仙果先生は、この安政の大地震の時の小伝馬町の牢獄の噂についても、次のように簡単に書いています。
「誠や獄屋そこなわれて、かの牢払ありなどという。いとおそろしい。こは浅草の溜のあやふかりければ、病たる罪人をとり出したるを、きゝひがめたるなんめり」
と。
「そんなことが本当にあったのだろうか。誠だろう」という書き出しで、時代小説などにでも出て来そうな兇悪罪人の一時の「ろうとき」が、この時、行われたのではないだろうかという噂が、江戸の町に流されたのだそうです。それについても、江戸の人々、大いに恐れたと云うのです。でも、それは浅草あたりの比較的軽い罪人を収容する、現在の留置場のような溜まり場が、次の余震で壊れてしまいそうな状態になっていたので、中にいた者の内、病気の重い罪人を連れ出したとこと聞き違えて、人々が恐れ慄のいたと云うことだったようです。
記録によりますと、しばしば起きていた江戸の大火事の時などには、罪人を一時牢獄から解き放つことはあったようですが、この地震の時には、そのような措置はとり行われなかったと云うのが真実です。
でも、このような些細なことにでも江戸の人々が神経をとがらせていたと云うことが分かります。そのような非常時には、人々の心も異常に高ぶり平常心ではいられない状態になったおり、噂が噂を呼び、恐怖心を己たちで、更に、高めて高パニックになることが事、是が非常時の人々の心なのだと云うことがよく分かります。
俗に言う「あらぬうわさ」に惑わされると云うことです。高情報化社会の今日でも差こそあれ見られる現象ですが。ましてこれが書かれた時代は江戸期の科学的知識の乏しい時代です。平生の生活の中では見られない種々な面白い噂が色々な所から起きて、それがたちまちのうちに、一気に江戸中に広がるのです。噂とは面白いですね。風評被害ということとはまた違った単なる「うわさ」なのですがね。