このお地蔵さんは、この近くでは「カンカン地蔵さん」と呼ばれて、いつも花が供えられ、今でも、人々に随分と親しまれているようです。
「カンカン」
どうしてこんな愛称で呼ばれているのでしょうか。カンカンという音がするのかなと思ったのですが、そんなに叩かれた様子もなく、造られて250年も経過したとはとうてい思えないほど、何処にも傷のない出来た当時のお姿で、現在も鎮座していらっしゃいます。大切にされてきた証拠です。
では、なぜ「カンカン」のでしょうか。
地元の人の説明によると、最初は、川上にあるお地蔵さんだから「かわかみ地蔵さん」と呼ばれていたのが、いつの間に「カンカン」と呼ばれるようになったということです。
案外、愛称というのはそんなものではないでしょうか。子供たちが、何となしに彼らの生活の中で使っていた言葉が、そのまま物の名前になった例はいくらでも見つけることが出来ます。
このお地蔵様の横の道端に生えているイヌタデと呼ばれている草も、「アカノマンマ」という名前がついています。ままごとのお赤飯に見立てて子供たちが呼んでいたのが、そのまま草の名前になったそうです。
でも、このカンカン地蔵が、川上にあるからという理由で呼ばれたのだったら、きっと川下にも、お地蔵さんがあるはずです。そこで、しばらく川を下って見ました。ありました。ありました。
この前、板倉大橋のを取り上げましたが、この橋の直ぐ横にごく小さな、お顔などの形も余り残ってないようなお地蔵さんが、ぽつんと、真っ赤な秋の夕焼けを一杯に受けながら、立ていらっしゃいました。
お花も赤い涎掛けもなく、そこにあるのすら人々から無視されているような格好でお立ちでした。
川の側にあるということは、きっと他の例からでも分るように、昔、この川に誰とも分らない身元不明な水死体が流れ着いてきたのでしょう。心あるこのあたりの人が、この小さなお地蔵さんを立てて、この死者を供養したのでしょう。人間味あふれる、やさしい思いやりある里人の心が偲ばれます。
こんなことを思いながら、秋のようやく訪れた吉備津の町中を歩きました。
アキアカネも、すいすいと青い空の中を、お地蔵さんの周りを飛び回っていました。