まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.2039 しまなみの旅2023年(3)・・・親切は難しい

2024-02-20 01:18:51 | 旅行記
よろしくお願いします。




















しまなみの旅1日目、大三島へと入り外周コースを進んで宮浦港へとたどり着きました、ここは元は大崎上島木江港とフェリーでつながっていた所、そのフェリーの寄港地が宗方に代わって少し不便になってしまいました・・・このことが後に自分(一人称)の大失敗につながります・・・。ひっそりとした港には小さなフェリーが止まっていてサイクリングの団体が乗り込んでいた、多分自分たちでチャーターしたのだろうか、ここからどこに行くんかなあ?さて、自分(一人称)の走りの方は役場前を過ぎて参道を進んで大山祇神社へ、ここには重要文化財もあるようだが前予習はしてなかったので、とりあえずあれやこれやと写真を撮っていく。後で確認したところで拝殿は撮れていたがその奥の宝殿と宝篋印塔は撮ってなかった、宝篋印塔は神社から離れた所にあるので初めからノーマーク、やはり前予習は必要だな~。それにしても今日は12月30日なのに参拝している人が多いなあ、初詣を先倒しして来ているんかな?そう言う自分(一人称)は参拝はしないでただ足跡を残すだけです。













多々羅大橋を目指しての峠越え、いつもは国道317号線を行くのですが今回は時間に余裕があるので自転車道に設定されている山道へと入る。一瞬国道から離れて山の中へ入って行くので不安になってしまうが、コースは道なりなので迷うことはなく再び国道に合流、峠を越えると後は一気の下りで海が見える所へとたどり着く。やがて多々羅大橋の袂の道の駅に到着、サイクリストの聖地の碑があるがここはもうスルー、そもそも自分(一人称)はサイクリストではなく自転車で旅をする一般人・・・いっぱんじ~ん、ルパン三世~って何かあったなあ・・・ですので。多々羅大橋の途中で愛媛県とはお別れ、わずか数時間の四国の旅でした、ここからは広島県、と言うことで生口島へと入りました。橋を渡り終えてすぐの所で休憩、ここは展望台となっていて橋と瀬戸の風景がきれいに見渡せる、ここでとある親子に話しかけられます↓↓↓

「私たち、今治に行きたいのですが、大三島からフェリーってあります?」

話し方からすると外国人みたいだった、ここは自分(一人称)も親切心を見せてあげなければ、と言うことで↓↓↓

「今治やったら大三島よりもうひとつ橋を渡って伯方島から船がありますよ」
















いいことをした後は気分良く坂を下って行く、生口島はレモンの島、山の斜面にはいっぱいのレモンの木、それを見ながら下っていて思い出した、大三島から今治行きのフェリーがある・・・。宗方港から今治行きのフェリーがある、しまなみの旅ではよく利用している便だ、完全にド忘れしてしまっていた・・・、下りの途中だったが良心が痛み出した。これは教えてあげなければ、と言うことでUターンして坂を上ってさっきの展望台へ、しかし遅かった、さっきの外国人の親子はもう出てしまっていた、ああ~、これはしたり、僕としたことが・・・。そんなわけで後悔を残しながらの生口島の走りとなりました・・・が後で調べてみたところ宗方から今治へのフェリーは1日2便で1便目は午前中に出てしまっている、次の便は夕方なので今から行っても4時間くらい何もない所で待たなければならない、それなら伯方島から高速船の方がまだマシかも、って言うかそのまましまなみ海道を走るのが一番早く今治に着けるんじゃないか。あの親子がその後どういう経路で今治まで行ったかは分からないが、自分的には少々後味の悪さが残る出来事になってしまった。でも旅はまだ中盤、この後は島を2つ渡って尾道へと向かうわけですが、その記録についてはまた次回と言うことで、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.2038 過去旅より・・・2018年、香川琴平へ

2024-02-18 18:52:22 | ふうけい
よろしくお願いします。


















写真は2018年の秋に香川県を走った時のものを貼っています、この旅はそれまで控えていた宿泊旅を再開させた時のもので、初日は岡山県を走りその後瀬戸大橋を渡って四国へ入り丸亀で宿泊、2日目は丸亀港から琴平へ向けて走り始めました。まあ人にはいろいろな事情がありまして、2016年、2017年は宿泊旅に行けませんでした、2017年の年末のしまなみ海道は日帰りの強行軍でしたからね。3年ぶりに泊りの旅を再開させて、まあそれからも予算の都合なので1年に2回のペースですが行くことにしています、今年もGWの予定は押さえました、まあまだ仮なので変わるかも知れませんが。ただ値段が手頃なホテルがなかなかないんだよなあ、GWは1月の時点で取れない所ばかり、そのGWが終わるともう年末の心配をしなければならないくらいです。

















