暢な英語で話し始めたことだ。プリンスは現地の言葉がまったくわからないふれ込みだから、直接英語で借金を申し出たのは後にも先にもこの叔母ただ一人だけだった。

「マニラに住む娘夫婦の仕送りが遅れた。P500借りたい。仕送りが来ればP700返すから」

そんなことはウソに決まっているから返事に困り、キッチンにいる妻を呼び応対させた。妻は慌てた。何しろ3日前のマニラ・ミーティングではウータン問題を「私のファミリーは大丈夫」と言っていたから。

フィリピン人のファミリーは叔父、叔母、いとこまで含むので妻はウソをついていたことになる。

後で妻に聞いたところ、この叔母は義姉の母48に昔から借金を繰り返し、母の友達、妻や妻の友達にまで借金をして返さないそうだ。叔母の借金被害は親戚中に及ぶ。妻に言わせるとウソをついたワケではなくファミリーの恥を晒すことはできなかったらしい。しかも妻は叔母の孫のニナン(後見人)である。こうなるとフィリピン人のウータン問題は複雑。実害があったワケではないので妻には不干渉主義で対処した。

叔母は母48が戻るとサリサリに来て、母48にP500紙幣を両替してほしいと申し出た。あたかも「別の人から借金したのでアナタたちに頼る必要はない」とでも言いたげな振る舞いだった。

その日の午後、母48に頼んでおいたビールをバンブーハウスで1本飲んだ。町のセンターにサンミゲルはなく不味いレッド・ホース。しかもデカ瓶サイズ。そして朝からのウータン攻撃を反芻しながら昼寝をした。

翌朝、叔母から「昼間からビールとはお金持ちね」と言われた。いつも叔母に監視されいるようで背筋がゾーとしたのだ。この集落のウータン問題は根深いので改めてエントリーしよう。ではでは。