東京都の緊急事態宣言の新宿歌舞伎町はまるで「ナチス親衛隊の特殊警護」のような警視庁警官の特殊警棒を振りかざす自粛要請警護が行われた!と話題になっています。
もしこれが新型コロナ対策に託つけて、安倍政権が目論む改憲や緊急事態条項に発展したら…まさしく麻生太郎副総理が発言した「ナチスの手口を学んだ」のかもしれない!
憲法のたったひとつの条文が濫用されることで憲法自体が死文化するなどということがあり得るのだろうか。もしその条文が、非常時に権力を行政府の長に集中させ、国民の基本権を制限するという緊急事態条項であったとしたら・・・?
本書は、自民党が日本国憲法に加えようとしている緊急事態条項をめぐって、長谷部恭男氏と語りあった対談の記録である。表題の「ナチスの手口」という表現は、現職の副総理で、財務大臣でもある麻生太郎氏が、改憲論議の進め方について公言した「あの手口学んだらどうかね」(二〇一三年七月二九日) に由来する。民主主義国なら決して真似してはならない政治手法に学べというこの言葉の真意は測りかねるが、ナチスが独裁樹立に向けて用いた「手口」のひとつが、ワイマール憲法に規定された緊急事態条項の濫用であったことは間違いない。自民党は、大規模災害・テロ対策、国民の生命と財産を守るために緊急事態条項は必要だというが、仮にこれが憲法に書き込まれ、為政者によって濫用された時、最悪どのような事態にいたるのか、20世紀のドイツで実際に起きた事例を正しく認識してほしい。対談の出発点にそんな思いがあった。
長谷部氏は著名な憲法学者で、ドイツ近現代史を専攻する私とは畑違いだが、ドイツ史にも通暁しておられる。対談では事前に主題を決めて、レジメを交換した上で毎回数時間話し合った。その後、書き起こされた原稿に相互に手を入れ、多少順序を変えたりはしたが、ほぼ話した通りの本になった。取り上げた主題は五つ。それが本書の章立てになった。どの主題も欠かせない論点を含むが、ここではその一部を紹介しよう。
「ナチスの手口」を取り上げた第一章では、緊急事態条項がもつ危険性を論じたが、ここで私が示唆したかったことのひとつは、緊急事態条項の濫用はヒトラーに始まったことではないということだ。ワイマール共和国末期、歴代の首相はそれぞれの思惑からこれを濫用し、議会制民主主義を骨抜きにしていった。やがて首相に任命されたヒトラーは、その「成果」の上にやはり緊急事態条項を濫用して、「授権法」(全権委任法) 制定への扉を開き、議会政治にとどめを刺したのだ。緊急事態条項は、ヒトラーのような極端な人物でなくとも、困難に直面した為政者が安易に手を出したくなる危険な代物なのである。
第三章では、それにも拘わらず、戦後のドイツでなぜ、憲法 (基本法) に緊急事態条項が書き込まれたのか。そして、そこには濫用を未然に防ぐためにどんな厳しい仕組みが作られたのか。基本法にはいかなる場合も変えられない「永久条項」が存在するという点を含めて、これこそ「学んだらどうかね」といいたくなるような論点を掘り下げた。第四章では、日本の緊急事態条項はドイツよりなぜ危険なのか。「高度に政治的な問題については、裁判所は司法審査権限を行使しない」という「統治行為論」がいまだに支配的な日本司法の問題点を検討した。この法理を退治しないで緊急事態条項を日本国憲法に加えるのは、危険極まりないということである。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 石田 勇治 / 2019)