旅の思い返しをしておきましょうか、丸亀から琴平までは金毘羅街道を進んで行くが途中で文化財巡りのために善通寺市に寄り道。善通寺は前に泊まったことがある町、映画『サマータイムマシンブルース』『曲がれスプーン』のロケ地になった所ですが、泊まった時は夜暗いうちに町に入って翌朝は早くに琴平へと向かったので巡りはほとんどできなかった。この時は市の中心部に点在する登録有形文化財と、その文化財に指定されている善通寺駅で電車の写真を撮ったのですがこの時もほぼ駆け足となってしまった。昨年末のしまなみの旅の2日目にここを回ろうかと思っていたのですがそれは悪天候・・・の予報のため、実際はそうではなかった・・・のために断念、後への宿題となってしまっているのですが、今年中に行けるかどうかはお金との相談です、懐は相変わらず厳しい状況なので・・・。














琴平は何度か自転車で走ったことがありました、ただこの数年前に来た時もこの時も午前中での来訪でその後高松へ向けて走ったので、琴平ではあまり時間をかけられなかったのが残念。金毘羅宮までは長い階段の上り、これは電車で訪れた時に2度、自転車で来た時には1度上ったことがあります、上りは得意なのでほとんど苦になることもなく上までたどり着くことができました。写真の時の旅ではないですが、自転車で訪れた時に神社の上り口付近に止める場所がなく手前のお土産屋さんに聞いたら店の横に置かせてもらうことができました。帰りにお礼で一六タルトを買わせてもらったのですが正直荷物になって仕様がない、帰りの高松駅からのマリンライナーの車内で1本丸ごと全部食べてしまいました。琴平もこの時以来行ってないので善通寺と合わせて久々に行ってみたいと思っているのですが・・・、まあすべてはやりくり次第です。来週は3連休なので日帰りで遠出でも、と考えているのですが天気がまた意地悪を仕掛けてきています、もう~、いい加減にしてえやあ~、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.2037 本◇新

2024-02-15 08:06:23 | 文化財
よろしくお願いします。
















まず最初のゾーンにある写真は奈良ではお馴染みの2つの三重塔・・・6重に見えるがこれは3重・・・が見える風景、西ノ京にある世界遺産薬師寺です。いつもの頼りのwikiによると↓↓↓

「天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、百僧を得度(出家)させたとある。薬師寺東塔の屋上にある相輪支柱に刻まれた「東塔檫銘」には、「清原宮に天の下を統治した天皇(天武)の即位八年、庚辰の歳、中宮(後の持統天皇)の病気のため、この伽藍を創り始めたが、完成しないうちに崩御したので、その意志を継いで、太上天皇(持統)が完成したものである」旨が記されている。」

とある、「病気平癒を祈願」と言うことから薬師如来を本尊として薬師寺と名付けられたわけか。自分(一人称)が小学生の頃には西塔がなくその跡にあった礎石の雨水がたまった所に東塔のてっぺんが見えると教えてもらった。その後西塔が復原され2つの塔が並んで建っていたが東塔が平成の大修理で10年以上箱の中に隠れてしまいました、確かその工事の直前にAKB48がここでコンサートをやったんだよなあ。今はその東塔も修復され再び2つの塔が並び建っています、うちから自転車で10分ちょっとで行ける所なのですが拝観料が高いんだよなあ、貧乏人には敷居が高い寺院です。




















ただし「後に持統天皇となる皇后の病気平癒を祈って天武天皇が建立を誓願した官寺」と言うのは西ノ京にある寺院ではなく最初は今の橿原市にあったとのこと、完成は698年とあります。平城京遷都が710年でその数年後に今の場所に薬師寺が移転、橿原市にある薬師寺は「本薬師寺」と称されることになるのですが、それが今の本薬師寺跡、ここではもう何度も取り上げたことがある場所です。今は住宅地と田んぼの中にひっそりとある寺院跡ですが、元は今の薬師寺と同じように東塔と西塔がありその間に金堂がある様式・・・笑い飯哲夫がその形を「薬師寺式伽藍配置」と説明していた、他にも「法隆寺式」「四天王寺式」があるらしい・・・で規模も同じくらいだったらしい。本薬師寺跡と言うとここでも何度も取り上げたのがホテイアオイの植栽、初秋にはたくさんの人が訪れて花を見ることができたがここ4年は中止となっている。コロナ禍の影響が長引いているからと思ったが、どうも橿原市の財政難が原因らしい、コロナ化が収まって再開を楽しみにしていたが中止が続いていたので気にはなっていたがそう言うことだったのか・・・、再開のめどは今のところ立ってないとか、やっぱり厳しい世の中なんだなあ。













