今回は 石橋文化センターの帰りに広川町古墳公園資料館
のある石人山・弘化谷古墳公園の桜見物に寄ってきました。
せっかくなので、この石人山古墳について簡単に・・・・・
5世紀前半代の終わりごろに作られた標高35m、墳長107m、幅約53~63mの前方後円墳で、「八女古墳群」の一つとして、昭和53年に国指定史跡になっています。
石人は背丈が1.8mでよろい(短甲)に矢入れを背負う武装した姿
に彫刻されていて、岩戸山古墳(八女市)や十連寺古墳(三潴町)などにこの石人や石馬がたくさん建てられていたようです。したがって、この八女丘陵を別名、「人形原(ひとかたばる)」 とも呼ぶようです。
石人山古墳から出土した石棺(妻入り横口式家形石棺:資料館のポストカードよりいただいました)に施されている 「直弧文(直線と帯状の弧線が組合わせられた文様)」 などから、当時の技術水準の高さがうかがえられるそうです。
この資料館(中はもちろん撮影禁止なので、入口付近をパチリ!)には石室や石棺などの模型や出土したたくさんの埴輪、古い須恵器などがわかりやすく陳列されています。 ただ、宣伝不足なのか・・・・、訪れる人が少ない様で館員の人も手持無沙汰??のようでした。 → その分、いろいろ教えて頂きました。 → ありがとうございました。
さて、本題の桜なのですが、この古墳の麓付近に桜が植えられていて、結構大きな桜の木がが一部は並木に一部はパラパラと植えられていました。
日当たりの良い、南側斜面では家族連れが弁当を開いて、花見を楽しまれていました。
他の桜の名所に比べたら、桜の本数も少なく、整然としていませんが、 古墳と桜を見ながら古の花見を想像しみましょう!!・・・古墳時代に花見とかあったのでしょうか?
・・・しかし、人間の感性は時代を経てもそう変わる事はないはずです!!??
のある石人山・弘化谷古墳公園の桜見物に寄ってきました。
せっかくなので、この石人山古墳について簡単に・・・・・
5世紀前半代の終わりごろに作られた標高35m、墳長107m、幅約53~63mの前方後円墳で、「八女古墳群」の一つとして、昭和53年に国指定史跡になっています。
石人は背丈が1.8mでよろい(短甲)に矢入れを背負う武装した姿
に彫刻されていて、岩戸山古墳(八女市)や十連寺古墳(三潴町)などにこの石人や石馬がたくさん建てられていたようです。したがって、この八女丘陵を別名、「人形原(ひとかたばる)」 とも呼ぶようです。
石人山古墳から出土した石棺(妻入り横口式家形石棺:資料館のポストカードよりいただいました)に施されている 「直弧文(直線と帯状の弧線が組合わせられた文様)」 などから、当時の技術水準の高さがうかがえられるそうです。
この資料館(中はもちろん撮影禁止なので、入口付近をパチリ!)には石室や石棺などの模型や出土したたくさんの埴輪、古い須恵器などがわかりやすく陳列されています。 ただ、宣伝不足なのか・・・・、訪れる人が少ない様で館員の人も手持無沙汰??のようでした。 → その分、いろいろ教えて頂きました。 → ありがとうございました。
さて、本題の桜なのですが、この古墳の麓付近に桜が植えられていて、結構大きな桜の木がが一部は並木に一部はパラパラと植えられていました。
日当たりの良い、南側斜面では家族連れが弁当を開いて、花見を楽しまれていました。
他の桜の名所に比べたら、桜の本数も少なく、整然としていませんが、 古墳と桜を見ながら古の花見を想像しみましょう!!・・・古墳時代に花見とかあったのでしょうか?
・・・しかし、人間の感性は時代を経てもそう変わる事はないはずです!!??