まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1181 万葉歌碑巡り・八尾~堺~住吉編

2019-08-19 10:58:10 | 万葉
おはようございます。


夏の甲子園もいよいよ大詰め、昨日(18日)は星稜頑張りましたね、あの大熱戦の後だから疲労もあるのだろうと思ったが、強豪仙台育英相手にまあ取るわ取るわの連続、奥川投手を十分に休ませることができました。いままでここでもネガティブなことばかり書いてきたのですが、これはいよいよ行きそうですね~、あの歌う監督にはそろそろ、高島監督が言っていた旗が見えてきたのではないでしょうか。準決勝の相手は中京学院大中京、昨日は佐賀北を思い出させる8回の満塁逆転本塁打で勢いに乗るチーム、最後の難関と言ってもいいくらいのチームでしょう、あの名門校と名前も似ているので決して名前負けしないように・・・星稜ももう名前で十分相手を怖がらせるチームになっているか。準決勝もう1試合は関西対決、明石商はなかなか魅せてくれますねえ~、あの監督も熱そうな人、まあ注意されない程度に選手を鼓舞させて、履正社相手にいい試合を見せてほしいところです。明石はこの間行ってきたばかりだからちょっと肩入れしてるんですけどね、その話はまた別枠でと言うことで本文、参りましょうか↓↓↓












万葉歌碑巡り。今回は大阪編、主に奈良に近い所となる大和川周辺部から堺、住吉方面を走って来ました、早速行ってみることとしましょう。まずはいつもの調子で国道25号線を進んで柏原市内へ、交通量の多い県境を越えてホッと一息つける所が近鉄国分駅前、大阪方面と堺方面の分岐点となるポイントの場所に歌碑があるとのことだがどこだ・・・と思ったらロータリーの真ん中に立っている碑に歌が刻まれているらしい。この碑は柏原、八尾付近で地元の歴史をPRするために立っていて、その文中に歌が掲げられているのだが文自体が見えにくいので歌がどの部分にあるのかほとんど分からない。大阪方面へ大和川に架かる橋を渡って国道25号線を進んで行くと、国道170号線との分岐点となる交差点の一角に大きな歌碑がひとつ、その後しばらく走ってJR八尾駅前にもスマートな形の歌碑が立っている。

「真鉋持ち 弓削の川原の 埋れ木の あらはるましじき ことにあらなくに」(作者不詳・巻7-1385)

「真鉋」とは鉋、読み方は「kanna」、御存知材木を削る工具のことですが、この場合は「弓」を「削」るとのことで弓削にかかる枕詞となっている。弓削とはJR志紀駅付近の地名だがその川原とはどういう事、この付近には大きな川はないはずだが・・・とその謎を写真4枚目にある地図の看板が解明してくれている、その地図を見ると黄色い部分が今はなくなっている河川と言うことで、以前の大和川はこの付近を流れていたと言うことがうかがえる。
















再び大和川を渡って堺市内へ、ここでの目的は古墳巡りとなりそうだがそれはまた次の機会へと置いといて仁徳陵にある歌碑を探すことに。走ったのは5月の後半の休日、新緑が眩しい頃、その歌碑は古墳の西側の緑に囲まれた森の中の遊歩道に5つ並んで立っていた、それが写真5枚目にある風景、大きな歌碑を真ん中にしてそれを囲むように左右に2つずつパネルの歌碑が立っている。

「ありつつも 君をば待たむ うち靡く 我が黒髪に 霜の置くまでに」(磐姫皇后・巻2-87)

一番真ん中の歌碑の歌が↑↑↑だが、ここにある5つの歌は全部磐姫皇后のもの、嫉妬深い皇后は夫が自分が旅に行っている間に自宅に女を囲ってしまったことに怒ってそのまま帰らなかったとか。その時に詠んだ歌が上の5つ、浮気している相手に怒っているのではなく、その相手を思っている自分の心情が歌われている辺りが何とも奥ゆかしい、結局皇后は夫に会うことがないまま亡くなってしまうと言うことだが、なぜそんな女性の歌を夫の墓の前に並べているのだ?って夫とは仁徳天皇とのこと、この歌碑をここに並べて生きているうちには会えなかった皇后の思いを叶えさせてあげたのでしょうか・・・














三度大和川を渡って住吉公園へ、快晴の休日と言うことでたくさんの人が公園に繰り出している、何かイベントもやっているようだ。公園の入口から南海住吉大社駅へ、更にそのまま住吉大社へと通じるこの道に歌碑があることだが・・・それはすぐに見つかったが歌碑の表面がつるつるしていて文面がみにくい、歌も確認しにくいと言うことでここはスルー。公園内の道標にラジオ塔とあったのでそちらの方へと行ってみる、そのラジオ塔が写真5枚目にあるもの、前に一度明石で登録有形文化財のものを見たことがあったが今ではもう遺産になってしまったもの、公園で遊んでいる人からは見向きもされない存在となってしまっている。
南海住吉大社駅から高架沿いに雑然とした狭い道を進んで行くと次の南海粉浜駅、高架駅で周辺は商店街と特にどうってことのない所だが、その駅前の一角に万葉歌碑が何か不釣り合いな感じで立っている↓↓↓

「住吉の 粉浜のしじみ 開けもみず 隠りてのみや 恋ひわたりなむ」(作者不詳・巻6-997)

この歌はさっき住吉公園にあった歌碑と同じものである、駅名からも分かるようにこの辺りもはるか昔は海の近くだったと言うことで、その眺めもきれいなものだったのだろう。作者は誰か不明だが、当時の天皇の難波行幸の際に住吉に立ち寄り、その時に見た風景の美しさに心をとらわれて詠ったものだと言う説明が隣の看板に書かれている。まあ残念ながら現在の粉浜駅付近はこの歌とは打って変わってどこが美しい風景やねんと言いたくなるような所、商店街から聞こえてくる曲も現代風の顔色のないメロディーと言った感じ、浜の美しさに歌を詠った人の嘆きがこの歌碑から漂ってきそうな気もします、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。              まちみち