奈良市にはもうひとつ薬師寺があります、東大寺、春日大社の南側の小高い所にある寺院が新薬師寺です。シン薬師寺じゃないよ・・・って言うのは冗談ではなく、名前はいっしょでも西ノ京にある寺院とは関係ない・・・747年、光明皇后が夫聖武天皇の病気平癒のため新薬師寺を建てた・・・とのことです。新薬師寺で思い出すのが浅見光彦シリーズの『平城山を越えた女』、戦時中にここから盗まれた香薬師像を巡る物語で、当尾の郷や奈良坂、秋篠寺など奈良ではお馴染みの地がミステリーの舞台となりました。
しかし名前は同じでも上記の2つの寺院とは関係ないなんて、本家の屋号を名乗るなんて失礼じゃないの、と思ったが薬師寺を名乗る寺院は全国には212か所あるとのことです。大きな寺院や街角には薬師堂と言う建物があり、至る所で薬師如来が信仰されていると言ったところでしょうか・・・ってなるとまたまた巡ってみたくなりましたね。そんなわけで新しい目的ができました、文化財巡りと合わせてしばらくはネタに困ることもなさそうです、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.2036 北近江の旅(3)・・・久しぶりの宿場町

2024-02-13 09:42:50 | 旅行記
よろしくお願いします。
















冷たい雨の中で始まった北近江の旅、浅井三姉妹の里から石田三成の郷へと相棒君を走らせ旅もそろそろ終盤へ、次の目的地は醒ヶ井宿、行きたい行きたいと思ってもルートから外れたり時間がなくて断念したりでここ数年行けないままでした。石田三成の無念が詰まった石田の町からトンネルを越えて伊吹山が大きく見える所へ、以前春照から走ったことがある道へと入って醒ヶ井を目指します。途中には新幹線が見られるポイント、あまり時間はないのでここは本数を決めて写真を撮る、8枚だけのミニミニ会いに行こうコーナーでした。新幹線が過ぎた後ろにはカントリーエレベーター、一昨年(2022年)から始めた巡りも数が少ないので滞りがちですが、今年は機会を見つけてまた再開する予定です。県道を南に進んで行くとJR東海道本線の線路が見えてくる、その向こうには東名の高速道路、その手前が醒ヶ井宿なのだがそこに行くにはこの線路を通り越さなければ・・・。

















近辺に踏切がなくしばらく走っていると線路と国道をくぐる地下道があった、そこを通り抜けると急坂を上って突き当たった所が旧中山道、坂を下ると醒ヶ井宿の東の見附、ここから宿場町が始まる。町並に入ると左手側に水が湧き出る所がありここから旧街道に沿っての流れが始まっている、川底まで見渡せる透明で冷たそうな水、静かな流れに梅花藻もユラユラと揺れている。久しぶりの旧街道巡り、ここは相棒君をゆっくりと、風景を目とカメラに焼き付けながら進んで行く、登録有形文化財の建物もあってここは何度来ても飽きない所、今回は間が開いたのでこの風景をじっくりと堪能していきます。今回の北近江の旅、一応目的の巡りは全部終わりました、後は帰路となるのですが、さて、どこの駅を最終目的地とするか・・・、電車代をできるだけ詰めておきたいので、ここからは距離との戦いです。
















JR米原駅を過ぎた辺りで、さっきまで空が見えて陽も差していた空が一気に黒い雲に覆われてきた、と思ったら彦根市に入る手前でザア~ッと降り出してきた。もうホンマに分かりにくい天気だわ、一気に降りがきつくなってきたので東海道本線のガード下で雨宿り、15分ほどその場にとどまっていたがその間に上を通り過ぎた電車は2本だけ、本線と言ってもここではもうローカル線並みなんだなあ。雨が上がって再びスタート、遠くに見えている彦根城が曇り空の下でくすんだ色から、空から差し込む陽に照らされて白く輝いている。彦根の中心部に入ると雨にぬれた路面に陽の光が跳ね返されて眩しい、人の通りも多く賑やかな雰囲気なだけにここは気をつけて行かなければならない、彦根の町は今回は時間がないのでスルー、県道2号線をひたすら先へと進んで行く。彦根市を過ぎて東近江市へ、何かと気になる町だが今回はスルー、小さな峠を越えると安土城へとたどり着く。今回の旅は大河ドラマをたどってのことだったので最後は安土城で締めようかと思ったが、ここは城に上るのにお金を取られるんですね。しかも三重塔がある寺院に上る階段は封鎖されている、前は自由に上ることができたのに・・・、いかにも観光に走り過ぎた感じだが今やこれが当たり前なんですかね。最後は近江八幡も過ぎてひたすら県道2号線を進んでJR野洲駅、時間も体力もここまで、と言うことでこの駅から輪行で帰ることにしました、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.2035 しまなみの旅2023年(2)・・・陽光きらめく瀬戸の海

