今日の108円

1日1冊108円・・・・・・最近そうでもない。

「職員室」の心の病 大原健士郎 2002年8月20日 講談社

2015-04-17 07:54:34 | 心理
問題山積の現代の教育現場。教師の精神障害の多発もさることながら、わいせつ行為、窃盗、暴行、殺人などさまざまな病理が露呈しはじめた。問題を起こす前に、教師自身、そして生徒や親、周りの人たちが「心の病気」に気づき、適切な治療が行われていたら……。
本書は実際の教師たちの臨床例を多数取り上げ、隠された精神性疾患の病理を明かし、併せて適切な治療法と対応策を詳細に解説。
この一冊で、教師や親の不安を解消!!
裏表紙より。
1997年7月『「職員室」の心の病』と1999年9月『学校の先生のための心の診察室』の2冊を再編集加筆し、書き下ろしも加えた文庫。
お得感が半端無いですねぇ。しかし2冊分+書き下ろしで259ページなら、元の2冊はペラかったか無駄が多かったのでは・・・つまり、この本もあまり期待できないのではと考えてしまうんですよ。ボクの悪い癖。
なお杞憂だった模様。


第一章 医師が手こずる患者は「先生」

教師に向く性格像を分析してみると

 理想的な教師の性格は循環気質、分裂気質、それに次に出てくるてんかん気質を少しずつ持っている性格ということになろうが、ただ、教師は生活が安定しており、身分も保障されるから生涯の職業に選んだという教師のなかには、教師としてあまりふさわしくない人がいることは事実である。
医者でも役人でもそうだろうけど、世のため人のため必死で働いたら結果的に生活が安定して身分も保障される・・・いや、されたんだろう。
そういう結果だけ見て、過程(というか前提)を見てない人間が残念な教師になる。残念な教師が増えれば教師という職業の世間的価値が下がる。保護者が教師を軽く見ていれば当然子どももそれに倣う。かくして子どものコントロールはますます困難になる・・・/(^o^)\

「素晴らしい教師とされる人」は「それだけのことをした人=非凡人」な訳で、そういう人に憧れて(目指して)教師になったなら「教師だって人間なんだ=凡人でも許されるべき」的な言い訳・開き直りは出来ないはずなんだよな。必死でやっても無理だったなら、著者が再三言う通り潔く教師を辞めるべきだ。

担任をやめたがる教師たち
 一九九九年四月六日、七日のジャーナリズムは、小学教師の三十五パーセントが学級担任をやめたいと思ったことがあると、大々的に報じていた。
以下その情報の概要。内容的に、学級崩壊だのモンペだのが騒がれ始めた時期かしらん。
 この新聞記事を読んでいるうちに、私は「なーんだ、この程度の資料なのか」とちょっとがっかりした。
へぇ?
 まずこの数字は、現在そう思っているというのではなく、これまでに考えたことがあるという数字である。もしそうだとすると、これくらいの数字になったからといって驚くことはない。
 私はかねがね、教師は「大変だ、大変だ」と言って騒ぐが、そうだからといって辞職する人はほとんどいないと思っていた。もし、日教組の資料で「教師をやめる人が多くなった」ということなら、私の考えちがいを訂正しなければと考えたが、やはりそうではないようである。
 現代は教師に限らず、どの職種でも大変な時代である。転職を余儀なくされたり、うつ病になったり、自殺をする人も少なくない。
 この資料は、教師だけを対象にしたものだが、科学性を持たせるためには、他の職種(地方公務員、銀行員、中小企業の社員など)にも同じような調査をして、比較検討してみるとおもしろいだろう。
他の職種の方がやめたい率が高ければ、全体で見れば教師は易しめの職種であるという結論に至るのは確か。
でも「皆が(も)大変だからあなたは大変ではない」という理屈は好きじゃない。「脚を骨折する方が腕を骨折するより大変である」が真だとしても、「だから腕の骨折は大変ではない」は成り立たない。

 おもしろいことに、「死にたい」という気持ちと「自殺をする」ということは、必ずしも結びつかない。
 人間は折にふれて絶望し、死を考える。悲嘆のどん底で「いっそのこと死んでしまいたい」「こんな世の中に生まれてこなければよかった」などと考えるのは、異常とはいえない。たいていの人が、そう考えるからである。しかし、自殺を決行するとなると正常とはいえない。
ヤツは“踏み越え”ちまったのさ・・・。
 シカゴのうつ病の権威クレイネス博士は、おもしろいことを言っている。
「自殺を考えたことのない人は教養のない人である」
 話を元にもどせば、学級担任をやめたいと思うことは、別に異常ではない。たいていの教師は、折にふれてそう思うだろう。
やめたいと思う分にはイインダヨか。
「やめたいけど(生活が安定してるから)やめたくない」とグダるのは最低。そういう患者の例も出てるけど、これは酷いと思わされる。

第二章 「まじめ人間」だからこそ陥りやすい心の病
神経症には「愛の鞭」が必要

 患者にしてみれば「とてもよい先生で優しい」といっても、治らなければよい医師ではない。「恐い先生だ、きびしすぎる」といっても、病気が早くよくなれば、よい先生なのである。
医師も教師も、その辺の加減・塩梅の見極め方がどこかで伝わらなかったんじゃないかと思う。
・・・どこだ?

「赤面すまい」と思えば思うほど赤面してしまう

 対人恐怖は、人間を恐れているのではない。人間関係がうまく結べるかどうかを悩んでいるのである。
 これと似たような症状を示す病気に、統合失調症(精神分裂病)という精神病がある。この病気では人間嫌いが症状の一つになる。彼らは孤独を好み、わずらわしい人間関係を避けてひっそりと生活する。友人も少なく、結婚にも関心が薄い人が多い。
ふむふむ、俺は0だから当てはまらないな。(きりっ)


第三章 理性よりも感情が勝ってしまう「感情病」

ケース3・新婚旅行中に自殺未遂を起こし、離婚した女性教師
過去の恋愛歴を隠して結婚したものの、旦那が良い人であるが故に耐えきれず・・・という話。
「過去の過ち=悪」であり「隠す=旦那を騙す=悪」である。故に「私は謝罪しなければならない」。
論理的にはおかしくない。有罪か無罪かで言えば有罪。
でも量刑判断が感情の問題になっている・・・ってことかな。
たぶんコレは「死刑にするほどではない」と思う人の方が多い、と俺も思う。だからうつ病の治療を受けることになったんだろうし。



時間の都合でここまで。
読み応えがある本。決してペラくない本を圧縮したに違いない。



メモ
折り目付けた部分を書きだしてから感想を書き入れることにするべし


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