① 空を見上げて、ふっと息を吹きかけなさい。とても爽やかな気分になれます。出来れば腹式呼吸でね。本当の息抜きです。
② それと、時に吉備津神社へお参りすること。
このところの日が続いておます。
今日は、9日「宵えびす」です。朝から、陽気な「笹持って来い」の声が吉備津神社から聞こえています。
八時ちょっと過ぎです。吉備の中山にある「吉備津彦命の御陵」の上から、真冬の朝日が覗こうとしています。 その朝日を受けて南の空一杯に豊旗雲がたなびいています。誠にきれいな風景です。
天智天皇の御
わたつみの 豊旗雲に 入日さし
今宵の月夜 あきらけくこそ
その雲だと思います。
時刻が、夕方でなく、朝日で、景色も海と山の違いだけで、空の風景そのものは全く同じではと思います。
今日の天気
「清明已曾」
今日は、もう正月5日です。
冬にしては、随分暖かな一日でした。
そこで、正月以来の運動不足の解消にと愛車(10年来使っている、わが自転車「スケゴウ」)を吉備自転車道に繰り出して吉備津彦神社にお参りしてきました。
今日も又、うっかりしてお賽銭袋を忘れて来ました。それぐらいの信心心しか私には持ち合わせがないということだと思って、少々うんざりもしながら、自転車を扱いでいきました。
お賽銭なしに、本殿に拝礼して後、お正月だけ入ることが許される本殿地の四隅にある御崎神社にもお参りしました。(正月以外は禁足地)
吉備津神社にも本殿の四隅に同じように御崎神社が鎮座ましましてありますが、お祭りしている神々は違っているようです。 吉備津神社には温羅がお祭りされていますが、ここには温羅の名前を見ることは出来ません。
岩山神社もありました。
そこら当りの神々を拝み、東側にあるお稲荷さんにも詣でました。その途中に真新しい温羅神社も見えます。その他たくさんの神々も鎮座ましましておられました。
その中の一つの祠に「保食神」も見えました。前に書いた「うけもち」のかみです。
この保食神については、永山卯三朗の「岡山県農地史」に、『天照大神が葦原中国の保食神を見に月夜見命を遣わした時、この神が口から飯、魚、獣を出して饗したので、月夜見神は忿て保食神を殺した』とあります。それが元で、この国にお米や麦などが出来、それから食べ物ができるようになったと言う事らしいのです。どうも、農業(食物)を司る神のようです。
表側の御手洗池の環状列石のある亀島の中にもお参りしました。その祭神は宇賀魂命であると記されていました。吉備津神社の宇賀神社と同じ神様がお祭りされていました。この神様も農業の守り神であるらしいのです。なお、お稲荷さんもやはり、出発点は農業の神さんであったらしいです。
色々な神様が、同じ所にごちゃごちゃに入り混じって、どの神様も、どの神様も、総て拝んで、特に、この神でなくてはならないと言う事でもなく、また、特別に拝まなくてもそれでよいと言うよな神さんは、日本人以外の人には信じられない事でしょう。
そんなことを考えながら、運動不測解消のためのお参りをしました。
こんなことも、よその国の人には考えられない事だと思いながら、どの神さんにも、お参りだけしました。二礼二拍手はしたようでもありせんようでもあり。
日本の神さんは本当に不思議な神さんですね。
宮内をそぞろ歩きに辻々を回ると、板倉と同じように小さな祠が、こんなところにもと思うほど、あちこちに見つけることが出来ます。
そのうちの一つに、旧藤井高尚邸跡の横に小さな祠が建ています。平生はその扉は
閉ざされているのですが、今日は正月です。その扉は
開いて、町内の人が
正月飾りをしてお祭りしていました。
中に「産土宮」と書かれた木札が掲げてありました。 「うぶすなのみや」と読むそうです。
弥生の時代になり、血縁関係でなしに、次第に地縁関係で地域の人々が結びつきます。それが、この神の誕生を見たのだそうです。
「産土」とは、その土地に住んでいる人々が、同じ場所に生まれたという意識の元に団結してこの神を中心と社会を形成してのだそうです。八幡様と同じ意味を持つ神様です。八幡様も、もともとの起源は、応神天皇だとされていますが、それより古くから、この「産土神」はその土地土地で信仰された神であったらしいのです。 そういえば、この吉備津地域には八幡様はありません。 吉備津彦命やその父、第7代の孝霊天皇をお祭りしている吉備津神社に対して、応神天皇は十六代の天皇です。そこらあたりと関わりが何かありそうです。 その代わりと言っては何ですが、「産土神社」が祭られたのかもしれません。
その側には「稲荷様」のお社もあります。
この祠にもう半分ぐらい壊れていて、その姿ははっきりとは分らないのですが、キツネの灯篭みたいなものがありました。どうして壊れたのかな。これも不思議の一つです。