2003年8月22日金曜 はれ 久しぶりの青空 はれ はれ さわやかな空気 はれ
朝8時過ぎに日記を書いていると「トン・トン」ノックする音。ドアの外から「おはよう」の声・うん?日本語。「なーんだ永原さん夫婦」どうしたの?。同じホテルに泊まっていたのだ。夕べこのホテルに着いたら偶然にも「マツオさん」のオートバイがあったと話す。9時頃まで永原さん夫婦としゃべった。
帰ってきたら又と、永原さん夫婦はウズベキスタンの「ビザ」を取りに出て行った。ようやく4時頃帰ってきた。これまで1回目、2回目とも通訳を連れてこいとか「意地悪」なことを言われて申請してから9日間も待たされていた。きょうはみどりさんが切れて「ふざけるじゃない」と開き直って、ようやく今日「1カ月」の「ビザ」がとれたと話す。まずはめでたしめでたし。
「朝起きたら日本語でドアーをノックする人・・永原さん夫婦だった。自転車で旅しているスイスの夫婦も同じホテルに泊まっていた。たまたまとはいえ安いホテルで会えるとは何とも不思議なこと。永原さんと会ったのはモンゴル、ウランバートル。バイカル湖のイルクーツクに次いで3回目」
永原さんは朝9時過ぎに行ってすぐに「ビザ」発給と思っていたら午後3時に来いと言われて最後は開き直って結局今になってしまった話す。わたしはアルマティですんなり「ビザ」は気持ちよく取れたのに同じ国の大使館でも場所に寄って違うものなんだ。永原さん夫婦は待たされている間山奥の温泉に行っていた。とゆうことはわたしがこのホテルに来る前泊まっていたのだった。
このホテルに着いたとたん「アーマツオさん」とオートバイのカバーを見てわかったと話した。ウォカーを飲んで早めに寝ていたのでその夜は起こさずに次の朝にしたらしい。夜7時頃から11時頃まで今までのことこれからのことを思いっきり日本語でしゃべりまくった。永原さんが買ってきたでかいメロンはうまかった。永原さん夫婦はあした出発することになっている。朝ネットをやりに行ったたり、両替したり行ったり来たりして一日が終わった。
2003年8月23日土曜 青空はれ はれ はれ はれ
朝8時前に近くの中央広場写真を撮りに行った。レーニン像は壊したのではなく大道りの正面から目立たない裏庭に移し替えたとのことだった。裏に横たわっているレーニン像はシートをかぶせられていた。そこにいるのは工事の人だろう「マネーマネーー」指で丸を作っている。この国はお金ほしさに移動したのだろうか。移動するお金を出したのはどこの国だろうか。「条件付き」でお金を出したのだろう。
だいたいのその国は予測はつく。しかしなぜだろう、あとで後悔すると思うよキルギスは。まぁ、壊したのではなく移動したのだから地元の気になる人たちも許せる範囲なのかなと思う。
キルギスの物価100ソ(ソム)=300円
ビール(中)20~30ソ=60円~90円
ホテル400ソ=1200円
うどん50ソ=150円
永原さんの出発を部屋で待っている。10時になっても出発の気配なし。そのうちきのう市内で会ったスイス・ライダーのカップルもこのホテルに泊まっていて廊下でばったり。永原さん夫婦に紹介した。すると永原さんの知っている「ふみえ」「けんじ」さん達のこともスイスのカップルは知っていた・・・話は長ーくなっていく。結局写真を撮ったりしていたらあした24日に出発すると永原さん。
メロンを喰いすぎて腹が痛くて吐いたとか気分も良くないようだ。午後からネットを打ちに行く13:30分から16時ごろまで60ソ=780円ぐらいか。自宅にも電話を入れた40ソ=120円うん、ここは電話が安いな。夕方スイス人ライダーと夕食の約束をしている。5人でぴったり19時ホテル前のレストランに入りしゃべる。スイスの人はオートバイで旅していたが今は自転車に代えて旅を続けていると話していた。
永原さんの部屋に戻ってパソコンを見ながら11時に解散。いっしょに「連れて行って」と頼んであしたから永原さん夫婦とウズベキスタン向かうことになった。
