そんな光政侯が参勤交代で、駿河の薩埵峠を超えられるときの事です。
ここで、また、ちょっとばかり寄り道をしまので御勘弁を・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/02/9afad5b9f7538bb9dd87347461c4450e.png)
この絵は、ご存じ、安藤広重の浮世絵「東海道五十三次」のうち 「由井」を描いた風景です。ここに描かれている坂道が「薩埵峠」なのです。ここは、北陸の親不知・子不知と共に、古来から日本でも有名な交通の難所と言われた所です。しかし、一方、此は、また、東海道一の富士を背景にした素晴らしい眺めが見られる名所でもあったのです。
その昔、万葉歌人であったある山辺赤人が
「田子の浦ゆうち出でで見れば真白にそ不二の高嶺に雪は降りける」
と、詠んだ所でもあったと言われています。
このような東海道一の名所「駿河の薩埵峠」を越す旅人は、誰でも、一度は、此の峠に差し掛かると、歩を止めて、そこからの美しい景色を眺め休憩しながら、その旅を楽しむのが普通であったのです。
だから、当然、ここを通りかかられた我が藩主光政侯もお駕を止められるとばかり思っていたのでしょう。駕脇の侍が、ちらりと御駕の殿の御姿をみます。すると、どうでしょう。そなんな思いの家来たちの予想に反して、事もあろうに、その景色を見るどころか、お籠の中で藩主光政侯はじっと眼をお瞑りになっておられるではありませんか。それも見た駕脇の侍は、藩主光政侯はきっと居眠りをなさっているに違いないと勘違いして、後から「天下の名所薩埵峠」を教えてくれなかったのかと、きつく詰問されてもと思ったのでしょう、
「御前、薩埵峠にござります。御寝(ぎょしんと読みます)になりましては、御風邪をめしまする」
と、大声で、申し上げたのでした。
ここで、また、ちょっとばかり寄り道をしまので御勘弁を・・・。
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この絵は、ご存じ、安藤広重の浮世絵「東海道五十三次」のうち 「由井」を描いた風景です。ここに描かれている坂道が「薩埵峠」なのです。ここは、北陸の親不知・子不知と共に、古来から日本でも有名な交通の難所と言われた所です。しかし、一方、此は、また、東海道一の富士を背景にした素晴らしい眺めが見られる名所でもあったのです。
その昔、万葉歌人であったある山辺赤人が
「田子の浦ゆうち出でで見れば真白にそ不二の高嶺に雪は降りける」
と、詠んだ所でもあったと言われています。
このような東海道一の名所「駿河の薩埵峠」を越す旅人は、誰でも、一度は、此の峠に差し掛かると、歩を止めて、そこからの美しい景色を眺め休憩しながら、その旅を楽しむのが普通であったのです。
だから、当然、ここを通りかかられた我が藩主光政侯もお駕を止められるとばかり思っていたのでしょう。駕脇の侍が、ちらりと御駕の殿の御姿をみます。すると、どうでしょう。そなんな思いの家来たちの予想に反して、事もあろうに、その景色を見るどころか、お籠の中で藩主光政侯はじっと眼をお瞑りになっておられるではありませんか。それも見た駕脇の侍は、藩主光政侯はきっと居眠りをなさっているに違いないと勘違いして、後から「天下の名所薩埵峠」を教えてくれなかったのかと、きつく詰問されてもと思ったのでしょう、
「御前、薩埵峠にござります。御寝(ぎょしんと読みます)になりましては、御風邪をめしまする」
と、大声で、申し上げたのでした。