慈眼堂は綱政侯が、特に、この地を選ばれて、お建てになったお堂です。
この堂と岡山城天守閣は南北を結ぶ線の上にあり、池田家の永遠の安寧と繁栄を願って建立したお堂なのです。
まず、仁王門・梵鐘堂を作り、巨石を積み上げ礎として、石段を設けて、その上に3坪の仏殿を建ています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/b2/8c166323ef19ddccd3e7ff8466d3f167.jpg)
仏殿ですから、斉敏侯が「御仏の ふかき恵みに・・」と詠まれたのです。
この仏殿の傍らに栄唱橋の所にある大立石と同じような、犬島より取り寄せた岩が屹立しています。その側に、かっては常盤の松があり、これが後楽園十勝の「慈眼堂松」と呼ばれていたのです。
でも、この松も「暫軒風」「境沢の蓮」と同じ運命に晒されて、今では目にすることができません。
ここから見る風光は、後楽園一の絶勝地でもあります。このお堂の前に、現在茶店はできています。ここに腰かけて、一椀の茗を啜りながら前方を眺めれば、すぐ目の前の「沢の池」、それに連なる「唯心山」、更に、その借景としての岡山城天守閣が縦に連なり、石川五右衛門ではないのですが、「絶景なり」と、自然に口を衝いて出てくることは必定です。
この堂と岡山城天守閣は南北を結ぶ線の上にあり、池田家の永遠の安寧と繁栄を願って建立したお堂なのです。
まず、仁王門・梵鐘堂を作り、巨石を積み上げ礎として、石段を設けて、その上に3坪の仏殿を建ています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/b2/8c166323ef19ddccd3e7ff8466d3f167.jpg)
仏殿ですから、斉敏侯が「御仏の ふかき恵みに・・」と詠まれたのです。
この仏殿の傍らに栄唱橋の所にある大立石と同じような、犬島より取り寄せた岩が屹立しています。その側に、かっては常盤の松があり、これが後楽園十勝の「慈眼堂松」と呼ばれていたのです。
でも、この松も「暫軒風」「境沢の蓮」と同じ運命に晒されて、今では目にすることができません。
ここから見る風光は、後楽園一の絶勝地でもあります。このお堂の前に、現在茶店はできています。ここに腰かけて、一椀の茗を啜りながら前方を眺めれば、すぐ目の前の「沢の池」、それに連なる「唯心山」、更に、その借景としての岡山城天守閣が縦に連なり、石川五右衛門ではないのですが、「絶景なり」と、自然に口を衝いて出てくることは必定です。