よろしくお願いします。
大和郡山市の環濠集落巡り、今回はその2回目と行ってみましょう。市域にはたくざんの集落があってそれぞれにその町の歴史や文化を守っていくかのように、昔から変わらぬ風景と雰囲気を残し続けています。今回もそんな町並、決して名前を知られているわけでもなく、観光目的で人を寄せ付けようともしない、そんな風景に土足で踏み入るようで申し訳ないのですが、お邪魔させてもらいましょう。
まずは写真1枚目~6枚目にある宮堂集落、近鉄橿原線のファミリー公園前駅から東に行ったすぐの所にある。駅の西側すぐ出た所にはまほろば健康パークがあり休日には家族連れが多く訪れ賑やかな所、しかし東側は田園風景の中に京奈和の高架橋が見えるだけの寂しい風景、その中に宮堂集落がある。集落の入口には写真1枚目、2枚目にあるように何か城壁と門の跡みたいなのがある、まさか外敵に備えての施設なんだろうか、環濠集落では外堀がその役目を担うはずなのだけど。小さな集落は町巡りをしてもほんの数分で抜けてしまう、その後は北へと向かい近鉄天理線の踏切を渡り、佐保川に架かる橋を右へと曲がり八条町の集落へとたどり着く。町の中心的存在であるのが菅田神社、集落の東側には下ツ道が通りその向こうには京奈和道、近鉄二階堂駅も近い、何気ない集落なのだが町中を主要な地を結ぶ道が通っているのと、ここからは行けないはずの京奈和道に行こうと間違えて入って来る車もあって、雰囲気は結構雑然としている。
下ツ道を北へと進み西名阪の下をくぐると、その先に見えてくるのが伊豆七条の環濠集落。さっきの八条集落、今度の伊豆七条集落、この間お伝えした川巡りで紹介した南六条集落と、この辺りは条里性の名残のある地名が多い、市制を敷くまではこの辺りは添上郡を名乗っていたわけだから、むしろ洒落た町名など似合わないと言ったところ。自分(一人称)は子供の頃、何で添上郡ではないのに天理市に添上高校があるのかが不思議でならなかった、添上郡と言うと奈良県の一番東の端っこ、三重県がすぐ隣の月ヶ瀬村のことでしたからね。しかし当時は添上郡、添下郡が奈良市、天理市、大和郡山市を含み込むような大きな郡部だったとのこと、だから添上高校が天理市にあっても何らおかしいことはないと言うことである。でもその添上郡も2000年代の市制再編成で奈良市に組み込まれて、その名前自体が消滅してしまった、ちなみに添上の「soe」は「佐保(saho)」に起因しているとか。と言うことで話は逸れてしまいましたが、伊豆七条集落もさらりと通り過ぎて、その後は国道24号線沿いにある横田の集落へと入って行く。横田も奈良の人ならよく知っている地名、国道24号線と25号線が交差し、西名阪道郡山インターもあるいわば交通の拠点となる所。しかし一歩町の方に入ると、そんな車のせせこましさなどどこへやらの、緩やかな時間が流れる空間へと投げ込まれたかのよう。しかし往事はこの地にも城があり、町も防御のための造りとなっているとのこと、そんな物騒な雰囲気があった所など今では全くうかがうことなどできない。
国道24号線と県道754号線、2つの幹線道路にはさまれた所にある美濃庄集落、周囲を田園風景が囲んでいる中にあって集落が島のように浮かび上がったように見えている。この集落をはさむようにある道路はよく走る所だが、さすがに集落の中を走り抜けることは今までなかった。写真2枚目、3枚目には結構重厚そうな民家があるが、地元の有力者が住んでいる所だろうか?まあ1週間もあれば建ってしまう家が現代の主流なことだと思えば、この辺りにある家はどこも有力者の家に見えてしまいますか。最後はその美濃庄集落から西へ、国道24号線を越えた所なある若槻集落、ここも周囲を田畑に囲まれた小さな集落、自転車でも2~3分もあれば通り抜けてしまう。そんな小さな集落だが、大和郡山市の環濠集落の中では稗田、番条と共に名前はよく知られていて、町中にはこの集落が大和郡山市指定の文化財(史跡)であることを案内する看板も立っている。集落の周りには農業用水路が流れていて、そこから一歩抜け出た所は郡山東中学校を中心として、町や道が整備されて車も走りやすくなっている。と言うことで、ここまでほとんど名の知られていない小さな環濠集落を巡って来ましたが、次回はこのシリーズの最終編と言うことで稗田環濠集落を・・・もう何度も行ってるやん、また行くんかい、ネタないんか~って言われそうですが、まあそう言わずにお付き合い願えたらありがたいことです、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました・・・・・・・・・・・まちみち
