茶道とクラシック音楽が趣味の自家焙煎珈琲『カフェ えんぴつ猫』

世界のコーヒーを神奈川県秦野市から発信 焼きたてお届け 自家焙煎コーヒー豆専門店

個人が個性を発揮することが出来る場所(カフェ)を作りたい。

2019-01-06 | コーヒーのある生活


地域社会からサードプレイス(第三の居場所)が消えつつあるという現状では人々は自分の存在の意義や意味をどのように見出していけばいいのだろう?



それは今ある場所の家庭であったり、会社であったり、趣味であったり、社会貢献であったり等々人それぞれにたくさんあると思う。



問題はそれらが本当に個人の心を豊かに満足させるものなのかどうかだ。人々は心から楽しんで生活が出来ているのであろうか?



またサードプレイスがそれらの心の問題を解決することが出来るのか?人が集まればサードプレイスが完成したと言えるのであろうか?



サードプレイスが実際の形態になっているものにコミュニティカフェがあります。コミュニティカフェが人間の心の問題を解決する方法の一つだとすればその成立条件とは一体何なのであろうか?



私が一番に考えている部分がその点なのです。美味しいコーヒーや料理が絶対に必要なのか?店員さんがいつも気軽に声を掛ける心配りが必要なのかどうか?それとも立地や営業時間、お店で使うお金の問題等々。様々な要素があることはもちろん理解はしていますが、それらの条件が必ずしもサードプレイスの成立に必要不可欠な問題では無いように思えます。



いま列挙した要素は外部的なものばかりだからです。大切なことは一人一人の個人の心に対して働きかけるものが必要不可欠なのではないか?個性を尊重する為の何かが必要なのではないか?それはどのように提供あるいは提示されるのがよいのか?



何をどのようにすればサードプレイスとして個人が喜びを見出すことが出来る生きた「場所」が成立するのか?



恐らく単純な「解答」は無いのだと感じる。集まる人や人数によってもその「場所」が心地よいものになるかそうならないかは違うのだから。



それらの不定な条件を整えて、時間や空間の調和を保つことが、サードプレイスの成立のカギを握っているに違いないと思う。



それらを実現するのは運営者でありその「場所」に集まる人になる。その場所に集まった参加者が作る場所がサードプレイスだとうことなのかもしれません。



自分もサードプレイスを作ってみたいと思う理由は自分自信が心落ち着く場所に居たいということに他ならないのだと思う。



自分はコーヒー屋です。趣味でクラシック音楽と茶道もしております。自分の全てをこのサードプレイスに賭けてみようというのが今年の目標です。







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