又、綱政侯の旅に戻ります。
二十一日勢田の長橋を渡り、逢坂を越え伏見に向います。その逢坂で、
「・・・故郷を出るより嬉しくあひ侍し人に、あふことも嬉しきに、
古里を 立出るより あけくれに
またれし人に あふ坂の山」
と、書き綴っています。
「またれし人」とは、女性か男性か?
この旅の間中、朝も晩もいつも「あふことも嬉しき」人に逢う事が出来るのだと気をわくわくさせながら待ちわびていたのです。当然、誰でも女性だろうと思うのは当り前です。文面として読む段には、大変興味深く面白みは増すのですが、十九歳の備前の貴公子です。そんな遠く離れた京に思い人がいるはずはないと思います。きっと男性だったのではと、私はこの文から読み取りました。
十九歳の技巧的な思惑の文にと、思わせぶりに、男とも女とも書かずに、逢坂山と関連付けて、読む人はどう思って読むかなと、うら若き女性として読むだろうなと、わざと、心の奥底で、ほくそ笑みながら書いたのだろうと思われます。誠に、華やいだ若々しい書きぶりです。
なお、此の前夜の宿りは草津でしたが、
「故郷を猶いやましておもひ出して袖をしぼりぬ。」
と、書いてありますが、この場合は、江戸にいた女性だと思います。それを受けてのこの逢坂です。きっと男性だったのでは?
二十一日勢田の長橋を渡り、逢坂を越え伏見に向います。その逢坂で、
「・・・故郷を出るより嬉しくあひ侍し人に、あふことも嬉しきに、
古里を 立出るより あけくれに
またれし人に あふ坂の山」
と、書き綴っています。
「またれし人」とは、女性か男性か?
この旅の間中、朝も晩もいつも「あふことも嬉しき」人に逢う事が出来るのだと気をわくわくさせながら待ちわびていたのです。当然、誰でも女性だろうと思うのは当り前です。文面として読む段には、大変興味深く面白みは増すのですが、十九歳の備前の貴公子です。そんな遠く離れた京に思い人がいるはずはないと思います。きっと男性だったのではと、私はこの文から読み取りました。
十九歳の技巧的な思惑の文にと、思わせぶりに、男とも女とも書かずに、逢坂山と関連付けて、読む人はどう思って読むかなと、うら若き女性として読むだろうなと、わざと、心の奥底で、ほくそ笑みながら書いたのだろうと思われます。誠に、華やいだ若々しい書きぶりです。
なお、此の前夜の宿りは草津でしたが、
「故郷を猶いやましておもひ出して袖をしぼりぬ。」
と、書いてありますが、この場合は、江戸にいた女性だと思います。それを受けてのこの逢坂です。きっと男性だったのでは?