七つあるお社(末社)の中の最後にあるのが、といってもその作り、構造ですが7つともどれも公平に同じなのですが、祓戸神です。「ハラエドガミ」です。
是も、ちょっと、説明しますと、何処のお宮さんでもそうですが、吉備津神社でも、まず、拝殿に上がり、そこで神官よりお祓いを受けます。その時の神官の祝詞を覚えていらっしゃいますか。聞いたことはあると思いますが。
話は、又、飛びますが、我が孫の753の時です。拝殿でお祓いを受けました。その時、孫はまだ3歳か時だったのですが、神殿での御祈祷が一通り済んで、外に出たのですが、孫だけが、何かえも言われぬような真剣そのものの顔で聞きます。
「じいちゃん。・・・・此処にはオオカミがおるんか。どこへおるんじゃろうかなあ」
と。
それを聞いて、私も、そこにいた父親もみんなきょとんとした顔、顔、顔です。さて、お分かりでしょうか。孫は、先程、拝殿でうけた神官の祝詞の言葉から、てっきりあの恐ろしいオオカミがおるのではないかと思ったのです。
ちょっと、其の祝詞も一部を
「掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等 諸々の禍事・罪・穢 有らむをば 祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと 恐み恐みも白す」
神官の此の祝詞の中の<祓戸の大神>という部分の 「大神」というのを 3歳の子供流に「オオカミ」と聞き、てっきり此のお宮さんにはオオカミがいるのかと思ったらしいのです。何と子供らしい発想かと驚くやら感心するやらでしたが、其の子ももう4年生を終わろうとしています。昨年の暮れにも、此処で、御祈祷をしていただき、神官の祝詞を一家中で聞いたのですが、もうそんな事を過去に言ったなんてことはおくびにもださず平気な顔して一人前に威儀を正して聞いていました。
という、私にとってはいわくつきの「祓戸の大神」ですが、本来は、人々の諸々の禍事・罪・穢を清めて誠に有難い神様なのです。
この祓戸の大神もそうですが、どうしてここにと思うような色々な神様が吉備津彦神社にはいらっしゃるのです。吉備津神社よりもそのお祭りしてある神様は何か多いように思われます。
是も、ちょっと、説明しますと、何処のお宮さんでもそうですが、吉備津神社でも、まず、拝殿に上がり、そこで神官よりお祓いを受けます。その時の神官の祝詞を覚えていらっしゃいますか。聞いたことはあると思いますが。
話は、又、飛びますが、我が孫の753の時です。拝殿でお祓いを受けました。その時、孫はまだ3歳か時だったのですが、神殿での御祈祷が一通り済んで、外に出たのですが、孫だけが、何かえも言われぬような真剣そのものの顔で聞きます。
「じいちゃん。・・・・此処にはオオカミがおるんか。どこへおるんじゃろうかなあ」
と。
それを聞いて、私も、そこにいた父親もみんなきょとんとした顔、顔、顔です。さて、お分かりでしょうか。孫は、先程、拝殿でうけた神官の祝詞の言葉から、てっきりあの恐ろしいオオカミがおるのではないかと思ったのです。
ちょっと、其の祝詞も一部を
「掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等 諸々の禍事・罪・穢 有らむをば 祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと 恐み恐みも白す」
神官の此の祝詞の中の<祓戸の大神>という部分の 「大神」というのを 3歳の子供流に「オオカミ」と聞き、てっきり此のお宮さんにはオオカミがいるのかと思ったらしいのです。何と子供らしい発想かと驚くやら感心するやらでしたが、其の子ももう4年生を終わろうとしています。昨年の暮れにも、此処で、御祈祷をしていただき、神官の祝詞を一家中で聞いたのですが、もうそんな事を過去に言ったなんてことはおくびにもださず平気な顔して一人前に威儀を正して聞いていました。
という、私にとってはいわくつきの「祓戸の大神」ですが、本来は、人々の諸々の禍事・罪・穢を清めて誠に有難い神様なのです。
この祓戸の大神もそうですが、どうしてここにと思うような色々な神様が吉備津彦神社にはいらっしゃるのです。吉備津神社よりもそのお祭りしてある神様は何か多いように思われます。