高尚は、今の世の歌読みは、歌もの持っている本質、情や詞ですが、を忘れて、歌の調べだけよければと思って歌を詠んでいるが、それは大いなる“あさはかなり”と決めつけておりますが、そのしらべについても、又、言っております。
”この頃はこれを歌のむねなりとようにいひて、をしふる人ありとぞ。さようにはあらねど、げに歌はしらべも、なほざりにおもふまじき事なり。たとへば歌の情あはれに、詞のをかしきは、女の心うつくしくかほよきなり”
と。
そして、しらべがわるい歌は、“女のかはひのいやしげなるが如し”。そうです。女の姿も顔もみっともなくて、さも下品そうなのに似ていると云うのです。
高尚先生ちょっとばかり待ってくださいな。その言葉、少々例えが悪いのじゃありませんか、と云いたいのですが。もし、これが、何処かの国の政調会長みたいな政府の高官の言葉だとしたら、これ又、失言訂正の記者会見がひをしなくてはならない所の様な気もするのですが、どうでしょうかね。
でも、これって、本当に、例えとすれば大変有効な訴えだと感心もしておるのですがね、皆さんはどうお思いになられますか??
そして、“こころばへもかほもにくからぬは、あてなるさまぐしたらんやうなるぞ”と。こんな歌がいい歌なのだと言っております。要するに、美人は、単に、顔だけが整っていると云うのではなく、その心ばえもよくなければいけない。それは歌の世界でも、全く、同じだ、と云うのです。