

もうすぐウズベキスタンの国境付近・・・地元キルギスの子供たち
ウズベキスタンに入る
2003年8月27日水曜 はれ22℃ 32℃あつい 32℃暑い 30℃以上の感じ 40℃
約束していた二人組は9時になっても現れない、その気配もないのでオートバイのカバーを取り外して出発しようとしたところに一人の男が車で現われた。「休みがとれなかった」「キューズミー」と伝えに来た。「あーOK・OK」わざわざありがとう。わたしとしてもそっちの方がよかったのだ。
9時15分ウズベキスタンに向かって出発。とりあえず国境のオシをめざす。きのうの永原さん達と同じ時刻だ。静かな村々を走る。キルギスの独特のぐにゃぐにゃしたとんがり帽子をかぶっっているのはおじいさんたちだけだった。国境の町に着いたがどこをどう走ればいいのか・・。二度三度町の人に聞きながらボーダーに着いた。ようやくたどり着いたオシOSHどこでもそうだが国境はにぎやかである。
キルギス出国手続き50ソン=150円を払って10分ぐらいで出国OK.今度はウズベキスタン入国手続き。係官全員ライフル銃?をかかえている。手続きの最後のところで「ほら・ほら」と言う感じで一生懸命係官は「質問」する「・・・・」「ほら・ほら」「・・・」そのうち結婚式の歌のメロディー「チャンチャチャチャン♪」を歌い出した。結婚式?「妻」のことか「マイ・ワイフ?」「ノーノー」生まれてから今「トシ(歳)はいくつか」と聞いていることに気付いた。「シックスティ・・60歳」そーだったのか、お互いに「アッハハー」そのあと書くこともなくOK.これで手続き終わりだ。
ただキルギス側でわからないだろうと思って国境の「写真を撮った」それを警備官が見ていたのだろう「フォト・フォト」カメラを出せと言ってきた。「オ―ノ―ノ―」これは「キルギス側で撮った」んだ。やりとりしているうちになにもなかったような空気になって荷物の検査もなく入国できた。出国・入国で50分ぐらいですんだ。キルギスの残った「紙幣」を個人の両替屋でウズベキスタン紙幣に両替する。

国境の町「オシ」の町に着く

キルギスとウズベキスタンの国境
さて、ウズベキスタン通貨はなんとゆうのだろう、日本円でいくらだろう。ベンジンスタンドで給油「ノ―ノ―」ウズベキスタンのベンジン・スタンドには「ベンジン・ノ―!」。ガソリンがないと言う。
「エ―」心配になってきた。20キロ走ったところにスタンドがあった。車が上り下りとも両サイドに列をなして待っている。最後に並んで待っていると「前に行け」と運転手さん。「すみませんです」一台づつ頭を下げて「相手もウンウン」と合図。
一番前にきた。オクタンカ90、92、標示のタンクはあるが「ノーノー」。76しかないとゆう。
仕方ない76を満タンにした。走りだしたがベンジンスタンドはあるが「ロープ」を張ったりしてすべて「営業休止」になっている。なにか心配になってきた。道路はまずまずで心配はない。一度間違えて違う方向に走っていた。小川の水でタオル洗っていたら地元の人に話しかけられた。「どこに行く」「タシケント」
「こっちがじゃない」戻れと。エー通りかかった地元の運行バス「軽ミニバン」に途中まで引っ張ってもらった。そこからは高速並みの道になった。チェックポイントでさっき「日本人二人」が「来たぞー」・・ははーん永原さんたちのことだろう。街には食堂見たいな店には表にテーブルが出してあり飲み屋の雰囲気がいい「呑み助」のわたしにはありがたい店だなーいいぞ早くこんなところで飲んでみたい。なんだか・・うきうきになってきた。暗くなって首都タシケント市内に入った。
マイカーの兄ちゃん四人組に停まってもらって「アドレス」を見せる。「ソーリ」「連れて行ってくれ」いつものように両手の甲を出して。左手甲は「ユー」右手甲は「マイ、オートバイ」「ユー」が先に走って「マイ」がうしろからついて行くと。「OKOK」やさしい兄ちゃんたちと言うよりちょっとやんちゃな坊風の4人組。走りだしてすぐ停まった、どうした?オートバイのサブライトがミラーにあたって光がまぶしくてポリスに捕まる「消してくれ」と車から降りてきて注意される。
「ソーリ、ソーリ」市内を結構走った・・20キロぐらい走ったろうか。ホテル前に着いたようだ。アドレスだけで一発でついた。「マネー」は「ノーノー」「すみませんでした」「ありがとうございました」。本線から50mほど入った場所に「ハドラHadraホテル」はあった。あーでも助かったなー。ホテルに入るとフロントにオートバイ二台並んでいる。おー永原さん達だとすぐわかる。
トルクメニスタンのビザを頼む「ヤスナミツアー社」はこのホテルにあるのだ。受付をすませて部屋に入ろうと、すると隣りの部屋から「オー」「アラー」と永原さん夫婦が食事に向かうところだった。先に行ってもらいシャワーを浴びて食堂街に行く。4,5分ぐらい歩いた食堂街、走っている時見て来た広い庭、いいぞ・ここにもテーブルが出ている。うまそうな食堂だ。永原さん夫婦といっしょに食事。
最後は日本の学生二人と日本が話せるウズベキスタンの男性も最後にテーブルに加わり12時頃まで話をして過ごした。
ウズベキスタン通貨
25ソン=3円
50ソン=6円
100ソン=12円
1000ソン=120円
食堂生ビール(中)250ソン=30円毎日昼間から生ビール飲んでました。
トコヤ 1000ソン=120円
ホテル 6000ソン=720円
最初50ドル=6000円を銀行で両替したら5cmぐらいの束の厚さ、金持ちになった気分になる。しかし支払う段階になると見る見るうちにへってゆく。
一日の食事
ビール中3本、焼とり4本、肉じゃがどんぶり、うどんどんぶり小。トータル2500=
300円。ホテル代、食事含めて1500円ぐらいで充分か。(2003年8月28日)

