円ジョイ師匠とセタッシーの時事ネタ

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ダンシがシンダ(芝浜論)

2011-12-03 19:39:18 | マスター独り言
11月21日に亡くなった落語家の立川談志さんをしのんで、特別番組を放送することが決まった。

12月3日(土)朝11時30分からNHK BSプレミアムで「100年インタビュー」を、12月4日(日)昼4時からはNHK総合で「談志が死んだ 立川談志が愛した落語と仲間」を放送する。

各界の第一人者に人生哲学や未来へのメッセージを聞く「100年インタビュー」では、談志さんが落語と格闘してきた人生について語る。「談志が死んだ 立川談志が愛した落語と仲間」では、談志さんの芸と人生を貴重な映像で振り返る。落語・芝浜(’07年)をはじめ、談志さんの語る六代目三遊亭円生、五代目古今亭志ん生、八代目桂文楽や、いかりや長介、松山恵子、夢路いとし・喜味こいし、星野哲郎とのトークを展開する。



シバラク、ショック!で書けなかったが、明日の4日の午後4時NHK「談志が死んだ」を観て偲ぼう!

師匠の歴史、人柄などを偲ぶ番組、.話題、雑誌がだいぶ出てきたネ


円ジョイも母と師匠との新宿時代の確執とかの想いはあるが、今はやめておこう。

12月大晦日の風物詩ともいえる、古典落語の名作「芝浜」から彼を偲んでみます。


「芝浜」の原型は三遊亭圓朝の三題噺が原作だ。三題噺とは、寄席で客から三つのお題を貰い、それらを絡めて、その場で作る即興の落語である。ある日のテーマが、「酔漢」と「財布」と「芝浜」だった。ここから生まれた三題噺がベースとなって、その後本作が成立したとされているが、『圓朝全集』に収録されていないことや圓朝以前に類似の物語があることから、この説を疑問とする声もある。少なくとも19世紀中には「芝浜」として演じられた記録がある。

当然だと思う、落語の余興的に、客から3つのお題をリクエストされ即興でスートリーを作りオチ(サゲ)までアドリブで作るのである。 

シイェークスピア級の三遊亭圓朝師匠でも、過去の似たような話をヒントにアドリブで作ったので、完成度は今の「芝浜」とは違うだろう!

それに余興芸の即興三題噺なのだから、人情話ではない起承転結(オチ)の4コママンガのような短いものだったに違いないネ

原型はこういう話

酒ばかり飲んでいる男が芝浜で大金の入っている財布を拾う。しかし拾ったはずの財布がなくなる。妻の言葉によって「財布を拾ったこと」は夢であったと諦める。男は改心して、懸命に働き、立ち直り、独立して自分の店を構えるまでに出世する。後に妻から実は妻が財布を隠していたという事の真相を知らされる という単純なストーリーだ

それを名作、人情噺にしたのは、円朝ではないのかもしれない、弟子や仲間に引き継がれ、100年以上たった今でこそ完成に近づいているのかもしれない。

芝浜のプロットを長編ドラマにする最初の疑問点は、拾った財布を自分のものにする罪である。

横領すれば当時は死罪にあたる。江戸時代では10両(後期は7両2分)盗むと死罪だ。長屋の大家と相談した結果、大家は財布を拾得物として役所に届け、妻は夫の大酔に乗じて「財布なぞ最初から拾ってない」と言い切る事にした。時が経っても遂に落とし主が現れなかったため、役所から拾い主の魚屋に財布の大金が下げ渡されたのであった。と現実の正義に合わされて直された

そして

「実は大金を拾ったのは現実だった。あたしが嘘をついた」と、最後に衝撃の告白をする妻。この妻をどの様な人物として描かれた

自堕落な夫を見事に更生させる、立派な妻として描かれる場合が殆んどである。それを聴き手は「実に偉い妻だ」「これこそ文句無しに素晴らしい夫婦愛だ」と賞賛する。しかし、この演出法に対しては、「わざわざ更生させる為に嘘をついてやったのだ、と言わんばかりで、その偉ぶり具合が鼻につく」として嫌う意見もある。

これとは正反対に立川談志は、告白の時に「騙して申し訳無い」と心から謝罪して涙を流す、偉ぶらない妻として噺を作った。

古典落語とは、こういうことなのだ、バッハやベートウベンとかのクラッシック音楽を自分の解釈で指揮するマエストロと同じなのだ。

さて、明日の放送でも談志の「芝浜」を観れるそうだが(一部か?)

死後最初の芝浜放送だ!

是非、みんな観よう!