湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

あんかけ焼きそば

2022-09-27 16:34:00 | コラム
数ヶ月毎にいく美容院

もう、そこの美容院には
25年ほど通っているかな。

昔から、美容院を変わるのは好きではなく、担当も1人

一つ年下の男性の美容師さんなのだが、気分にムラがある(笑)
しかし、腕は良いと私は断言できるので、彼の気分は、彼の能力と差し引きさせてもらっている。


だから
もしかしたら、私の方が、お喋りには気を使うかもしれない。
彼は美容師というより寡黙な職人さんといったところ。


ある日の美容院でのこと

たわいない世間話のあと、
その美容師の彼は私に聞いて来た。

『あんかけ焼きそばって好き?』

『ええ、大好きで、自分でもよく作って食べるよ』

『あれって、あんがトロリとかかってるでしょ?
最後まで、そのあんがトロリとしてる?』

おかしなことを聞いてくるもんだー。
私は、胸を張って
『最後の方は、あんがスープみたいになるから、お皿をもって、かき込むようだよね』


『そうでしょー?やっぱりー同じだねー。そう思うでしょー?けどね、世の中の多くの人は、最後の最後までトロリっとしてるんだよ』


『?? どう言うこと?』


『あんが冷たくなって、スープみたいになると思ってるでしょ?間違いなんだってー。俺たちは少数派なんだよ』


『えー、なに?なに?私達って、少数派って、他の人は、スープみたいにならないの?マジ??』


『マツコがテレビでやっていたのを見たんだよ。唾液の中の酵素が強い人は、お箸に唾液がついて、それで、あんかけを食べたら、スープみたいになるんだってー』



生まれてこの方、
人が食べる『あんかけ焼きそば』を最後の最後まで見つめたことはなく、自分には自分の前で起きてる事象を疑いもしなかった。
まさか、唾液の酵素(アミラーゼ)が、そんな残念な結果を及ぼすなんて、、、、。


美容師の彼も
この年になるまで
あんかけを最後まで、あんかけらしく食べきれないことに不思議だとは思いつつ、当たり前のことだと思っていたらしい。


かくして、気分屋の彼と盛り上がる(笑)

どうやら、唾液アミラーゼは、
トロミ成分の炭水化物である、デンプンをほんのふた口ほどで
全体のトロミを水のように分解してしまうらしい(すごいね)


恋人同士がいて、
あんかけ料理の一品をシェアし合う。
どちらか1人、アミラーゼ酵素が強いと、お箸で料理の取り方次第では、あんかけ料理があんかけでなくなるってこと(笑)


そう言うことって、あんかけ焼きそばのことだけではなくて
世の中の出来事だって同じ。


我が身に、起こってることは、
そのまま受け入れるから不思議だとも疑わないし、反対に、それが違うと言われても、ピンと来ない。
深く考えないと、そのままの流れに沿っていく。



栄養学的に、
小難しいことは分からないが
この酵素が多い人は、太りにくいとか、、、、

クラッカーを食べ始めて
人より早く甘さを感じる人は、アミラーゼ酵素が強い人らしいとか、、、


詳しく知りたい人は、是非、検索を(笑)


美容院での話の盛り上がりの最後は、
『じゃ、どうしたら、俺たちは、あんかけ焼きそばの最後の一本の麺を
トロミを絡めながら食べられるんだろう』

『取り箸で、あんかけ焼きそばを取って、ひと口分づつ、取り皿を変えながら食べてみたらいいんじゃない?』

『ああ、わんこ蕎麦方式ね』


美容師の彼と
そんな会話をしたけれど
やっぱり、今日も、一皿そのまま食べて、
最後は、スープ焼きそばだったー。

いつか、やってみよう
『あんかけ焼きそば』のわんこ蕎麦バージョン食い



マリオネットライン

2022-09-24 23:15:00 | コラム
2週間ほど前の朝の話。

お化粧をしょうと、鏡を見た。

『あ、マリオネットだ!』
何故か、好きでもない、布袋さんの歌がこだまする〜

♪ 鏡の中のマリオネット〜♪


鏡に映る自分の顔は
あの腹話術の人形の口元のよう

愕然とした

そして、その口角から顎にまで達する筋状の皮膚、、、

『マリオネットライン』って言うんだ〜!!

不覚にも、ほうれい線にばかり気を取られていた。

その日の朝から
頭の中は、腹話術師の持つ人形の
口をパクパクさせて喋る姿と
自分の顔がオーバーラップ

車に乗っても
対向車線に見えてくる車のフロントが、どうしても、マリオネットラインに見えてしまう。

どの車をみても
どの車種だとしても、、、。

ふと見た古びたビルの窓枠から
流れ落ちるようなサビの雫
『マリオネットラインだ!』

これは、自分でも、想定外のリアクションとなる

えー!?
まさかー!?

いやいや、私だってある程度の年だし、そりゃ緩んで来たりもするでしょ〜!?

いやいや、そのために、顔ヨガをして、防いできたつもりだったのにー!

夜にぬるクリームを高価なものにしょうか?
はたまた、洗顔の仕方がマズかったかな?

数日、マリオネットラインが頭から離れはしなかった。


そうこうするうちに
マリオネットラインと言う言葉が頭に浮かぶたびに
自分で自分がおかしくて
腹話術の人形と漫才しているような気になったりして、、、、。

1人で大笑いしてウケてた。

笑うと表情筋を使うので
マリオネットライン防止になるじゃん!

ようは、気にせずに
元気に笑って過ごすこと。

別段、変わったこともなく過ごしていたけれど、ピリッとした変化は
自分で見つけて
自分で楽しまなきゃね。


ちょうど、その頃
友達が、柿の木の剪定をしたから
葉っぱを取りにおいで〜と連絡があった
かねてからの約束だったので。


柿の葉茶用にと、沢山頂いてきた。

そのうち、30枚は
『柿の葉寿司』用として別にして
あとの葉っぱは、柿の葉茶にするために、干した。

(台風前には干しあがったので、良かったゎ)


しめ鯖を薄くきって
柿の葉で包んでいく

押しをして1日

頬張る口www
笑顔の私www

これでまた、マリオネットラインとおさらばできればいいなぁ〜

そう思いながら
たらふく食べて幸せなこと。

家人に一言
『お腹すいた〜か、眠たい〜しか、聞いてないような気がする』


食べられる幸せは、
たとえ、マリオネットラインがあろうと、無かろうと関係はないけれど
『食べられる』と、言うのは
嬉しいことで
小さな変化ではあるけれど
やはり、笑顔に通じていくもの

嬉しいことを作っていけば
表情筋が鍛えられるってこと。

それでいいよね^ - ^










今日で5年となりました

2022-09-22 10:52:00 | コラム
2017年9月22日に
私は、ここに来たようです(笑)
ですから、gooでブログを始めて、
丸5年。
明日から6年目となります。


当時の心境は
Facebookの煩わしさに
嫌気がさして?
逃げてきた、、、(笑)

Facebookでの実名での投稿は
嘘や虚構ではなく、各人の自身の発言となり、もっと人間らしさを
垣間見れるツールだと思っていたこと。
しかし、誰でも虚構と承認欲求が必要なようで、それを得られるかどうか(いいねの数やコメントの数)が、一部の人にとっては一大事。

私には、そんなに関係なかったけれど。
しかし、
人の出来事においての感情の『共感』が、とても嬉しくて、
書いてくれるコメントも
俗に言う裏からの意見?
(メッセンジャーと言うLINEのようなやり取りの機能がもれなく付いてくる)
最初は嬉しかったものだ。

しかし
慣れてくれば、
井戸端会議の個人的延長のような。

自分の生活を営みながら
人の言葉にどれだけ耳を傾けていられるのかー。

人は、全て同じではない。
人としての凸凹のあり様が違って当たり前の中、矯正しょうとする流れ。
強くは、排除までになってしまう流れ。

言葉一つ一つの中で、
良いことも沢山あったけれど
悲しいことも沢山あった。

SNSでの心の乱れは
結構、自分の生活を脅かすものになるなんて初めて知った。

たしかに
その中でも、色んなやり取りをして
親友かーと、思えるような出会いもあった。
けれど、それは沢山必要じゃない。
沢山あるほうが、胡散臭いでしょ(笑)

付かず離れず
理解や心遣いを少しやり取りできれば、自然とそんなツールなしでも
いつだって繋がっていけるということがわかった時点で
自分の中のFacebookと言う選択は消えた。

だが、
自由に書きたい。

誰が観てようと
誰かを攻撃するものでなく
自分の気持ちを吐露するものなら
その時々を各人が
それぞれに当てはめて
自由に読んでくれたりしたら、、、。

ここには(goo)
インスタのDMや、Facebookのメッセンジャー機能もない。

表のコメント機能はあっても
煩わしい人にとっては
その機能を使わずに済める。
いいねの数や、アクセスの数を
数えたい人には、数えられるようになっている。

ちなみに、私は
いいねの数は気にはしていない。
有難いと、心から思うが
人の文章を読んでいて
そのいいねの数と内容が一致してないんじゃないかーと思うこともあったり。
外部からのアクセス数や順位は、
必ずいいねの数には、反映しない。

ましてや、
私なんぞの書いた文章に
一貫性がなく
気ままに書いている身にとっては
順位や数は、望むのは間違ってるとさえ思う時がある。

表題をしぼって
書いておられる方々は
アクセス数、順位、いいねの数は
とても大切なものだと言うことは、重々知っている。

私のスタンスは、、、(笑)

こっそり書いて
こっそり、読んでいただく(笑)

なんのチカラもなく
ただ、自由に生活を書いてます。

こうして、今まで生きてきた61年の歳月の1番悲しい時代の物語を
こちらのgooで、気ままに書き綴って来られたことは、
私にとっては、最高の場所でした。

これから、どうするかー。
一つの課題ではあります。

両親が2人、ほとんど一度に亡くなり、どうしたら良いか。
実は、まだ、悲しみから脱してない自分がいるのです。

数えたら、介護とは言わず
年寄りと、寄り添っていた年数は
決して短くなくて
未だに、頭の隅にある思い出は
忘れてしまっていいものと
たとえ、嗚咽に似たものであろうと、忘れたくないものと。

人と言うのは
本当に不思議な生き物だと思う。

また、それが愛しいのだと思う。
自分も、ひっくるめてね(笑)

色々な方がいる
様々な人がいる

未だに、そこを勉強しているのには違いない。
ここ(goo)でも同じ。

皆さんの書いたものを読ませて頂く。

私は、自由に書く。

ただそれだけで、様々な事柄を
受容したり、素直になったり。


この場があることが
それぞれの方々の拠り所や
癒しや、気付きになりますことを、、、。

もちろん、私にとっても、、、。
また、よろしくお願いします。

いつも、自分勝手な文章だとは
わかっていますが。

しかし、皆さんも自分勝手で(笑)
自分勝手ですから、怒ることも大切なはず。

大きな受容と素直な(そこ前提)の自分勝手の人が
沢山、寄れば寄るほど
もしかしたら、面白い世の中の流れが出来るのかもしれないと思う。

危険なだけの自分勝手な方は、ご遠慮願いますが(笑)



昨日、やっと
『マトリックス レザレクションズ』を見ました。

あの、美しきネオ(キアヌリーブス)は、悲しい目のワンコみたいになっていて。

年を経てからの期待される役割って
難しいと思いながら見てましたが、
20年の歳月は、当時の姿と言うのは幻想。
そのままと言うほうが無理がある。

歳月は歳月として
年老いたキアヌを現実のものと見るならば、今のキアヌだって、
『良い歳のとり方をしている』って。


最後には、もう一度、空を飛び、
目の輝きさえ違うキアヌがいたのは、さすが役者さんなのだろう


それを見たら
映画の中ではあるけれど、
一瞬一瞬が永遠だったってこと。

20年前の姿は永遠になり
20年後の今の姿も永遠ってこと。

変わって当たり前で
変わってないとおかしい。


マトリックスの第1作目のエンディングも、永遠かな(笑)
言葉の内容も、音楽、映像も。