湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

唐津城と和歌山城

2018-03-31 18:53:08 | ポエム
桜の道は

『春には見るためにある』と歌った、しょうやん

そして
『大きくなったなら僕はジェットパイロット、青い空いっぱい君の名前書いてあげる』
とも、歌ったね。

優しい優しい歌たち

それぞれの桜があって
この刹那な思いの様々な場面


今年は
私は旅の移動中の中


義母と見た桜のほかに
唐津城の桜があったの


眺めれば眺めるほど
和歌山のお城を思い出すのは何故だろう


そして
頭の中で鳴り響く
『さくら さくら 今 舞い上がる
刹那に散りゆく さだめと知って』


そうだ
私は、母の言葉を思い出していたんだ

『もう一度、和歌山城の桜が見たい』と。


唐津城で
何故か涙が止まらなかったこと


いま、思い出していたんだ。












天秤座の満月と桜の色

2018-03-30 08:50:02 | ポエム
沢山のひとが行きかう


風は色んな匂いや色を変えながら
この季節はそうして
風は吹いていくんだね


そこに自分は立っていて
もう一人の自分が
見ているような感覚なのです。


みんな追い越して行っても
手の届かない場所に行っても
心は静かに
私はここに立っているのです


確かにいえるのは
嫉妬も劣等感も自虐もない
乾いてもいないしヒビも入ってない


温かい水をたたえたこの体を
自分の両腕で抱きしめて


小さな幸せを幸せだと
感謝する気持ちは忘れずにいること



明日は天秤座の満月
ブルームーン


浄化された魚座の新月より
満ち足りた世界の入り口で
新しい扉が開かれていく


一掃するように風が吹く


去年よりも
今年へ

今年から
来年へ


『春』という季節の刹那


桜が咲いて
綺麗に散っていくのは
その時の思いを閉じ込めながら
次に進むため


上を向いて
空を向いて


そろそろと
新しい新芽が温められているように



こころの中
風に舞い上がった花びらが
静かに落ちて
土に還り
また、次の花を咲かせるように




ふと見た誰かの庭先に
古い桜の木と
そばに小さな花桃の木


もも色と桜の色が混ざって咲いていた



人生って
こんなふうなのかもしれない











喜びのしずく

2018-03-29 12:25:57 | ポエム
去年の今頃のこと
お友達の娘さんが結婚された時に書いたものですが
また、私の大切なお友達のところからも
朗報が舞い込んだので
再び書いておきます。


*****************



草木は自分が花開く時期を
本当によく知っていると感心してしまう。


人もまた同じ
同じ季節
同じ風に吹かれれば
心の中で落とした種が根を張って
そこから素敵な花が咲くみたい。


たとえ記憶が途切れ途切れになった時がきたとしても
その心の花の花弁についた雫のことは
きっと忘れないことでしょう


******************


おめでとうと
どこかで聞こえる
何度もなんども繰り返すその言葉は
繰り返した分だけ幸せになるような。


春の日は
その言葉に
桃色の花びら達が
歩いていく道筋に
記しを残していってくれるような。


思いと願いと涙と
顔をくしゃくしゃにしたあなたが見える。


こみ上げる熱い思いと
喉の奥でツンと


その痛みまで
心に刻みながら
なんども
なんども
おめでとう、おめでとう。



誰のものでもない
家族への思いは
噛みしめるほどに
心の奥の奥に染み込んでいく。










愛のことば

2018-03-28 22:10:05 | 日記
スピッツの曲は
流れるとすぐに
高校時代の甘酸っぱいような
こそばゆいような
キラキラ光る時間の中から
取り出したワンシーンが溢れ出す


どの曲にも
それなりのシーンを思い出すから



しかし、
『愛のことば』は少し違うかもしれない


コアなファンの中には
圧倒的に支持されているようだけれど
歌詞に秘められたことばを探せと
曲名には『愛』が入ってるのに
歌詞には『愛してる』の文字がない



愛してると言わずとも
相手を思いやる言葉が隠されているよう


♪ くだらない話で 安らげる僕らは
その愚かさこそが 何よりも宝もの ♪


悲しいとき
『悲しいね』は、悲しみを持つ人には
寄り添うように見えるけど
寒い時に寒いねと言うのに似てる


寒い時は
笑わせて温めてほしかったりする


バカな言葉がかえってホッコリしたりする



心の機微は難しいけれど
分かりきったマトを外すと
以外に元気が出たりするもの







さくら、さくら

2018-03-28 15:22:40 | 日記
あちらこちらで
桜の便りがひしめき合っている

うちの今はいない両親も
毎年のように
桜の季節になると
『もう今年で桜も見納めかなぁ』と
いつの頃からか言い始めていても
変わらず毎年毎年と
年を重ねていっていた


去年の桜は
車の中から桜のトンネルを見たよね


しかし
今年の桜は
もう見ることは出来なかったね


ふと見上げた桜に思いを寄せた



つい数日前まで
私は北九州にいた

うちの相方の実家近くにある
推定、樹齢150年の桜は
山里の奥にあるために
まだ少ししか咲いていなかった


菜の花とミモザの黄色い花々に
囲まれたその山桜は
満開になるまではまだまだだったけれど

もし、満開になれば
それはそれは
素晴らしい眺めとなることでしょう








義母を
施設より法要のために連れ出した


やはり、義母は
その山桜のことを聞く


その桜の咲く様を見せてあげたかった

お彼岸に入ってから寒さが戻ったために蕾はまだ堅い


自分の親を亡くして
初めて知る『親が居ることの意味』
相方の兄妹は
その意味を知らないまま

私は
どうしても義母に桜を見せたかった
街の川沿いに咲いた桜を
車の中から見せていたけれど
何か物足りない

ちょうど
法要場所の温泉旅館の中庭に
桜が咲いていた


車椅子を止めながら
『桜だよ、桜が咲いてるよ』と
淡い色の上品な桜が
背伸びするように
囲まれた空間で
さも愛でて欲しいよと言いたげに咲いていた


ふと、自分の母にでも話しかけるように、桜のほうに指を指していた


義母は喜んで
桜の花びらのように
笑顔がほころんだ


今、見ている義母の目を通して
自分の親も
空から私を見つけて
一緒に見てくれているだろうか

せめて
まだ少しは元気な義母に
桜の花を見せることが出来て良かったと心から思いながら


その桜を見て
法要を済ませた夜

お彼岸ももう終わりを告げ行く日

私の夢の中に
私の両親が手に手を取って
私の方を見ている夢を見た

そうね
ちょうど
父が亡くなって百か日が数日過ぎたころ


もう
そんなには泣かなくなった私を見届けにきたのね

そしてまた
遠くの場所に行くんでしょ

大丈夫だよ、わたしは。

桜の花、見たでしょ

大丈夫だよ、毎年思い出すから。