湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

歯医者で溺れる、、、⁈

2021-03-22 18:15:00 | コラム
友達によく聞いたりする。

『ねぇ、歯医者さんで溺れたことない?』

『そんなことあるわけないでしょ⁉️』と答えが返ってくる。

『えー、溺れたことがないの⁉️』

『そう言う、アンタは溺れたことがあるの⁉️』

『あるから聞いてるんじゃん❗️』

『うそ⁉️』

だいたいは、こんな出だしの会話となる。

しかし、話が進むにつれ
どうやら友達も溺れた経験者だとわかると、一気に話は盛り上がりをみせる(笑)


あの歯を削るドリル
水を出しながら削り進む

横になって我が身
私は舌で水の侵入を防ごうとする。
歯医者さんの手は、チカラがはいって
私の口のヘリをコテがわりに手を押し付けながら
中へ、奥へ侵入してくるので
その圧力で、一瞬喉が潰されそうになってしまう。

ドリルの水が口の中で溜まっていく。なんとも気持ちが悪い。

そう言うとき、
すかさず、歯科助手さんがバキュームを投入するも
水の溜まっている場所じゃなかったりする。

、、、そこじゃない、ちがう、場所確認してよ、ちがうって、、、


自分の舌の所在を確かめる。

歯医者さんの指に自分の舌をおしつけるわけにもいかず
唾液と、ドリルの水を口の中で
舌一つで分けているが
唾液をゴックンしたくなる。


一瞬、喉がせり上がり
舌が上下する。

歯医者さんは何事もなく
ドリルで突き進む

く、、、苦しい、、、

ドリルの水が舌の土手を超えて
喉に流れこもうとしてくる、、、

お、、おぼれる、、、、。

手足がバタバタしそうになるw



『ってね、そんなふうに、なったりしない?これが溺れるってことでしょ⁉️』


そう話すと
ほとんどの友達は、そうだ、そうだと、やっと笑いながら同意してくれる。


ホッとする

わかってもらえて良かったーって思う。

なにせ、若い頃のトラウマで
歯医者さんが大の苦手な私。

思い出すは、幼き頃
私の乳歯は親の気にするところにはなく

大人の歯が生えてきても
私の乳歯は頑張った。

要らぬ頑張りのせいで
両端の下顎の糸切り歯は
顎に沿って上に立つのではなく
口の中、喉の方向に生えてしまった。

鬼歯の反対だと言えばわかりやすい。

数々の虫歯があっても
その両端の歯は立派になりつつ
それでも、両親の事情で
なかなか歯医者さんには行けなかった。

父親の消息が消えたりする中
母の内職だけでは
保険証を取得するまでに至らず
小さな虫歯は現金でなんとかなっても、他の歯はどうすることもできなかった。

大人になって
自分が働き始めると
勤め先の近くの
評判だと言う歯医者さんを訪ねた。

私の口の中は、
問題の鬼歯の隣の歯が既に虫歯で
抜くことになってしまっていた。
おまけに親知らずが生えて来ていた。

まずは、あの鬼歯の隣の虫歯を抜いた。
歯肉が落ち着くまでは
ブリッジすらかけることはできない。
歯肉が固まる間に
親知らずを抜くことになった。


両下顎の奥の親知らずを
片方づつ、3日間をあけての抜歯

当時、それが当たり前だと思っていた。
なんの説明もないまま
親知らずは抜くと。
まして、3日だけあけて、、、。

一本目の抜歯には、なかなか血が止まらず、そんな中でも仕事をこなし、やっと止まったころに
二本目の抜歯。

二本目の抜歯のための麻酔を打ったあとに、目の前が真っ暗になり
心臓は動悸により息が苦しくなった。
失神には至らず
先生に話すと
舌打ちをされたあと
しばらく放置

少し落ち着いた頃に
先生がきて、抜歯を行った。


それから怖くなって
歯医者さんへは足が遠のいた。


のちに、親知らずは、命さえ奪うことになりかねないことを知り
余計に、その時の処置を怖く思った。


鬼歯の横の歯を抜いて放っておいたせいか、喉に向かって生えていた鬼歯は、
向きを変えて、本来あるべき場所へと移動して真っ直ぐに上をむいた。
これは、不思議なことだった。


