まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1324 お地蔵様で平城京巡り(3)・・・西九条界隈

2020-05-13 09:55:13 | 
よろしくお願いします。







さてさて、久しぶりに平城京の模型図の登場ですが、今回は赤い〇で囲った部分でお地蔵様やその他の風景を巡って行ってみようと思います、と言ってもこの辺りもう毎日っていいほど通っているところなんだよなあ~、新鮮味も何もない風景なのですが何か小さな再発見できるでしょうか。















東西に八条大路、南北に東二坊大路、東三坊大路が通る辺りは平城京の時代には東市があった所、辰市と言う地名にその面影を残しているような気がします。「辰」は方角では東南方向を示すので、平城京の中心部から見ると東南の位置にあった市だからこの地名が付いた・・・と言うのは自分(一人称)の勝手な推論なのですが、戦国時代には一番下の写真にある幼稚園の所には辰市城があり、ここを舞台にして筒井順慶が松永久秀を破って大和の覇権を握った、と言う場所でもありました。今はこの辺りは住宅が密集して狭い通りが網の目のように並んでいて、都があった形跡も城があった痕跡もほとんど見ることができません。

















場所は変わって西九条・・・と言っても大阪環状線にあるUSJへの乗換駅ではない、「saikujou」と読みます、ちなみに東九条は「toukujou」・・・界隈、写真1枚目にある道が八条大路、この狭い道がこの南を通るバス通りを差し置いて県道41号線を名乗っている辺りに歴史の重みが感じられる。この付近にも狭い道が縦に横にと通っていて、まるで平城京の頃の通りの形がそのまま残ったかのよう、その中でもいくつかのお地蔵様や小寺院を見かけることができる。しかし区画整理や住宅の整備が行われる度にお地蔵様はあちらこちらに移されたりして、写真にあるように頭の部分が割れてしまっているお地蔵様もある、ちょっと気の毒・・・。











写真1枚目にあるのはイオンモール大和郡山、奈良市と大和郡山市の境界線にあり、北を九条大路が通っている。駐車場の一角には写真2枚目、3枚目にある平城京羅城のモニュメント、ここは平城京の南端となり、九条大路に沿う濠の表側には羅城と言う外郭が築かれていたとのこと、その跡が更に西に続いて羅城門へと通じていたようです。しかしそうなると平城京に十条の町並があったとの説、イオンモールの建設が遅れたのは十条大路の発見があったからだったが、一番上に貼った平城京の模型では緑が広がるばかりで町の跡は見られない。イオンモールには十条大路の存在を決定づける看板もあるだけに、その真偽はどうもはっきりとしない。まあ歴史と言うのはそう言うミステリーな部分を素人ながらにああだこうだと考えるのが面白いものなのです、さっきの辰市の地名の話でもそうですが、これが方角や十二支に興味を持つきっかけになったわけですから。謎多き平城京、まだまだ再発見がありそうです、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち








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