成城寄席の上方落語特集!も終了しましたが、また上方ネタ!
残念なニュース
くいだおれ人形で有名な大阪・ミナミの老舗料理店「大阪名物くいだおれ」(大阪市中央区道頓堀1)が7月8日で閉店することになった。1949年の創業。閉店後の跡地利用やくいだおれ人形の取り扱いなどについては決まっていない。店側は「建物の老朽化」や「周辺環境・時代の変化」などを閉店の理由に挙げており、経営状態の悪化も影響しているとみられる。9日に記者発表する。
くいだおれは、創業者の山田六郎氏(故人)が終戦間もなく「食堂で復興を」と焼け野原だった大阪・道頓堀で開業した。「大阪がくいだおれの街になるように」と店名を決めたという。50年には、ピエロの人形にちんどん屋の鳴り物を持たせ、電気仕掛けで動くようにした、くいだおれ人形が登場。阪神タイガースの法被やサッカー日本代表のユニホームなど時代を象徴する衣装を身につけ、「くいだおれ太郎」として親しまれている。
現在は、8階建てビルに割烹(かっぽう)▽和定食▽居酒屋▽洋食レストランの4店を営業する。
経営する「株式会社くいだおれ」(山田昌平社長)は8日「閉店のお知らせ」とする文書を報道機関に配布し、その中で「時代とともに道頓堀も大きく変化した。道頓堀での60年、そろそろ定年を迎え、お役目を終えた」としている。閉店までの3カ月間「さよならくいだおれフェア」として、秘蔵の写真展などを開催する。
民間信用調査会社によると「株式会社くいだおれ」はここ5年間、売り上げは7億~9億円台を確保したものの、最終(当期)利益は06年5月期が約5900万円、07年5月期が約9500万円のそれぞれ赤字だった。【根本毅、久田宏】
毎日新聞 (提供元一覧)
私の「くいだおれ」の
思い出は小学6年とき、名古屋の親戚の叔父さんの母校(当時、中京商業)が甲子園に出るので応援に行くというので、便乗して夜行で真夏の高校野球を楽しみました。午後から初めての大阪見物です。
当時USJなどのこじゃれた遊園地はなかったので、夫婦ぜんざいを食べ、お好みお食べ、腹いっぱいでしたが、くいだおれの前でショーケースを見て、メニューの豊富さと値段の安さにビックリして、私が駄々こねて入りました。東京の感覚より2~3割安いので、海老フライとかビフテキとか東京三越の食堂で当時1000円以上するブルジョワジーの食い物をたくさん注文しすぎて、まさしく食い倒れました!
東京でも「三平食堂」という総合大衆飲食店があり、林家三平が、食堂じゃないですヨ!のネタでおなじみの店舗が庶民に人気でしたが、今や三平ストアーなどディスカウントに売り場がおされ、こじんまりした地味な食堂が残ってますが(空いてるのでよく行きます)
なんとか「くいだおれ」も有名ブランドですので飲食の自己経営でなくても新複合商業施設ビル「クイダオ~レ大阪」として大阪名店テナントを入れてでも、名前とくいだおれ太郎人形は現地に存続してほしいと思います。
残念なニュース
くいだおれ人形で有名な大阪・ミナミの老舗料理店「大阪名物くいだおれ」(大阪市中央区道頓堀1)が7月8日で閉店することになった。1949年の創業。閉店後の跡地利用やくいだおれ人形の取り扱いなどについては決まっていない。店側は「建物の老朽化」や「周辺環境・時代の変化」などを閉店の理由に挙げており、経営状態の悪化も影響しているとみられる。9日に記者発表する。
くいだおれは、創業者の山田六郎氏(故人)が終戦間もなく「食堂で復興を」と焼け野原だった大阪・道頓堀で開業した。「大阪がくいだおれの街になるように」と店名を決めたという。50年には、ピエロの人形にちんどん屋の鳴り物を持たせ、電気仕掛けで動くようにした、くいだおれ人形が登場。阪神タイガースの法被やサッカー日本代表のユニホームなど時代を象徴する衣装を身につけ、「くいだおれ太郎」として親しまれている。
現在は、8階建てビルに割烹(かっぽう)▽和定食▽居酒屋▽洋食レストランの4店を営業する。
経営する「株式会社くいだおれ」(山田昌平社長)は8日「閉店のお知らせ」とする文書を報道機関に配布し、その中で「時代とともに道頓堀も大きく変化した。道頓堀での60年、そろそろ定年を迎え、お役目を終えた」としている。閉店までの3カ月間「さよならくいだおれフェア」として、秘蔵の写真展などを開催する。
民間信用調査会社によると「株式会社くいだおれ」はここ5年間、売り上げは7億~9億円台を確保したものの、最終(当期)利益は06年5月期が約5900万円、07年5月期が約9500万円のそれぞれ赤字だった。【根本毅、久田宏】
毎日新聞 (提供元一覧)
私の「くいだおれ」の
思い出は小学6年とき、名古屋の親戚の叔父さんの母校(当時、中京商業)が甲子園に出るので応援に行くというので、便乗して夜行で真夏の高校野球を楽しみました。午後から初めての大阪見物です。
当時USJなどのこじゃれた遊園地はなかったので、夫婦ぜんざいを食べ、お好みお食べ、腹いっぱいでしたが、くいだおれの前でショーケースを見て、メニューの豊富さと値段の安さにビックリして、私が駄々こねて入りました。東京の感覚より2~3割安いので、海老フライとかビフテキとか東京三越の食堂で当時1000円以上するブルジョワジーの食い物をたくさん注文しすぎて、まさしく食い倒れました!
東京でも「三平食堂」という総合大衆飲食店があり、林家三平が、食堂じゃないですヨ!のネタでおなじみの店舗が庶民に人気でしたが、今や三平ストアーなどディスカウントに売り場がおされ、こじんまりした地味な食堂が残ってますが(空いてるのでよく行きます)
なんとか「くいだおれ」も有名ブランドですので飲食の自己経営でなくても新複合商業施設ビル「クイダオ~レ大阪」として大阪名店テナントを入れてでも、名前とくいだおれ太郎人形は現地に存続してほしいと思います。