長い間、方向の違う歯がある場所は
近くからみたら、少し隙間に見え、歯さえ一本抜けたままなんじゃないかと思うほど。

歯並び、虫歯、鬼歯は
私のコンプレックスになり
震えてしまうほどのトラウマになっていった。


しかし、歯というものは
手を入れてしまうと
数年間後には
また、やり直さなきゃいけなくなってしまう。

ある日、歯の痛みに耐えかねて
意を決して歯医者さんに行く決心をした。

今度は、片方のまだ一本残っていたあの、喉の方に向いたままの鬼歯の隣の歯を削ることになった。
被せるためにかなり歯を削った。

そこまでで、また私は
また気分が悪くなり
治療を残念してしまった。

その削った隙間をぬって
もう一本の鬼歯も
不思議なことに本来あるべき場所の上へと向き変わった。


歯医者さんに通うと
肩こりがし、頭痛がし、
どういう訳か、足の太ももさえ筋肉痛。体にチカラが入ってしまうのだろう。
そして、体調が悪くなる。


かなりのストレス。
私にとっては、歯医者に通うことは
臨戦体制をもって歯医者さんのドアに立つのと同じ。
椅子に座るのは、決死の思い。


今も、どうしても治療が必要な時、歯医者さんへの通院は
前の日からイライラが募り
当日は、他のことは考えられず
ただ、静かに、そのストレスと立ち向かうことしかなかった。


もし、普通の家庭で
保険証の心配なく
乳歯の処置をして、然るべき歯医者さんでの治療をしていれば、、
私のちいさな顎には
親知らずが出てくるスペースはなかったのかもしれないなどと思ってしまう時がある。


せめて、自分の子供にだけは、こんな思いをせずに済むようにと
こころを配ってやってきた。


自分の苦手は、子供の苦手にはしたくなかった。


これからも
まだまだ、歯との戦い?
いや、歯医者さんとの戦いは続くのだろう。


これまでの自分のコンプレックスやトラウマは、親しい友人にさえも語ってはこなかった。


ただ、面白おかしく
『歯医者さんで、溺れることはない⁉️』

友達から
賛同を得て、大笑いすることが
せめてもの慰めになる。

みんな同じなんだって思うと
少しは気が楽になるから
















甘くない満月ケーキ

2021-03-18 12:55:00 | グルメ
孫娘が5歳の誕生日を先日迎えた。

プレゼントを送ったことで、
息子夫婦達は、その時の孫娘の喜ぶ様を動画に撮って送って来ていた。


お嫁ちゃんは、綺麗なデコレーションケーキを作ってあげていた。
嬉しそうな孫娘の顔
小さな口元から吹きだす息
蝋燭がなかなか消せないものだから
画面を見ているこちらまで
一緒に『ふぅ〜』と
息を合わせていた(笑)



そうそうと、、、。
思い出した。

息子が一歳の誕生日の日。
私達夫婦は、かなりひどい夫婦喧嘩をやらかした。

生死を彷徨う大病を超えて
一歳を迎える息子の誕生日にと
私がケーキを焼こうと意気込んでいたときに、
そんなに一生懸命、一体何になる?とばかりに
幼い子を見ていてくれない相方との言葉のバトル。

田舎ゆえ、素敵なケーキ屋までの道のりは遠く、せめて、ケーキ屋さんが使っている乳脂肪分が多い生クリームを探しても、なかなかスーパーにはなくて
自分の車がなく
親戚、親も居ない中で
1週間の買い物を毎週一回しか出ていけない状況で誕生日の日を迎えた。


確か、スポンジのケーキを焼いて
冷ましてる間に、
私が車を出して買いに行きたいと言ったのだと思う。

しかし、返ってきたのは
辛辣な言葉だった。

何に、何故、そこまでして
生クリームを買いにいくのか、、。
何をこだわってる?

