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わかっちゃいるけどやめられない……“危険ドラッグ経済”

2014-12-27 12:19:30 | 政治・経済
 本ブログ三本目の記事である。本来は週一回ぐらいのペースで書こうかと思っていたのだが、どうも、このブログという媒体はときどき新しい記事をあげないとあまり閲覧されないものらしい。私としても、わざわざこうして書いている以上はなるべく多くの人の目に触れるようにしたいので、ほんのちょっとだけペースをはやめて書いてみる。
 内容としては、前回の続編となる。前回の記事では、“バベル経済”という言葉を提唱したが、今回は現在の経済状況にもう一つの名前を与えたい。その名は――“危険ドラッグ経済”である。
 危険ドラッグとは、周知のとおりかつては「脱法ハーブ」と呼ばれていたアレのことだ。
 別にそれにかぎったことではないと思うが、この種の薬物にいったん手を出すと、人間やめるかという深刻な事態にいたる場合がある。一時的な快楽は得られるものの、依存症に陥ってやめられなくなるうえに、次第に効果が薄くなっていきクスリの量を多くしなければならなくなる。やめようと思っても、ついつい手を出してしまう。やがて心身がボロボロになっていく。そしてその先には、破滅が待っている――いまの私たちの世の中は、そんな薬物中毒患者に似ているのではないだろうか、というのが本稿の趣旨である。金融緩和で膨大なマネーを供給して景気を維持し、それを切らせばたちまち禁断症状に陥るためにやめることができない。そして、カネを垂れ流しているかぎり(マネーゲームのプレーヤーに関してのみ)フィーバーは続く。わかっちゃいるけどやめられない……これはまさに、アッパー系のヤバイ薬をきめてハイになっているということではないのか。とすると、そのうちラリった状態で車を暴走させて事故を起こしたり、「しぇしぇしぇのしぇ~」などと奇声を発しながら他人に危害を加えるような行動に走る危険があるということにもなってくる。そこで問わずにはいられない。いったいわれわれは、こんな経済をいつまでも続けていくべきなのだろうか。続けていけるものなのだろうか。
 問題の根底にあるのは、金融が異常に肥大化している状況だ。1970年代以降、金ドル交換停止によってゴールドという現物の裏づけをもたないドルが大量に供給され、それと同時並行的に進んだ金融自由化とあいまって世界中に実体のないマネーがあふれるようになった。これによってバブルが珍しい現象でなくなったというのは、ほうぼうで指摘されているところである。そして、バブルが弾けるとその後の景気回復のために金融緩和が行われ、さらに大量のマネーが供給されてふたたびバブルを作り出す――”バブルサイクル”の車輪が無気味な金属音をたてながら回転をはじめる。それが何度か繰り返されるうちにやがてバブルそのものがテイクオフし、世界経済はバブルありきで動く新しい段階に入った、というのが前回までのあらすじだ。これは、動物の体にたとえていうなら、尻尾にばかり栄養を注入してその尻尾の動きに体全体が振り回されているということである。トカゲのような生き物の尻尾が体の何倍ものサイズに肥大化し暴れまわったらどうなるか。そういう問題だといえる。
 ここで一つ断っておくが、私は金融という行為自体を批判しているわけではない。金融とはある意味で時間の取引であり(たとえば、一ヶ月の間つなぎの資金が必要である人がその資金を借りるとき、その金利ぶんは一ヶ月という時間への対価といえる)、その意味においてはしっかりと実体を持っている。尻尾というたとえが気にくわないなら、腕でも脚でもかまわない。要は、体の一部が極端に肥大化したなら、それがどこであれバランスを崩さずにはいられまいということだ。尻尾には尻尾の、腕には腕の、頭には頭の役割がある。そして、それに応じておのずと適正なサイズがきまっている。そのあるべきサイズを超えて肥大化することが問題なのだ。
 ここで、経済の話に戻る。いったい、デリバティブと総称される金融商品は、果たして金融の本来の役割に即したものなのだろうか? それは、社会を豊かにするのだろうか? 結論を先にいってしまえば、私は非常に懐疑的だ。先物やオプション取引ぐらいならともかく、リーマンショックのときにも問題視されたCDSのように、プロテクト権を売り買いするなどといった金融商品は、あきらかに実体を持たないただのマネーゲームのカードである。それは、CDSばかりでなく、ほかのさまざまな金融商品についてもいえると私は考える。サブプライムローンのようないかがわしい代物の寄せ集めが、ロケット工学を研究していたという学者らによって“加工”され(ロケットを墜落させないために制御する計算の手法がデフォルトを回避するリスク計算に応用されているらしい)、リスクの低い金融商品として売り出され、しかも売った側はそれがいずれ破裂する時限爆弾だということをうすうす知っていたらしいというのだから、開いた口がふさがらない。金融の緩和はしばしばモラルの低下を引き起こすといわれるが、現代のバーチャルでグローバルな金融市場は、「モラル? それって食べれるの?」とでもいわんばかりの、なかば詐欺師めいた危険ドラッグの売人たちが闊歩する無法の世界なのだ。
 サブプライムローンで問題になった「債権の証券化」という手法は、簡潔にいえば、借金手形を他人に売ってその代金で新たな借り手にカネを貸すことができるという仕組みである。こういうことを繰り返すと、カネの行き来が増えるので世の中の経済は一見非常に活発になったように見える。だがそれが虚構の繁栄に過ぎないということは、その果てに大規模な信用収縮が起きたという顛末からもわかるだろう。泡はいくら膨らましたところで泡にすぎないし、ドラッグで得られる快楽は一時的なものに終る。ドラッグの悦びは束の間、依存症と虚脱感は永遠だ。われわれはいま、こんなシャブ中経済から脱け出して真っ当に生きることを真剣に考えるべきときにきているのではないだろうか。