朝8時過ぎに日記を書いていると「トン・トン」ノックする音。ドアの外から「おはよう」の声・うん?日本語。「なーんだ永原さん夫婦」どうしたの?。同じホテルに泊まっていたのだ。夕べこのホテルに着いたら偶然にも「マツオさん」のオートバイがあったと話す。9時頃まで永原さん夫婦としゃべった。
帰ってきたら又と、永原さん夫婦はウズベキスタンの「ビザ」を取りに出て行った。ようやく4時頃帰ってきた。これまで1回目、2回目とも通訳を連れてこいとか「意地悪」なことを言われて申請してから9日間も待たされていた。きょうはみどりさんが切れて「ふざけるじゃない」と開き直って、ようやく今日「1カ月」の「ビザ」がとれたと話す。まずはめでたしめでたし。
「朝起きたら日本語でドアーをノックする人・・永原さん夫婦だった。自転車で旅しているスイスの夫婦も同じホテルに泊まっていた。たまたまとはいえ安いホテルで会えるとは何とも不思議なこと。永原さんと会ったのはモンゴル、ウランバートル。バイカル湖のイルクーツクに次いで3回目」
永原さんは朝9時過ぎに行ってすぐに「ビザ」発給と思っていたら午後3時に来いと言われて最後は開き直って結局今になってしまった話す。わたしはアルマティですんなり「ビザ」は気持ちよく取れたのに同じ国の大使館でも場所に寄って違うものなんだ。永原さん夫婦は待たされている間山奥の温泉に行っていた。とゆうことはわたしがこのホテルに来る前泊まっていたのだった。
このホテルに着いたとたん「アーマツオさん」とオートバイのカバーを見てわかったと話した。ウォカーを飲んで早めに寝ていたのでその夜は起こさずに次の朝にしたらしい。夜7時頃から11時頃まで今までのことこれからのことを思いっきり日本語でしゃべりまくった。永原さんが買ってきたでかいメロンはうまかった。永原さん夫婦はあした出発することになっている。朝ネットをやりに行ったたり、両替したり行ったり来たりして一日が終わった。
2003年8月23日土曜 青空はれ はれ はれ はれ
朝8時前に近くの中央広場写真を撮りに行った。レーニン像は壊したのではなく大道りの正面から目立たない裏庭に移し替えたとのことだった。裏に横たわっているレーニン像はシートをかぶせられていた。そこにいるのは工事の人だろう「マネーマネーー」指で丸を作っている。この国はお金ほしさに移動したのだろうか。移動するお金を出したのはどこの国だろうか。「条件付き」でお金を出したのだろう。
だいたいのその国は予測はつく。しかしなぜだろう、あとで後悔すると思うよキルギスは。まぁ、壊したのではなく移動したのだから地元の気になる人たちも許せる範囲なのかなと思う。
キルギスの物価100ソ(ソム)=300円
ビール(中)20~30ソ=60円~90円
ホテル400ソ=1200円
うどん50ソ=150円
永原さんの出発を部屋で待っている。10時になっても出発の気配なし。そのうちきのう市内で会ったスイス・ライダーのカップルもこのホテルに泊まっていて廊下でばったり。永原さん夫婦に紹介した。すると永原さんの知っている「ふみえ」「けんじ」さん達のこともスイスのカップルは知っていた・・・話は長ーくなっていく。結局写真を撮ったりしていたらあした24日に出発すると永原さん。
メロンを喰いすぎて腹が痛くて吐いたとか気分も良くないようだ。午後からネットを打ちに行く13:30分から16時ごろまで60ソ=780円ぐらいか。自宅にも電話を入れた40ソ=120円うん、ここは電話が安いな。夕方スイス人ライダーと夕食の約束をしている。5人でぴったり19時ホテル前のレストランに入りしゃべる。スイスの人はオートバイで旅していたが今は自転車に代えて旅を続けていると話していた。
永原さんの部屋に戻ってパソコンを見ながら11時に解散。いっしょに「連れて行って」と頼んであしたから永原さん夫婦とウズベキスタン向かうことになった。