真夜中の2分前

時事評論ブログ
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バベル――滅びを待つ砂の城

2014-12-22 14:40:36 | 政治・経済
 本ブログ2回目のテーマは、いわゆる“アベノミクス”である。安倍政権がその成果を強調し、「この道しかない」としている中心的政策だが、はたして、アベノミクスは本当に成功しているといえるのか? この点を、考えてみたい。
 といっても、先に断っておくが、私は経済の専門家でもなんでもない。経済の専門家が読めばつっこみどころ満載の文章になることだろう。だが、ヴァイツゼッカーふうにいえば、経済は経済学者だけのものではない。経済のよしあしはダイレクトに一般人の生活に影響する。そういう意味で、門外漢であってもブログで経済について思うところを述べるぐらいの権利はあるだろう。ということで、専門家諸先生には、あたたかい目でみてやっていただきたい。
 さて、アベノミクスについて語るにあたって、まずはじめに思い出しておきたいことがある。この点は、じつはいわゆる“異次元の緩和”という方針が打ち出された当初ほうぼうで表明されていた懸念なのだが、いつしか忘れられている感があるので、もう一度おさらいしておきたい。
 それは、「アベノミクスとは結局のところバブルを生み出すにすぎないのではないか?」ということだ。
 景気刺激のために、インフレ循環を作り出すべく異次元の緩和と大規模な財政出動によって大量のマネーを市場に供給する――それが、バブルを生み出すのではないかという懸念である。
 先に結論をいってしまえば、私はいまの経済の状態ははっきりバブルだと思っている。異次元の緩和は異次元のバブルを生み出す。そして、バブルはかつてとはあきらかに違う局面に入りつつある、というのが私の認識だ。
 その新しい局面とはすなわち、“バブルサイクル”とでも呼ぶべき、実体経済とリンクしない、金融サイドの動きのみで生成し破裂するバブルの循環である。実体経済とリンクしないために、金融面でフィーバーしているほどに実体経済は浮揚しない。しかしおそらく、それが破裂したときには実体経済にも深刻なダメージを与える。かつてのリーマンショックと同様に、金融が一気にフリーズし、行き場を失った膨大なマネーが怒涛のように商品市場に流れ込んで、原油や食糧といった生活必需品の価格を暴騰させる。結果、実体経済は冷え込んでいるにもかかわらず、生活必需品の価格は大幅に値上がりする――そんな未来図が見えてくる。トフラーのいうエコスパズムの世界は、すでに現実だ。そしてそれが、アベノミクスを待っている帰結ではないかというのが本稿の論旨である。
 といっても、安倍政権を支持する人からすれば、そんなことは推測にすぎないじゃないかという批判もあるだろう。なので、私が現状をバブルだと考える根拠をいくつか以下に示したい。
 一つは、かつてのバブルが、当局による大規模な金融緩和で生じた過剰流動性が大きな原因となっているということだ。
 かつて日本では、バブルとみなしうる現象が二度起きた。1970年代のいわゆる“狂乱物価”と、80年代末の、日本語における固有名詞としての“バブル経済”である。この二例ではいずれも、それに先立って通過当局が円安誘導策をとっていた。前者はニクソンショック後に、後者はプラザ合意後に進んだ急速な円高を是正するために、大規模なドル買い円売り介入や利下げが行われた。円安誘導のための介入は結果として市場に大量のマネーを流すことになるが、それがバブルの呼び水となったのだった。
 そして、いまである。
 現在の緩和策は円安誘導のためでこそないものの、目的がどうあれ、通貨当局の施策によって大量のマネーが市場に流されているという状況は、かつてのケースと共通する。そして、現実に存在する資金需要を超えるマネーは過剰流動性としてマネーゲームに投じられることになり、それが株価を上昇させる。機関(あるいは個人の)投資家が国債を売って金を手に入れても、よい貸出先がないためにそのカネはほとんどが投機の場でのみ動き回り、実体経済はほとんど好転せずに虚構の経済だけが膨張していく。
