◎「自由な発想」「大胆な行動」「緻密な計算」裏表紙より。
「龍馬なら、どうしたか?」
●行動哲学
――とんぼの“目”とむかでの“手足”でカベを知らず
●人脈づくり――“大ざる”のような男の緻密な計算
●商売人感覚――平凡を独創に変えてしまう、龍馬の「発想法」
●女が命がけで尽くしてしまう、この男の“体質”
●“スペシャリスト”としての変わり身の速さ、確かさ
●自分のいっさいを白紙に戻す「思考の脱藩」法
明治維新といえばこの男ぜよ・・・・・・はっ!?
「坂本龍馬 人間の大きさ」の再編集、改題。
◎はじめに・・・・・・だそうです。
この「人間力」に人は集まり、力を貸す!
すなわち、厳しい現代社会を生き抜くための、「期待される自分像」を確立するために、「自分を掘った人間」としての龍馬を考えてみたい。そして、龍馬の自分の器を大きくする行為が、現在と同じように閉塞状況にあった当時の日本の社会を、いかに掘ることにつながっていったかを、見きわめたい。
ボクもよく掘ってますよ、墓穴をな!
1章 「おれは昨日のおれならず」の生き方
〝創造″の人よりは〝応用拡大″の達人
しかし、龍馬の壮大な発想は、いつも彼の独創ではない。彼の発想は必ずと言っていいほど、他人の考えにヒントを得ている。
繰り返すが、龍馬は、決して自分から何かを創り出す人間ではなく、他人に影響され、得たヒントを最大限に活用する人間であった。創作の世界じゃ「○○は××のパクリ」なんてよくある非難だけど・・・・・・
そのことを、マメに、丹念にやり抜いた人間なのである。
「マンガは面白ければいいんだ」
「面白いければ連載される当たり前だ」
天馬のごとき活躍は、この〝平凡な日々″から始まった!「常識を打ち破る」のは、「常識を知っているから」できたことか。
「常識のなかに生きていた」
のである。
自分のいっさいを白紙に戻す「思考の脱藩」法得られたものがあまりにもくだらなくて、思考放棄が若干増えている今日この頃。
手間暇かかってもつねに自分の頭で考える、それが精神の自由である。
本当なら考えるのは楽しいはずなんだよ。
2章 自分を高める〝独特の人間関係″でも「姉ちゃん頼り」ってのとは多分違うよね。
つねに冷静な判断ができる人の〝精神の拠りどころ″
反面、龍馬が他人の評価を期待せず、またそれゆえに、つねに正しく冷静な判断で維新の世を駆け抜けていくことができたのは、
(乙女姉だけはおれの正しさを理解してくれる。おれのやったことを記憶してくれる)
という精神の拠りどころをもっていたからではないだろうか。
あくまでも「補強」であって、核は誰よりも「自分で自分を信じられるか」だと思う。
4章 “男に男を惚れさせる”魅力「アウトサイダー」と「アウトサイダー気取り」の違いは各自ディクショナリーを引きたまえ!
この度量があるがゆえに、一介の脱藩浪士は幕末の英雄となった!
郷士上がりの一介の脱藩浪士にすぎない龍馬のところに、多くの人が集まったのは、龍馬がアウトサイダーであっても反社会的ではない、という信頼感があったからである。
人間を愛することの〝天才″愛のために歌い、愛のために戦う!
彼の数々のエピソードにおいて、その三十三年の短い生涯において、人を憎んだというような例はまったくない。彼は他を愛し続けることによって、自分の生命を、最後まで燃やし続けた人間であった。
そうだな、イザベラ君!
どうでもいいですが、つまらないことを他愛無いと言います。
いやホントどうでもいいですけど。ホント。
龍馬に学ぼう!な本。
『油断だらけの一匹狼』・・・・・・だがそれがいい、らしい。
特定の人物マンセーによくある気持ち悪さは感じなかったと思う。
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