湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

三河みりん

2018-11-21 20:59:56 | 日記
やっと手に入れた!

『三洲 三河みりん』
雑誌で見た、大好きな料理人が
このみりんの虜だと書いていた


ずって憧れていた


ネットでは簡単に手に入るが
なかなか、その機会と
自分の思い切りに
うだうだしていて


すこし
自分の中でも余裕が出てきたのか
やっと思い切ることができた。


みりんなんて、単なる調味料?
だから、なんでもいい?


ちゃうちゃう、違います。


封を開けた時に香る匂い


日本酒のようでもなく
甘ったるしい匂いでもない


ちょっと舐めてみると
米の甘さが広がって
普通のみりんよりも味が深そうだ


そりゃ、普段つかっていた『本みりん』に比べても、お値段も、倍?
もっとかもしれない。



今日は、スーパーにいく日
獲物は、安いサンマにした


やや小ぶりのものを人数分の倍の数


サンマの佃煮を作ろうと思う

そう、三河みりんを使って。



楽しみで仕方ない


醤油と三河みりんと生姜、少しの酢

沸き立つゆげから、甘い米の匂いがした


小ぶりのサンマを
やや一口大より大きめにきったものを
熱くなった調味料に投入


圧力鍋で煮ること12分


しばらく置いてから、
おそるおそる減圧してから蓋をとる


まずは一口のお味見


甘さが甘ったるくない!
すっきりした甘さなのに
コクがでていて、味わいが深い!
美味しい〜♪


ん〜、ほんと、いい出来栄え、自画自賛!
いやいや、三河みりんのおかげです


しかし、
こうも、みりんひとつで違うものかと。


あらためて、料理人を虜にする意味を
素人ながら味わえた。








黒豆とクリームチーズと蜂蜜のディップ(ゆず胡椒風味)

2018-11-21 11:45:46 | 日記
居酒屋さんや、お食事処に行くと
これは、何を使っているのかとか
隠し味は何だろうとか
美味しいものは
帰宅してからチャレンジしてみようと
思うことがある


もちろん、プロはプロ
沢山の尊敬を込めて
自分なりに近づけたい味に試したくなる


きっと
すこし食いしん坊さんなら
だれでもやっていることだと思うので
あまり、公言することでもないでしょうが
先日、博多料理屋さんに行った時に
だれでもできるものを発見!


クリームチーズに、黒豆の煮物を、蜂蜜で和えて、クラッカーにのせて食べるもの!


検索すると、口コミで一度はこれを食べてみるべしと書いてあったものだ。


クリームチーズに蜂蜜の感覚はわかる
しかし、そこに和のテイストの黒豆を和える、、、、。


見てのとおり、想像するだけでも、若干甘め。
クラッカーのディップにしては
お菓子感覚ではあるが
甘じょっぱくて、その取り合わせに
なるほど〜と、関心してしまう。


うまし、うましと食べているうちに
隣にきていた、何かは忘れたけれど
何か一品料理に青ゆず胡椒がそえてあった。


私のお箸に、その青ゆず胡椒がついたまま
『黒豆とクリームチーズと蜂蜜のディップ』をクラッカーにのせて食べてしまった、、、、。


それがなんと
甘さに、ゆずの香りがほんのりして
キリリと味が引き締まった!


これは、お店には申し訳ないが、
もっとイケル!


そうなのだ。


私の頭は、
次の買い物に、黒豆とクリームチーズ、
クラッカーがインプットされた

蜂蜜と、青ゆず胡椒は家にある。


これで試せると思った途端
嬉しくて、ニンマリ


かくして、昨日、、実食!

『黒豆とクリームチーズと蜂蜜のディップ(ゆず胡椒風味)

長いっ!


蜂蜜をすこし控えめにしましたので
若干、クリームチーズは堅めではあるけれど、味は引き締まり、甘じょっぱさの中に
もっちりとした黒豆の食感。
ふわりと最後に香る、青ゆず胡椒がアクセント。