 これはまた、先の述べた“バブルサイクル”の一環でもある。この数十年間続けられてきた金融自由化によって、バブルはもはや珍しい現象ではなくなり、世界のどこかで常にバブルが生じている。しかも生成消滅を繰り返すうちにその規模は肥大化していっているように思える。バブルが崩壊するたびに景気刺激策として各国が金融緩和を行い、それが新たなバブルを作り出し、しかも市場のクラッシュをおそれて手を引くことができないという悪循環に陥っている。みんながこぞって息を吹き込み、大きな風船を破裂するまで膨らませているようなものだ。これを私は、バブルを超えた“バベル経済”と呼びたい。王侯貴族が欲望の赴くままに天にも届くような巨大な塔を建てるが、それは虚栄の城にすぎず、やがて崩れ落ちる。そしてその後には“乱れ”だけが残る――これがいまの世界の姿なのではあるまいか。
 そして、そこへもってきて、日本における異次元の金融緩和なのである。かつての円売り介入では結局のところ円安誘導という目標を達することはできなかったのだが、いまの緩和は実際に円安を引き起こしてもいる。その点からしても、私にはこれが巨大なバブルであると思えてならない。
 もう一つ、ここで専門家の意見もとりあげておきたい。マネックス証券のチーフエコノミストという村上尚己なる人物の2013年1月31日のブログだ(http://blogos.com/article/55215/)。ちなみにこの人は、「アベノミクスでバブルが起きる」という見方を否定している論者である。先述のとおり、安部政権発足当時にはバブルの懸念がいわれていたわけだが、村上氏はこの記事のなかで、そうした意見を「マーケットを知らない妄言」と一蹴する。そしてそのうえで、「バブルの心配も少しは出てくると言える」株価の水準を15000円としている。一方、現在の株価はというと、17000円を上回っている。つまり、アベノミクスはバブルだという見方を否定する論者が、それでも「バブルの心配も少しは出てくる」と考える水準を、すでにかなり超えているわけだ。だとすれば、この経済の動きをバブルと考えるのは至極もっともなことではないだろうか。
 先の衆院選において、安倍総理はあちこちでアベノミクスの成果を強調し、「この数字は○○年ぶり」というような数値を示したが、私にいわせればそれらは「これはバブルです」という証拠を並べているにすぎない。経済指標が高い数値を示すことがひょっとしていいことでもないのかもしれない例として、たとえば――これは先の衆院選の話ではないが――株価があげられるだろう。安倍政権一年目にあたる2013年に、株価はバブル期以来(もっというと、41年ぶりらしい)の高い伸び率を示したが、これは、現状がバブルだということを示す数値だというのがもっとも妥当な解釈である。株価がバブル以来の伸び? そりゃそうだ。だってこれはバブルなのだから。そしてバブルは、それがバブルであるかぎり、いずれは破裂する。地震や活火山の噴火が一定の期間を経れば必ず発生するように、バブルは必ずいつかはじける。この見方に立てば、アベノミクスとは波打ち際に砂の城を建てるような空しい業に過ぎない。どんなに立派な城を建てたところで、やがて潮が満ちてくれば、あっというまに消え去る運命だ。狂熱の余波で賃金がほんの少しばかりあがったとしても、ひとたびバブルがはじけたなら、半年ももたずにすべてが吹き飛ぶだろう。後に残るのは、いい知れぬ虚しさと、好況の間に得たわずかばかりの財産と、膨大な不良債権だけである。
 大量のカネを世間にばらまけば景気がよくなるというのは、ある意味当たり前の話である。本当に問題なのは、その後に副作用が起こらないのかということだ。私は、アベノミクスという政策は、深刻な副作用の危険をはらんでいると考える。できればその予測がはずれてくれることを祈ってやまないが……