相方は、男性特有の拘りもなく、
私の思いを汲み取れずにいた。

どうしても、伝わらない気持ち。
泣いて訴えても
仕方なく、とりあえず買ってあった安い生クリームで間に合わすしかなかった。

一度は折れた
二度はない。そんな思い。

しかし、生クリームを攪拌して、ホイップしている時に
思わぬ言葉が相方から追加されたために
ブチっとどこか音がした。

憤った私は
相方に掴み掛かろうとした時
生クリームをホイップしてるハンドミキサーの線に手が思わず触れてしまって、ガラスのボール共々、
生クリームは、床に落ちて
粉々になり無惨なことになってしまった。

泣く泣く床に這いつくばって
それを片付ける私。


頭の中は
一歳の誕生日を普通にしたい!
それだけ
怒りは諦めに変わったけれど
それは、誕生日を祝うことは諦めではなかった。

生クリームを用意しなきゃ。

息子を抱えて、車に乗り込み
生クリームを買いに行った。

やっぱり、安い生クリームしかなくて、、、、。
その日こそ、田舎暮らしの切なさを感じたことはなかった。


しかし、時間もない。
また、安い生クリームを買って
帰宅してから、ホイップしてデコレーションした。


一歳の息子の誕生日は
そうして、投げ捨てらた気持ちを回収できずに、
なんとか『息子の一歳の誕生日』として、写真に収めることができた。


それからの誕生日は
自分では、デコレーションケーキは作っていない。
遠くても、ケーキ屋さんで頼むことにした。

娘の一歳の誕生日にだけ
私がデコレーションケーキを焼いた。
兄と同じようにしてあげなきゃ。
その思いだけだった。

それ以来、デコレーションケーキは焼いてないことになる。


ちょっとしたトラウマ的な気持ちが生まれてしまったから。

それから町は少しは発展し
美味しいケーキ屋さんも
あちこちできて来ていた。

それまで、反対に
田舎暮らしは、何もないから
なんでも自分でやってしまう、作ってしまうと言うことも言えて、
子供達のおやつを兼ねた簡単なケーキやシュークリームは、
数えきれないほど焼いたものだ。


子供達が幼稚園の頃
ママ友から教わった『満月ケーキ』


チーズを入れて焼くために
簡単なのに、少しチーズの塩気もあり、大人から子供まで食べられるからと、随分と焼いて来た。


今日、冷蔵庫の中には
ティラミスを作るつもりでいたクリームチーズの賞味期限が明日と迫っていた。


満月ケーキのレシピは、
もともと、プロセスチーズや
ケーキ用の無塩マーガリンを使う。

そこは、今まで焼いて来た回数の腕の見せ所。

プロセスチーズをクリームチーズに変え、無塩マーガリンを米油にかえ、しかも、砂糖を控えて
「きび砂糖」に変えた。
どうせならと、
薄力粉を全粒粉に変えて、久しぶりに焼いてみた。

我ながらうまく焼けたので安心。

誰にも邪魔されず、、、。

どうやら、私は
料理でも、お菓子でも、手芸でも
その作っている最中は、
集中させて欲しいと願うタチなのだと、作りながら再確認した次第(笑)


マドモアゼルいくこさん著書
『秘密のケーキづくり』




もう、なかなか手に入らない本。
メルカリでゲット!
ママ友から、教えてもらったものは置いてあるけれど、
元のレシピはこちらのもの。
かなり古い著書
しかし、この人のケーキレシピは、
いまだに人気がある。