2024-02-09 10:25:50 | 旅行記
よろしくお願いします。


















さてさて、前回のプロローグ編から始まりましたしまなみの旅、いよいよ本格的に旅の記録をお送りしていくこととなります、まずは新幹線を三原駅で下車してJR呉線に乗り換えです。やってきた電車は今広島県内を走りまくっていて昨年も乗ったことがある新型の車両、空いているので進行方向左手側のクロスシートに陣取る。三原駅を発車した電車は市内をS字を描くように進んで行く、いつもは自転車で走りながら地上から見る風景を、少し高台になった所から見ながら進んで行くとカーブに差し掛かって来た辺りで電車は減速する。窓の外には朝の陽光が輝く瀬戸内海、ここは眺めがいいよ~ってな感じで電車がサービスしてくれているのでしょうか。その後も車窓には海の広がりが続いている、この風景は手に取っておきたいと思い窓ガラス越しではあるが写真を撮っておく、そう言えば昨年の大晦日にはJR呉線を相棒君で各駅巡りしたんだった、やっぱり電車だとあっと言う間だなあ~。
忠海駅で下車、結構たくさんの人が下りたみたい、となるとみんなお目当てはあの島なのかな。フェリーの出航までには時間があるので余裕をもって相棒君を立ち上げ、昨年(2022年)も立ち寄った駅前のコンビニで朝食をとってやっと出発・・・と言っても踏切を渡るともうそこはフェリーターミナル、たった1分だけの走りだった。忠海港は昨年も立ち寄った所、しゃれた建物に賑やかな音楽が鳴り響きたくさんの人が桟橋に並んでフェリーを待っている、自転車は桟橋の先の方で待ってくれと言われたので人の列を横目に過ぎて一番先方に、海に近い場所でフェリーの到着を待つことにする。

















フェリーが到着して乗客と車が下りると自転車は一番最初に甲板に案内される、久々の船旅、今年(2023年)は東海地方に重点を置いて西はおろそかにしていたからなあ~、来年はバランスよく行きたいものです。デッキに上がるとたくさんの人が乗船していた、大三島を経由して四国に帰省する人もいるだろうが、子供連れの家族が多いとなると皆さんの目的は大久野島だろう。戦争の影が残る島も今ではウサギで有名、その大久野島には15分ほどで到着、デッキ上から見ているとやはりたくさんの人が下りて港の近くに止まっているバスに乗り込んで行っている。これで船内は静かになるかと思ったら、島からもたくさんの人が乗り込んできて再びデッキ上も賑やかとなった。目指す大三島は真正面、右手側には大崎上島が見えていてまたまた旅情を誘われてくる、一方の左手側には陽光が輝く海の上に多々羅大橋が立っている。この橋は本来なら大三島へ渡るはずだったのがこの後大三島から渡ることとなってしまう、天候が悪くなるとのことで予定変更したのだが、今日ばかりはこの好天を恨んでしまいたくなっている。














それでも晴れてくれるのはありがたい、陽が降り注ぎ寒さも全然感じない・・・どころかちょっと暑いよ。例年この時期は天気が荒れるんですよね、2019年は雨で出発を遅らせ2020年は香川で強風と雪と寒さで足を乱らせてしまった、2021年は大雪の予報、寒さは半端なかったが旅は無事に進めることができた。旅の一週間前になると天気予報の週間天気をチェックするが大概が雨予報でガックリさせられる、今回もそう、しかも大晦日は荒れるとのことで予定を変更した。ちょっとテンションは下がり気味で出発したが、やはりこの天気とこの風景を見ると自然にテンションは上がってくる。さあ、フェリーは大三島に到着しました、四国上陸は叶わなかったがここは愛媛県、ほんのささやかな四国旅行の始まりです、まずは外周コースで宮浦、大山祇神社を目指して走ります、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち