湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

今日で5年となりました

2022-09-22 10:52:00 | コラム
2017年9月22日に
私は、ここに来たようです(笑)
ですから、gooでブログを始めて、
丸5年。
明日から6年目となります。


当時の心境は
Facebookの煩わしさに
嫌気がさして?
逃げてきた、、、(笑)

Facebookでの実名での投稿は
嘘や虚構ではなく、各人の自身の発言となり、もっと人間らしさを
垣間見れるツールだと思っていたこと。
しかし、誰でも虚構と承認欲求が必要なようで、それを得られるかどうか(いいねの数やコメントの数)が、一部の人にとっては一大事。

私には、そんなに関係なかったけれど。
しかし、
人の出来事においての感情の『共感』が、とても嬉しくて、
書いてくれるコメントも
俗に言う裏からの意見?
(メッセンジャーと言うLINEのようなやり取りの機能がもれなく付いてくる)
最初は嬉しかったものだ。

しかし
慣れてくれば、
井戸端会議の個人的延長のような。

自分の生活を営みながら
人の言葉にどれだけ耳を傾けていられるのかー。

人は、全て同じではない。
人としての凸凹のあり様が違って当たり前の中、矯正しょうとする流れ。
強くは、排除までになってしまう流れ。

言葉一つ一つの中で、
良いことも沢山あったけれど
悲しいことも沢山あった。

SNSでの心の乱れは
結構、自分の生活を脅かすものになるなんて初めて知った。

たしかに
その中でも、色んなやり取りをして
親友かーと、思えるような出会いもあった。
けれど、それは沢山必要じゃない。
沢山あるほうが、胡散臭いでしょ(笑)

付かず離れず
理解や心遣いを少しやり取りできれば、自然とそんなツールなしでも
いつだって繋がっていけるということがわかった時点で
自分の中のFacebookと言う選択は消えた。

だが、
自由に書きたい。

誰が観てようと
誰かを攻撃するものでなく
自分の気持ちを吐露するものなら
その時々を各人が
それぞれに当てはめて
自由に読んでくれたりしたら、、、。

ここには(goo)
インスタのDMや、Facebookのメッセンジャー機能もない。

表のコメント機能はあっても
煩わしい人にとっては
その機能を使わずに済める。
いいねの数や、アクセスの数を
数えたい人には、数えられるようになっている。

ちなみに、私は
いいねの数は気にはしていない。
有難いと、心から思うが
人の文章を読んでいて
そのいいねの数と内容が一致してないんじゃないかーと思うこともあったり。
外部からのアクセス数や順位は、
必ずいいねの数には、反映しない。

ましてや、
私なんぞの書いた文章に
一貫性がなく
気ままに書いている身にとっては
順位や数は、望むのは間違ってるとさえ思う時がある。

表題をしぼって
書いておられる方々は
アクセス数、順位、いいねの数は
とても大切なものだと言うことは、重々知っている。

私のスタンスは、、、(笑)

こっそり書いて
こっそり、読んでいただく(笑)

なんのチカラもなく
ただ、自由に生活を書いてます。

こうして、今まで生きてきた61年の歳月の1番悲しい時代の物語を
こちらのgooで、気ままに書き綴って来られたことは、
私にとっては、最高の場所でした。

これから、どうするかー。
一つの課題ではあります。

両親が2人、ほとんど一度に亡くなり、どうしたら良いか。
実は、まだ、悲しみから脱してない自分がいるのです。

数えたら、介護とは言わず
年寄りと、寄り添っていた年数は
決して短くなくて
未だに、頭の隅にある思い出は
忘れてしまっていいものと
たとえ、嗚咽に似たものであろうと、忘れたくないものと。

人と言うのは
本当に不思議な生き物だと思う。

また、それが愛しいのだと思う。
自分も、ひっくるめてね(笑)

色々な方がいる
様々な人がいる

未だに、そこを勉強しているのには違いない。
ここ(goo)でも同じ。

皆さんの書いたものを読ませて頂く。

私は、自由に書く。

ただそれだけで、様々な事柄を
受容したり、素直になったり。


この場があることが
それぞれの方々の拠り所や
癒しや、気付きになりますことを、、、。

もちろん、私にとっても、、、。
また、よろしくお願いします。

いつも、自分勝手な文章だとは
わかっていますが。

しかし、皆さんも自分勝手で(笑)
自分勝手ですから、怒ることも大切なはず。

大きな受容と素直な(そこ前提)の自分勝手の人が
沢山、寄れば寄るほど
もしかしたら、面白い世の中の流れが出来るのかもしれないと思う。

危険なだけの自分勝手な方は、ご遠慮願いますが(笑)



昨日、やっと
『マトリックス レザレクションズ』を見ました。

あの、美しきネオ(キアヌリーブス)は、悲しい目のワンコみたいになっていて。

年を経てからの期待される役割って
難しいと思いながら見てましたが、
20年の歳月は、当時の姿と言うのは幻想。
そのままと言うほうが無理がある。

歳月は歳月として
年老いたキアヌを現実のものと見るならば、今のキアヌだって、
『良い歳のとり方をしている』って。


最後には、もう一度、空を飛び、
目の輝きさえ違うキアヌがいたのは、さすが役者さんなのだろう


それを見たら
映画の中ではあるけれど、
一瞬一瞬が永遠だったってこと。

20年前の姿は永遠になり
20年後の今の姿も永遠ってこと。

変わって当たり前で
変わってないとおかしい。


マトリックスの第1作目のエンディングも、永遠かな(笑)
言葉の内容も、音楽、映像も。














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