おはようございます。
2回連続で大阪シリーズ、今回は百舌鳥古墳群巡りの第2回目です、前回は万葉歌碑巡りで訪れた仁徳天皇陵、日本で一番大きなお墓を造ってもらった天皇ですが実は原田龍二みたいな人物だったことは歌碑巡りの項でお伝えしました。天皇は皇后を迎えに行ったのに応じられず・・・それは浮気相手との身分の違いが支障になったためだとか、本当は帰りたかったがそうなると自分の扱われ方が変わってしまいそうだったと言うのが真相らしい・・・皇后は天皇に対する思いを歌に綴って亡くなったと言うことでした。そんなワイドショーネタになりそうな天皇ですが、上のモニュメントを見ると周辺に小さな古墳をまるで子分のように従えて、守られるようにして天皇陵が威圧している感じ、前回はその子分古墳の北半分を巡りました、今回は残りの南半分を巡って行こうと思います。
まずはモニュメント写真2枚目の赤丸、銅亀山古墳は万葉歌碑が立つ西側の遊歩道の入口となる所にある、形式は方墳と言うことだが正面から見ると丸味を帯びた小さな丘にしか見えない。その赤丸の下には目玉おやじと頭でっかちなオタマジャクシみたいな古墳に色丸を記しているが、仁徳陵とこの2つの古墳の間には実際には道路が通っていて、その道路の南側にあるのが大仙公園、2つの古墳はその公園に属した場所にある。公園の一番北の玄関口にあるのが緑色の丸で囲んだ狐山古墳、森の中にポコンとした形の丸い丘が柵に囲まれている、さっきの古墳が方墳だったのに対してこちらは円墳、でもどちらも同じ形のように見える。歩道を東に進んで行くとすぐに紫色の丸にある竜佐山古墳、その後公園内に入って更に進んで行くとモニュメント写真3枚目のオレンジ色の丸にある孫太夫山古墳、どちらも公園内の森の中にある丘になっている部分で古墳だとわかるが、まさに木を隠すなら森に状態である。ここで一旦公園を抜けて道を渡り仁徳陵の一番南東側へと至る、その角っこにあるのがピンク色の丸にある収塚古墳、ちなみにここまで前回から渡って巡って来た仁徳陵の子分のようにある古墳は「陪塚」と言って↓↓↓
「近親者や従者を葬ったとされる大古墳の近くに存在する小さな古墳である。大仙陵古墳(仁徳陵)で宮内庁が指定・管理する陪塚は12基ある。」
とのことです。ここで陪塚巡りは終わり、この辺りはJR阪和線の百舌鳥駅に近い所、その線路沿いにある道へと入って行くとあるのが写真下3枚にある長塚古墳、柵の向こうに立っている碑には仁徳天皇陵の文字が刻まれているが規模の大きい古墳と言うことで陪塚ではなさそうだ。
再び大仙公園へと戻り、園内を走っての古墳巡り、森の中の遊歩道を進んで行くと市民の憩いの広場と言った感じの場所にポコッと小さな丘が2つ、それぞれその手前に表示の碑があって古墳だとは分かるが、この走りのガイドとして利用したウォーキングマップにはその2つの古墳は記されていなかった。広場を抜けると右手側にはまた森があって、遊歩道が緩くカーブになって通っている、そのカーブの道が囲っているようにしてあるのがグワショウ坊古墳、その道の走り具合からしてきれいな形の円墳だと言うことがうかがえる。その隣にあるのが旗塚古墳、こちらは小さな前方後円墳だが、両方の古墳ともさっきと同じように気を隠すなら森に状態の場所にある。緑の眩しさと樹から漂ってくる匂いが梅雨に入る前の時期で心地いい、その森を抜けると市民の憩いの場となる丘があり、たくさんの人が青天の休日を楽しんでいる、こちらは孤独に古墳巡り、でも相棒君がいるから寂しくないもんね。大仙公園の一番南の出口へとたどり着く、その出口の向こうには大きな古墳が見るからにと言った存在感を漂わせているがそちらについてはまた次回の項でお伝えすることにしておきましょう。大仙公園の出口に当たる広場には写真下3枚にあるまん丸のポッコリ丘の七観音古墳、手前の看板には向こう側にある大きな古墳の陪塚と記されている。柵がないから入られ放題じゃないかとも思ってしまうが、ここは公園だから市民の憩いの場として開放されているのだろうか、世界遺産にしてはちょっと無防備な気もするのですが・・・と言うことで今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち
2回連続で大阪シリーズ、今回は百舌鳥古墳群巡りの第2回目です、前回は万葉歌碑巡りで訪れた仁徳天皇陵、日本で一番大きなお墓を造ってもらった天皇ですが実は原田龍二みたいな人物だったことは歌碑巡りの項でお伝えしました。天皇は皇后を迎えに行ったのに応じられず・・・それは浮気相手との身分の違いが支障になったためだとか、本当は帰りたかったがそうなると自分の扱われ方が変わってしまいそうだったと言うのが真相らしい・・・皇后は天皇に対する思いを歌に綴って亡くなったと言うことでした。そんなワイドショーネタになりそうな天皇ですが、上のモニュメントを見ると周辺に小さな古墳をまるで子分のように従えて、守られるようにして天皇陵が威圧している感じ、前回はその子分古墳の北半分を巡りました、今回は残りの南半分を巡って行こうと思います。
まずはモニュメント写真2枚目の赤丸、銅亀山古墳は万葉歌碑が立つ西側の遊歩道の入口となる所にある、形式は方墳と言うことだが正面から見ると丸味を帯びた小さな丘にしか見えない。その赤丸の下には目玉おやじと頭でっかちなオタマジャクシみたいな古墳に色丸を記しているが、仁徳陵とこの2つの古墳の間には実際には道路が通っていて、その道路の南側にあるのが大仙公園、2つの古墳はその公園に属した場所にある。公園の一番北の玄関口にあるのが緑色の丸で囲んだ狐山古墳、森の中にポコンとした形の丸い丘が柵に囲まれている、さっきの古墳が方墳だったのに対してこちらは円墳、でもどちらも同じ形のように見える。歩道を東に進んで行くとすぐに紫色の丸にある竜佐山古墳、その後公園内に入って更に進んで行くとモニュメント写真3枚目のオレンジ色の丸にある孫太夫山古墳、どちらも公園内の森の中にある丘になっている部分で古墳だとわかるが、まさに木を隠すなら森に状態である。ここで一旦公園を抜けて道を渡り仁徳陵の一番南東側へと至る、その角っこにあるのがピンク色の丸にある収塚古墳、ちなみにここまで前回から渡って巡って来た仁徳陵の子分のようにある古墳は「陪塚」と言って↓↓↓
「近親者や従者を葬ったとされる大古墳の近くに存在する小さな古墳である。大仙陵古墳(仁徳陵)で宮内庁が指定・管理する陪塚は12基ある。」
とのことです。ここで陪塚巡りは終わり、この辺りはJR阪和線の百舌鳥駅に近い所、その線路沿いにある道へと入って行くとあるのが写真下3枚にある長塚古墳、柵の向こうに立っている碑には仁徳天皇陵の文字が刻まれているが規模の大きい古墳と言うことで陪塚ではなさそうだ。
再び大仙公園へと戻り、園内を走っての古墳巡り、森の中の遊歩道を進んで行くと市民の憩いの広場と言った感じの場所にポコッと小さな丘が2つ、それぞれその手前に表示の碑があって古墳だとは分かるが、この走りのガイドとして利用したウォーキングマップにはその2つの古墳は記されていなかった。広場を抜けると右手側にはまた森があって、遊歩道が緩くカーブになって通っている、そのカーブの道が囲っているようにしてあるのがグワショウ坊古墳、その道の走り具合からしてきれいな形の円墳だと言うことがうかがえる。その隣にあるのが旗塚古墳、こちらは小さな前方後円墳だが、両方の古墳ともさっきと同じように気を隠すなら森に状態の場所にある。緑の眩しさと樹から漂ってくる匂いが梅雨に入る前の時期で心地いい、その森を抜けると市民の憩いの場となる丘があり、たくさんの人が青天の休日を楽しんでいる、こちらは孤独に古墳巡り、でも相棒君がいるから寂しくないもんね。大仙公園の一番南の出口へとたどり着く、その出口の向こうには大きな古墳が見るからにと言った存在感を漂わせているがそちらについてはまた次回の項でお伝えすることにしておきましょう。大仙公園の出口に当たる広場には写真下3枚にあるまん丸のポッコリ丘の七観音古墳、手前の看板には向こう側にある大きな古墳の陪塚と記されている。柵がないから入られ放題じゃないかとも思ってしまうが、ここは公園だから市民の憩いの場として開放されているのだろうか、世界遺産にしてはちょっと無防備な気もするのですが・・・と言うことで今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち