西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし

2003年、50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。

中年派遣員奮闘記(その18)

2016-01-08 | 奮闘記

NO.18[フィデル]

フィデル・バルコマ(20歳)6人兄弟の末っ子で将来は薬剤師を目指し目下のところ専門学校にて学業に励んでおり、理数系が得意で家では大きい黒板を壁の前に置き夜は屋外にある蛍光灯のところで勉強をしています。ブルキナファソでは学生がいる家には庭に黒板がおいてあるところが多く夜は静かで涼しい屋外で勉強をするようです。日本では学生は自分の部屋がありエアコンやパソコンその他いろいろな電気製品をそろえて至れり尽くせりの環境ですがこの国ではなかなかその様には行きません。

家族が多いので個室はありませんし、電気製品や電気そのものが高価なのでよほど恵まれた家庭でもなければ日本のような環境では勉強することが出来ないのです。フィデルに聞いてみるとブルキナファソは仕事が少ないし給料が安いので、将来はアメリカやヨーロッパで仕事をしたい、そしてそこで結婚し暮らしたい。だからどんなに難しくても勉強するんだといつも言っています。確かに日本とは大きく違う社会環境の中で彼なりに考えたことなのでしょう。

この国の多くの人達はヨーロッパやアメリカ、日本などの先進国への憧れは強く、私もフィデルに日本人ということでいろいろと日本の様子などを聞かれます。「ブルキナファソは7階建ての建物があるけど日本はもっと大きな建物があるのか?」、とか「東京にはこの国の人口と同じくらいの人が暮らしているそうだね?」、「日本には何処の村にも学校や病院があるの?」、など日本では殆ど話にならないことも聞かれます、私は、日本は確かにいろいろ便利な物がたくさんあるけど、その便利な物を買ったり使ったりするにはお金が必要で、この国の人の何倍もお金を持っていないと普通の生活が出来ない。

そのために日本では人々が子供のときから競争して勉強をし、働くようになってもそれは変わらない。その競争に負けることは、日本ではとても不自由な生活に繋がり、それはブルキナファソで生活をするよりも過酷なことになってしまう。もしこの国の人が今すぐ日本に行って生活をしたなら殆どの人が1ヶ月も生活が出来ないかもしれない。なぜなら、例えばこの国の社会システムは何も無いところに山を築き、その山の頂点を目指して登って行くのに対し、日本の社会システムは高い所から篩いにかけられる様なものだと話します。

この国には61の言葉がありフランス語が公用語として使われていますが、小学校に行かないと勉強できませんので学校の無い村や、学校があってもお金がなく働いている子供も多く、この国では山どころか丘を築くのさえ難しいのが現状です。10歳から15歳の子供が楽しげに牛やヤギを追っている姿や街で卵や果物を売っている姿を見ると、この子達の夢はなんだろうとふと思ってしまいます。

日本の子供に将来の夢はと聞くとよく宇宙飛行士やパイロット、医者や教師などと言いますがブルキナファソの子供でそのような夢を語ることが出来る子供は大臣や医者の子供でもないといません。大体がどこかで働きたいとかサッカーの選手とか家族といつも一緒に暮らしたいとか、夢と現実との大きな開きがあるのを理解しているのか、それでも村の子供やワガドゥグで働いている子供は厳しい現実の中で元気に毎日暮らしています。

ある日フィデルが訪れ、明日友達の家で結婚式があるからイイダも一緒に行ってみないかというのでブルキナの結婚式を見ておくこともいいと思い誘いに乗ることにしました。翌日彼の友達と共に6人3台のバイクで30キロほど離れた村はボボデュラソに通じる国道沿いにあります。ワガドゥグの料金所を過ぎると景色は変わりアフリカのサバンナ地帯の自然が広がっていて、私は日本にいるときからバイクが好きで、よく友達と共にツーリングに出かけたものです。

私のバイクは中国製で50ccの普通の物ですがフィデルのバイクはフランスのプジョー製のバイクで、名前はなぜか「Ninjya忍者」、自転車にエンジンが付いている物でブルキナの人達にはとても人気があります。アフリカの大地の風を体中に感じ気分は爽快、皆で笑いながら私もつい尊敬する矢沢エーちゃんの「ルイジアナ~、テネシ~、シカゴ~、遥かブルキナファソまで~」と口ずさみながらいつの間にか気持ちは青春時代に戻り、3台のバイクは目的地にむかってアフリカの原野を貫く国道をひた走ります。

40分くらい走ったところに会場はあり、沢山人が集まっています。新郎新婦の顔も知らない私は何と無く部外者ではないのかと言う不安に駆られフィデルたちの後について家の中に入り、暫くして両親と思える人が来て私たちに何か話しかけています。このような場合、日本でも緊張して言葉が出ないのに、ましてブルキナファソの結婚式では何と言ったらよいのか解からずにただ笑顔を作るだけが精一杯でした。

その後広い庭に行くと運動会で使うテントが4~5張り並んでいる披露宴会場があり椅子に座るとフラッグと言うビールを貰いました。フィデルと仲間の青年達は上機嫌で、あっという間に飲み干すともう2本目を飲み終わろうとしています。イイダももっと飲め、と言われても日本の結婚式ではお祝いの金一封を持って行き飲み物や食べ物を戴きますが、ただで戴くのは気が引けますし、おまけに日本人は私一人なので何と無く目立っているし、浮いてしまっているようで来て失敗したと後悔していると横に座っているフィデルたちは3本4本とビールを腹に流し込んでいます。

「何でイイダは飲まないの?」、もう酔いが廻り始めているのかフィデルの声がだんだん大きくなっています。アトラクションのジェンベの演奏と踊りが始まり、青年達は水を得た魚のように踊りだし、何処から持ってきたのかPASTISと言う酒を飲んでいます。これがとても強い酒で飲み慣れない味なので少しずつ飲んでいると又注ぎ足され私も周りの雰囲気に釣られ陽気になってきました。

酔いも手伝い周りの雰囲気にも慣れて、どうやら私の心配は行き過ぎだったようです。ブルキナファソの人達はしきりにイイダも一緒に踊れと促し、仕方なく見様見真似で踊っていると皆が笑って拍手をしてくれ、いつの間にか自分も仲間に入れたという満足感でいっぱいです。1時間ほどするとクライマックスで新郎新婦が皆輪になった中でジェンベに合わせ踊り、どちらも幸せそのものの笑顔で輝いていてとても微笑ましいもので、ブルキナファソでも日本も同じだな、と感じました。

 さてフィデルはというと、まだPASTISのビンを抱え、顔を良く見ると目が少し内側によっているようにも見え、踊りながら飲むペースが速くなっています。踊っているのかよろけているのか。まもなく新郎新婦が空き缶の沢山付いた車に乗り込み新婚旅行に出発です。周りの人達もバイクや車やトラックの荷台に乗りワガドゥグの空港まで送りに行くようです。

道中は皆一斉にクラクションを鳴らし他の車の通行には一切注意を払いません。日本なら飲酒暴走行為そのもので途中には警察もいますが無視をしています。フィデルもバイクのクラクションを思い切り鳴らしながら、大きい口を顔いっぱいに広げて蛇行運転をしています。私はこれが良いのか悪いのかは別にして、いつしかブルキナファソの人達の大らかな雰囲気に飲み込まれ、日本にいたころいつも何事にも神経質になっていたことがうそのように思えてきました。


次回をお楽しみに・・・・



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