またまた、例のメールが届き、このお祭りをもっと詳しく知らせろというのです。
そこで、又その気になりました。
この吉備津神社のお祭りは、江戸時代には、陰暦の九月の申の日に行われていた「大饗会(だいきょうえ)」が明治になって春秋の大祭に変ったものです。
この大饗会というのは、新嘗祭が変化したものだそうです。
毎年の秋、備中の諸郷から新穀や果物や魚藻が吉備津神社に献納され、五穀豊穣を感謝するお祭りが新嘗祭です。だから、秋の大祭の時の「御盛相」
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は玄米を使います。この御盛相を作る専門の人がおり、その人達が毎年二日がかりでこしらえております。
それら七十五膳をこしらえる場所が「御供殿」で、ここから回廊を通って本殿に供えられます。
御掛盤、平膳、高杯、瓶子などの膳が用意されます。
その行列は警固3人、榊持ち、氏子総代、獅子2頭、猿田彦、鉄砲(男児)鳥篭持(女児)弓持、矢持、鉾、大太刀、小太刀、五色の幣、御冠、宮司、御掛盤、高坏、神酒、鏡餅、果物、菓子、絹布、綿布、平膳の順番で百数十人の長い行列が回廊を進みます。
これらのお祭りの総ては貞享年間に書かれた「御祭礼行列之次第」に法り、執り行われています。
古式豊かな吉備津神社ならではの独特の優雅にして、しかも、荘厳なお祭りです。
なお、戦前までは、巫女の神楽舞がみられていたようですが、寂しい事ですが、今ではその姿は目にすることは出来ません。