大和郡山市の環濠集落巡り、今回はその2回目と行ってみましょう。市域にはたくざんの集落があってそれぞれにその町の歴史や文化を守っていくかのように、昔から変わらぬ風景と雰囲気を残し続けています。今回もそんな町並、決して名前を知られているわけでもなく、観光目的で人を寄せ付けようともしない、そんな風景に土足で踏み入るようで申し訳ないのですが、お邪魔させてもらいましょう。
まずは写真1枚目~6枚目にある宮堂集落、近鉄橿原線のファミリー公園前駅から東に行ったすぐの所にある。駅の西側すぐ出た所にはまほろば健康パークがあり休日には家族連れが多く訪れ賑やかな所、しかし東側は田園風景の中に京奈和の高架橋が見えるだけの寂しい風景、その中に宮堂集落がある。集落の入口には写真1枚目、2枚目にあるように何か城壁と門の跡みたいなのがある、まさか外敵に備えての施設なんだろうか、環濠集落では外堀がその役目を担うはずなのだけど。小さな集落は町巡りをしてもほんの数分で抜けてしまう、その後は北へと向かい近鉄天理線の踏切を渡り、佐保川に架かる橋を右へと曲がり八条町の集落へとたどり着く。町の中心的存在であるのが菅田神社、集落の東側には下ツ道が通りその向こうには京奈和道、近鉄二階堂駅も近い、何気ない集落なのだが町中を主要な地を結ぶ道が通っているのと、ここからは行けないはずの京奈和道に行こうと間違えて入って来る車もあって、雰囲気は結構雑然としている。
下ツ道を北へと進み西名阪の下をくぐると、その先に見えてくるのが伊豆七条の環濠集落。さっきの八条集落、今度の伊豆七条集落、この間お伝えした川巡りで紹介した南六条集落と、この辺りは条里性の名残のある地名が多い、市制を敷くまではこの辺りは添上郡を名乗っていたわけだから、むしろ洒落た町名など似合わないと言ったところ。自分(一人称)は子供の頃、何で添上郡ではないのに天理市に添上高校があるのかが不思議でならなかった、添上郡と言うと奈良県の一番東の端っこ、三重県がすぐ隣の月ヶ瀬村のことでしたからね。しかし当時は添上郡、添下郡が奈良市、天理市、大和郡山市を含み込むような大きな郡部だったとのこと、だから添上高校が天理市にあっても何らおかしいことはないと言うことである。でもその添上郡も2000年代の市制再編成で奈良市に組み込まれて、その名前自体が消滅してしまった、ちなみに添上の「soe」は「佐保(saho)」に起因しているとか。と言うことで話は逸れてしまいましたが、伊豆七条集落もさらりと通り過ぎて、その後は国道24号線沿いにある横田の集落へと入って行く。横田も奈良の人ならよく知っている地名、国道24号線と25号線が交差し、西名阪道郡山インターもあるいわば交通の拠点となる所。しかし一歩町の方に入ると、そんな車のせせこましさなどどこへやらの、緩やかな時間が流れる空間へと投げ込まれたかのよう。しかし往事はこの地にも城があり、町も防御のための造りとなっているとのこと、そんな物騒な雰囲気があった所など今では全くうかがうことなどできない。
国道24号線と県道754号線、2つの幹線道路にはさまれた所にある美濃庄集落、周囲を田園風景が囲んでいる中にあって集落が島のように浮かび上がったように見えている。この集落をはさむようにある道路はよく走る所だが、さすがに集落の中を走り抜けることは今までなかった。写真2枚目、3枚目には結構重厚そうな民家があるが、地元の有力者が住んでいる所だろうか?まあ1週間もあれば建ってしまう家が現代の主流なことだと思えば、この辺りにある家はどこも有力者の家に見えてしまいますか。最後はその美濃庄集落から西へ、国道24号線を越えた所なある若槻集落、ここも周囲を田畑に囲まれた小さな集落、自転車でも2~3分もあれば通り抜けてしまう。そんな小さな集落だが、大和郡山市の環濠集落の中では稗田、番条と共に名前はよく知られていて、町中にはこの集落が大和郡山市指定の文化財(史跡)であることを案内する看板も立っている。集落の周りには農業用水路が流れていて、そこから一歩抜け出た所は郡山東中学校を中心として、町や道が整備されて車も走りやすくなっている。と言うことで、ここまでほとんど名の知られていない小さな環濠集落を巡って来ましたが、次回はこのシリーズの最終編と言うことで稗田環濠集落を・・・もう何度も行ってるやん、また行くんかい、ネタないんか~って言われそうですが、まあそう言わずにお付き合い願えたらありがたいことです、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました・・・・・・・・・・・まちみち
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