何十年ぶりか
お世話になった先生に会った気分だった。

その中に出てくる『満月ケーキ』

プロセスチーズを入れることで、
お月さまの顔(月面)になる。




今回、変えたのは
小麦粉(薄力粉)→全粒粉
砂糖→きび砂糖50g
プロセスチーズ→クリームチーズ100g
ケーキ用無塩マーガリン→米油100cc








久しぶりの満月ケーキは
色んなことを思い出させてくれたようです。









愛を知る県からの春

2021-03-15 23:04:00 | コラム
もうかなり早春のころより
愛を知る県と書いて『愛知県』産の野菜がスーパーに並んで行く(笑)


ふき
菜の花
春キャベツ


気づけば
手に取るもののほとんどが
愛知県産だったりする。

たまたま、私の住んでいる関東の隅っこへの輸送が簡単?

いや、空港も近いわけではないから
関東全域に、愛知県産のものが並ぶのだと思われる。


昔、コブクロがライブの時に
『どこから来たのー』と
観客に向かってコール&レスポンスを始めるとき、即興で言ったのが
『愛を知る県、愛知県』と。


果たして
実際に、愛を知る人が多いのかどうか、わからないし
人がミャーミャー話しているのかも分からない。

とにかく
春が早くやってくる県なんだと思う。


もう、手頃な値段になって来た『ふき』を厚揚げと炊き合わせる。
この時期には恒例となった。


家族みんなが好きなものだった。


今日は色んなことがあった日だ。
私の相方がリウマチの疑いで、検査結果の出た日。
幸なことに多関節リウマチではなかった。

友達がWi-Fiにスマホを繋いだけれど、うまくアプリが作動しないからと、相談にものったけれど、
その友達の旦那様がお硬い人で
プラグを抜いて、再度差し込んでみてと言っても、ガンとして人の話を聞こうとしなくて
トラブルシューティングのサイトを探して、それを見せてやると
信用して動いた、、、。

困り果てた、仲をとりもつ友達

私は平気。
自分の相方の扱いで慣れているから
その手の昭和の男性はそんな所が沢山あることを知っている。

申し訳ないと言う友達が
やがて、熟年離婚の話までエスカレートしていく。

年金の計算をさせて、自分の取り分を計算させてみると
ため息と一緒に『我慢』だと言う。

いやいや、我慢すると嫌気がさす。
自分も気分よく生きて、相手も生かすには、『ボランティア精神よー』と諭してみると
案外、落ち着いていく。

夜には、
誕生日を迎えた長男の娘より
LINE電話が入って、先に送ってある誕生日プレゼントに、はしゃぎ回る(笑)
可愛くて
でも、今は会えなくて
抱きしめたくても抱きしめられない。
グッと堪えつつ、バイバイ👋

毎日が
ビュンビュンと飛んでいってるようだ。

しかし、時は『春』

少し、苦味のある野菜は
毒出しをすると言われている。

去年は、タイミングを逃して
この時期に食べられなかった『ふき』を食べながら
また、元気に過ごしていかなきゃね。

愛を知る県の食材で
愛を食べて、愛を分け与えられるように、、、、。

あ、今日が結婚記念日だと言う知人、友人が何故か数名www

やはり、愛を知る日⁉️(笑)









映画『太陽の蓋』

2021-03-12 21:30:00 | コラム
今日は、地上波で『FUKUSHIMA50』が放映されるらしい。

皆が知る、10年前に起きた原発事故

現場の混乱を描いているように見えるが、若干、脚色上、時系列が前後されていると指摘されている。


現場の過酷さは、
映像以上だっただろうと思われるところ。
頑張った人達はたくさんいた。
英雄がたくさんいた。
だから今は
少しは安全だと
そう思えるように作られている。


名前の通った役者さんが演じることの臨場感と、そのつくりは、
やや、エンターテイメントに傾いて、見終えたあとは、
『みんなよく頑張ってくれていたんだー』と、重苦しい中でも
すこしは、さわやかな風が吹き終わっている。


しかしながら
本当が垣間見えるのは、
同じ題材で、2016年に放映された
『太陽の蓋』と言う映画だろう。

官邸の番記者の目から見る政治と
避難された方々の混乱を描いてる。

これは、地上波では放映されていない。


かつて
この地震の多い国に、54基もの原発を建てた政権は、
この時は高みの見物。

そして、のちには、足をひっぱる題材として、取り上げられた、この災害。

その災害の対処を
新しい政権が対処した。
手探りの混乱の中、
それなりに、とても苦悩したと言えると思う。
私達がテレビの前だけで判断していたが、言うにいえない決断。

もし、同じことが起きたなら
今の政権は、、、
さて、、、、、、。


映画『太陽の蓋』を見た後
日本にいて
今までの政権に一票を投じた人々、
私も含め、こんなモンスターを
沢山作ってしまった罪を思うだろう。


重苦しい題材だけれど
もし、エンターテイメント的な映画だけで、満足するのは、片手落ちだと思う。


機械のことも
政権のことも
疎い私だけれど
幼い子供たちが困らないような
世の中を、環境を
私たちは残してやれるのか、、、。

いや、もうすでに、それは、無理だろう。
けれど、これ以上の『負』は、残さないでいることはできる。


さらに、考えてしまう。


ほんの偶然のことの重なりで
今に立っている自分達の姿は
またこれから先、いつ、同じ問題を問われないとは限らない。


そう思えた映画『太陽の蓋』だった。










雨が降った後に思うこと

2021-03-07 11:05:00 | コラム
温かい雨が降って

1日空けて
冷たい風がふいて

散々いつも、遅咲きの我が家の庭の
梅もやっと開いた次第

時間は確実に進んでる?

指折り数えても
時には、すこし汗ばむくらいの陽気の日もある。

寒い日の間に埋もれながら
春の日は
芽吹いて
主張してきている。

最近は、友達から色んな話を聞いたりしてる。
良きこと、そうじゃないこと。
楽しいこと、悲しいこと。

占星術で見るところの
星々たちが綺麗に散らばっているわけではなくて
春分点と言われている、はじまりの
牡羊座に太陽が入ってからも
今年は偏りながら進むから
何があってもおかしくないような
不安は隠せない形になっている。

人に当てはめると
格差を生むような、人それぞれの上下の運気が激しく、良し悪しの両極端の運勢となる。



テレビは
思い出したように、あの日の
3.11から10年だと騒いでいて
色んな特集をしている。


どれだけ復興がすすんだかー。

いやいや、人生そのものを、自然の猛威に晒されてなお、
人為的に変えさせられてしまった人たちがまだ、大勢いる。
その人達にしてみれば、たんなる通過点。
シンドイ毎日を突きつけられているのだろうと思う。


その上で、
3.11に良く似た、星の集まり方をホロスコープで見つけると
全然勉強不足、精進の足りない私とて、不安は隠せないほど。


人々はそれでも学習する。
また、あの日のことが起きたらなら、、、、と。
多分、それは、実際の被害を見た人達だけで、
もし、今度、違う場所で、3.11のようなことが起きたら
また違う戸惑いを生んでしまうだろう。


危機管理は、難しい。

けど、確実に想定内だとか
想定外だとか、
ボーダーラインは引かず
昔の歴史に学んでみると
紐解けるものがあるようにおもう。


それほどに、
繰り返されてきている事象が多い国。


ただ、怖いのではなく
知ることから始めてみることも大事なんだと思う。


神話や、都市伝説みたいになっている、昔々の地元の話なんかは、埋もれさせず、この際、学習させてみることで、新しい学びがあるのだと思う。

小さい時から経済を教えるために
投資の話をするんだとか、、、。
それも、資産運用の観念からは大事なことだけど、
自然災害の伝承していくことも
大切なことだと思う。


ふと、季節の移り変わりに思ったもので、、、、。