今日のひとネタ

日常ふと浮かんだことを思いのままに。更新は基本的に毎日。笑っていただければ幸いです。

人に歴史あり ~レイジー編~

2010年08月07日 | ラジオ番組の話題
 FM NACK5で金曜夜にTHE ALFEEの坂崎幸之助氏がパーソナリティーを努める「K's TRANSMISSION」ですが、昨夜のゲストは影山ヒロノブ氏でした。この番組は毎週会社帰りに車の中で前半をちょこっと聞いてるのですが、今回は二人でアコギでセッションもするとか言ってたので面白そうだと思ったので帰ってから録音することに。

 そこでレイジーの結成の頃の話を聞いたのですが、結構面白かったです。まだ大阪にいた頃にテレビ番組で演奏したら、司会だったムッシュかまやつ氏が楽屋に来て「君達東京に出てきてやってみる気ない?」と声を掛けてきたのだとか。彼らはまだ高校生だったそうですが、樋口氏を筆頭に「やってみたい!」と乗り気になったのだとか。

 上京してからバンド名はそのまま「レイジー」でよかったそうですが、当時はベイシティローラーズ全盛だったので「樋口だ高崎だとかじゃダメ!」ということで、各自ニックネームとかステージネームを決めることになったのだとか。

 それを決めるにあたっては、プロデューサーであるムッシュかまやつ氏、元タイガースの森本太郎氏、元パープルシャドウズのキーボードの人(名前は失念)が会議で相談したのだそうで、決まるごとに合宿所に電話が来て一人ずつ呼び出され「影山いるか? お前は今日からミッシェルだ。」とかいう段取りだったのだそうです。

 そもそもタイガースが、ジュリーだトッポだサリーだピーだと人気を集めてましたから、「夢よもう一度」ということだったのでしょうか。それで全員すんなり決まったかというと、こじれたのが樋口氏。

 樋口氏は誕生日が12月24日というのを理由に「お前はイブだ」と言われたものの本人が猛反発し、「イブにするなら大阪に帰る」とダダをこねてプロデューサー達が再検討し「デイビー」に落ち着いたのだとか。

 このニックネームがよかったかどうかというと私は嫌いでした。これがなければもうちょっと一般ウケしたんじゃないかなぁとか思ったり。普通の日本の若者をいきなりポッキーだプリッツだといわれても、結構受け入れ難いのが人情ではなかろうかと。

 ただ、高崎氏などはラウドネスを始めてからもギターに「Suzy」と書いてたりしたそうで「案外気に入ってたのかも」だそうです。この高崎氏と樋口氏はのちにラウドネスを結成することになりますが、影山氏によると「あの二人はハードロックが好きで大きい音でやるのが大好きだった」のだそうで、「その点ではまだ20歳くらいだったのにまったく二人ともブレがなかった。」と感心してました。二人はその後ラウドネスで世界進出も果たすわけですから、信念岩をも通すということでしょうか。

 そんなこんなで、レイジーの話は面白かったです。ただ、私はアニソンの話はほとんど興味がないので影山氏がソロになってからのことはあんまり…。まぁ全体としては結構面白かったですけど、二人のセッションは意表を突いて2曲ともビートルズでした。