松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

すごい人がいるもんだ。

2007年09月02日 | ケニア
2007年9月1日土曜 はれ
暑くもなし、寒くもなし快適な朝をナイロビで迎
える。4人部屋ドミトリー400ケニアシリング800円
日本人だけである。全部で日本人10にぐらい泊まってる
ようである。

昼飯は夕べいっしょに飲みに連れてもらった「たつ
さん」の経営するレストランに同じ部屋のマコトさん
ヨウコさん3人で出かける。さっそくビールを注文し
た。待ち合わせはしてなかったのにいっしょに夕べ
飲みに行ったコウさんも入ってきた。お互いに「アレ
ーッ」。コウさんはジャーナリストカメラマン。

すごい人がいるもんだ!
そこへ男女二人が入ってきた。タツさんの紹介によ
ると「アイハラ」さんと現地の奥さん「ジャシンタ」さ
ん。アイハラさんはタンザニアとケニアの国境ナマ
ンガで小さい子供たちの面倒を見る「キラキラ」と
言う施設を立ち上げている方だった。

孤児の世話もしていることもアイハラさんから伺っ
た。日本では医者の資格を持ってることも分った。
世界を走っているといつも自慢話している自分は
恥ずかしくみじめに感じる。そこへ中年の男と若い
人たちがぞろぞろ入ってきた、小さい食堂はいっぱ
いになる。

中年の男の人は「旅行人」発行「アフリカ」編に執筆
されているケニア研究のカンベ先生だった。先生の
話によるといっしょに来たのは東京の医学生の研修
生たちで、これからあっちこっちを案内して回ると説
明を受ける。

学生は男女9人、その中の一人は私の名刺を渡すと
ブログでチベットを走っていることを知っていたので
うれしかった。これからもブログを見てくださいとお
願いした。

わたしみたいに旅だけを続けているだけじゃなくて誰
も知らぬ土地で現地の人たちのためにつくしている人
たちがいることを知り、あらためて感心する。チキン
カレーを食って宿に戻る。

ここナイロビにしばらく滞在して、気が変われば予定
してないエチオピアへは道が悪いのでオートバイを
置いてバスかなんかで行くかもしれない。ま、もう少し
落ち着いてからの話になるが。

ケニア ナイロビにつきました。

2007年09月02日 | ケニア
ケニア、ナイロビにつきました。

2007年8月31日金曜 はれ朝20℃昼22℃

タンザニア、アルシャー、ゲストハウスの宿を
7時前に出発。一路ケニア、ナイロビに向う。
自分がイメージした道路とは「エー」「逆方
向である」ことをガススタンドで聞く。

ほんとにナイロビに向ってるのだろうか、不安
になり、ミニバスの運転手、歩いている現地の
人に何回も確かめて走る。それにしても大都会
ナイロビに向ってるのに道幅は狭く穴ぼこの
道になっている。交通量も極端に少ないなー。

右手にキリマンジャロ山だろうか、頂上に雲が
かかっている。穴ぼこの道スピードは40kmしか
出せない。サバンナのアカシアの並木道が続
く、道路の真ん中で獲物を突っついていたハ
ゲワシ2羽の内1羽は逃げ遅れてハンドル、ミラ
ーにぶつかる、重みを感じる衝撃を受けた。

9時ジャスト国境に着く。「目が見えない」と申
請書を返すとそのままパスポートにスタンプ
を押してもらう親切さだ。オートバイのカルネ
の手続きもすぐに終わる。タンザニア出国10分
で終了。あっと言うまに済んだ。おーうれしい
なー。

ケニア側に入る。オートバイ走行代?20$払う。
タンザニアで100$で買った許可書を見せたが
それとは違うらしい。なんの金だろうかなー
3ヶ月は50$といわれたので1ヶ月にした。

ケニアの手続きを終えて10時に走り出す。相変
わらずデコボコ道は続く。ようやくナイロビ市内
に着いた。ガススタンドでホテルの位置を確認す
るために寄る。併設しているレストランで食事し
ていた若年の夫婦に誘導してもらえるかどうか
聞くと快く「あーいいよ」の返事。

夫婦のベンツ車の後ろについてホテルに着いた
のは3時ごろだった。日本人旅行者も5,6人泊ま
っているようだ。夕飯の後、日本人5人とバーに
のみに出かける。久しぶりに日本語で話が出来た。

Nさんの冥福を祈る

ケニアに入った、10km、110kmの地点でNさんの
冥福を祈る。2年ぐらい前に交通事故で亡くなら
れたのは今でも信じられない出来事である。

ケニア89カ国になりました。