2003年8月25日月曜 はれ はれ はれ
ボックスがだんだん下がってきてボルトが抜け落ちてしまっている。ここのご主人と直しに出かけた。そこには地元の人たち10人ぐらい集まってワイワイいいながら30分ぐらいで直してくれた。20ソ=60円でいいとゆう。ありがたい。民宿に戻るが準備で永原さん達もう少し時間がかかりそう。マフラーのワッカを直しに再び出かけた。ついたところは先と違った個人の家でやっている修理場
オートバイマフラーの修理
ウズベキスタン国境「オシ」に向かって走る
すぐに終わるかと思ったが12時ごろに・・。心配して宿のご主人が迎えに来た。料金500ソ、いや半分だ。民宿に戻り250ソ=750円払う。民宿のおばさん達は100ソ=50円で「充分だ」とぶつぶつ言ってるのを聞いて・・どこにでもごまかす人がいるもんだなーと苦笑。家族全員の写真を撮ったりして12時15分スタート。きょうは国境まで90キロと楽勝だ、気楽に走り始める。
道路の右側はウズベキスタン、左はキルギスの国境沿いを走る
国境手前で昼飯、涼しそうな食堂に入った。食事を終えて外に出たら地元の人たちがオートバイを囲んでいる。みなさんといっしょに写真を撮る。国境の入り口らしいところに気づいてUターンした。そうだった、キルギスとウズベキスタン国境。コンテナが事務所になっている。まずキルギス側すぐにOK。しばらく1キロぐらい走ってウズベキスタンのゲートが出て来た。
ウズベキスタンの国境だったがここの国境では入れなかった。どうしてだろうか、やっぱり「オス」でないとだめなのかな。
食事していると地元の人たちが集まってきた
しかし閉まっている。国境係官「ネ―ネ―」ここじゃない「100キロ」先の国境「オスoch」に回れと。エエーッ。仕方ない3人で引き返す。でも面白い地域である。まわりは畑ばかりであるが道路の右側はウズベキスタンの畑、左はキルギスの畑国境沿いを走っていることになる。めずらしい道路だこと。しばらく走っていると、ここも国境か?行き止りである。しかしここもウズベキスタンはダメと話す。
地元の人たちの「出入りは自由」で外国人はダメなのかもしれない。わっと地元の子供たちなど集まってにぎやか、オートバイをぐるっと囲んでしまう。時間が経ってしまった。90km先国境と思って走ってきたがとんだ計算違いになってしまった。回りを見ると日が暮れそうだ。7時を過ぎている。近くの町に泊まるホテルを探そうと3人で相談。ちょっと戻ったガススタンドで給油。
給油に来ていた人に頼んでホテルまで連れて行ってもらった。早くホテルが見つかってよかった。永原さん夫婦280ソ=900円ぐらい。マツオ166ソ=500円ぐらい。シャワーを浴びて食堂で9時から11時まで夕食。わたしはここの複雑な国境地帯ジグソーパズルのように入り込んでややこしいここの国境地帯を気にいった。わたしだけあと一泊することにした。
ここの国境でも「ダメ」と追い返されたので近くの町まで走って泊まる。
右はウズベキスタン左はキルギスの国境沿いを走る。両サイドの畑は「ワタ」畑がづーっと広がっていた。
国境地帯の町が気に入ったのであと一泊する。永原さん夫婦の出発のスナップ
ジグソーパズルのような国境地帯に魅力
8月26日火曜 はれ あつい35℃ はれ
ややこし国境地帯がおもしろそうなので急きょあと一泊しようと気が変わった。永原さん夫婦は9時30分にホテルを出発、その「出発の写真」を撮った。こうゆう時はグループで走る時のいい記念写真にもなる。よく撮れればの話。ゆっくりと町の中を散歩。郵便局を探して切手を買おう。おばあちゃんと孫だろうか道ばたの出店で出会った。むかしわたしの実家の「おんぼちゃん(おばあさん)」と重なるなー。
でこんなところでめずらしい切手も買えるとなるとうれしい。何枚か見せてもらって「切手」と「はがき」8枚買った。部屋に戻ってハガキを書き終わった。夕食の時遊びに来ていた地元の若い青年二人が話しかけて来た。地下喫茶店に移り紅茶を飲みながら話を聞く「あしたきれいなところ」がある100キロぐらいのところで往復5時間ぐらいと言う。休みが取れたら連れて行くと話を続ける。「OK・いいよ」と返事した。
しかし、ホテルに戻って考えてみるとウズベキスタンに入ってから「トルクメニスタン」の「ビザ」は受け取りに3週間もかかると永原さんが話していたのを思い出した。青年の誘いはやっぱり断るべきだったかな。まぁしょうがない、早目に帰ってきて少しでも先に進むことにしよう
おばあさんと孫だろうか郵便局前で商売していた。
郵便局玄関
郵便局に入って「切手」を買い求めた。