また、一つ
酒の肴が増えました。








秀吉様がつけた『和歌山』の地

2018-11-20 11:10:33 | 日記
昔、住んでいた家の前には
大きな国道が通っていた


市役所近くだから
ひっきりなしに
横断歩道の『渡ってください』とばかりに



『とぉ〜りゃんせ〜 とぉ〜りゃんせ〜
こ〜こはど〜このほそみちじゃ〜』


何故か
もの悲しげ
日本のわらべ歌は、、。


まして、この歌は
人さらいの歌みたいで、、、。


雨の日も風の日も
この曲が耳にタコができるほど
ずっと一定の時間ごとに鳴り響く


そして
雨が降るたび
自動車が雨をひいてゆく


反対に
そのひいていく音で
雨だとわかる


アスファルトだらけの街だった


だから
狭い空を見上げることはなくって
靴の汚れを気にすることはなくって



アスファルトのくぼみにできる
人の流れの川に


溺れないように
流されないように
しっかり立っていなきゃって


選択肢の多すぎる都会
何をしたっていいわけだったけど
流されることと隣り合わせのような街



私は
雨が降ると
土の匂いがしたほうがいい
雨の匂いが降りかたで変わって行く


今は、、、。
空は広くて
靴は汚れてしまうけど
足元をしっかり見定めるのには
ちょうどいいかもしれない小さな街


選択肢は少ないからこそ
大切に扱えるものがあると思いたい


けれど
けれど


生まれた自分の街への哀愁は
年々増して行くのは
何故なのでしょうね


離れたからこそ
分かることがある


人生って
そんなもの達で
できていくのでしょう




とある番組で
奈良時代、和歌の浦(和歌山)を訪れた聖武天皇があまりの景勝の美しさから
この地を守るようにと仰り、和歌を謳ったことから、和歌の発祥の地として
和歌浦に残された和歌が数多く、
日本有数の干潟があれど
これほどの美しい干潟はないと
のち、太閤秀吉が和歌の浦を訪れた際
和歌浦を見渡せる山に城を築いた。
それが、城のある山を『和歌山』と名付けたのが、和歌山県の謂れとなった。


こんな番組を観ると
里心ついちゃうよねー。


つい先日、訪れたばかりの『和歌山城』




ホンダ Chaly[シャリー]の話 ②

2018-11-19 14:42:02 | 日記
私が就職したのは、資金集め、
腰掛けのつもりで
本来やりたい仕事をやるための
つなぎでしかなかった

いつか
飛び出して
やりたい仕事に着くんだと思いつつ
それでも目の前の会社を全うすることが今の使命だと頑張っていたころ。


和歌山市と言うところは
紀ノ川と言う一級河川で分断されている。


川の向こうか
こちら側か


川の向こうには
山脈が続いていて
和歌山は陸の孤島だと大阪人に言われたりしたものだ。


山と川を越えないと和歌山市には
たどり着けない。


だけど
私の勤め先は、
和歌山市側の私から見たら
川を越え
その山脈の麓にある


交通機関をつかっても
途中までしかたどり着けない


そこで
やはり原付き(バイク)のお出まし。
普段の通勤はバイクで。


しかし、
大雨の日は、ちょうど私の家の前の
国道を通って通勤してくる若手男子社員が迎えに来てくれる。


会社命令だから、その男子社員も
いい迷惑だろうけれど
乗せてもらった途端
大音量の音と、山下達郎ファンである、彼のウンチクをいやと聞かされる私も
ありがた迷惑な話


だから、多少の雨や悪い天候でも
なるべくなら自分のバイクで出勤したい。



2回目の冬が来た、とある日のこと


朝からみぞれが降っていた。
天候は悪化するわけもないからと
上下のウインドブレーカーを着て
ヘルメットは、
正面が開閉式のオープンフェイス型





色はバイクに合わせて
オレンジと白のツートンカラーだったけれど
お洒落っ気もないウインドブレーカーと
このヘルメットじゃ、
後ろからみたら、年齢不詳。


当時、誰しもこのバイクを乗っていたため
下手をすると、どこかのオバさんだと
思われても仕方のない格好となる。


その時のヘルメットは、
今よりも選択肢が全くなかったため
機能性しか取り用がなかったと言えよう。


まずは、
みぞれの降る道をいつものように、、、。


しかし、川にかかる橋が
凍りやすい場所だと言う認識が薄かった。

案の定、橋は凍りかけていた。

車は、大渋滞
バイクの人達は、
車のそばを通れず
広い歩道をのろりのろりと走っていた。

私もハンドルの不安定さから
安全確認しながら
歩道にあがることにして
ゆっくりと橋を渡っていた。

しかし、途中でバランスを崩し、
倒れかかったとき
左足を地につけ
内股の間でバイクを手放して転がした。

もし、バイクもろとも倒れるとなると
橋の鉄筋に頭をぶつけるか
倒れた拍子に地面に叩きつけらるか。


頭の中で一瞬のうちに想定し
それができたとき、
周りに迷惑がかかってないか
頭は冷静だった。


バイクは緩やかに倒れたので
故障もなく、また、動けそうだった。


バイクを起こし、歩こうとした瞬間
後ろから呼び止められた。


中年の痩せ型男性


『おいおい、人の車にぶつかっておいて
だまっていこうやなんて虫がよすぎるやないかー』

『はい、ぶつかってますか?ないでしょ?』

『何言うてるんや、こっちきてみろや』

足がすくむ

しかし、歩道を走っていて
車道の車には当たってないはず。
バイクの行く先は、目も離さず
私が見ていたのだから。

『そうですかー』
とりあえず、言いなりに近くに行くほかはない。

もし、何か言われたら、その前後の車の人に確かめればいいだろう、、、と。


おそるおそる、その男性の近くまでいき
男性の目の前で
ウインドブレーカーを脱いだあと
ヘルメットを取った。


当時、髪は長く
経理の仕事をしているからと
髪を束ねるためゴムでしばっていた。


ちょうど、ヘルメットを取るとき
ハラリとその髪のゴムが外れ
ヘルメットを外すと同時に
髪がほどけて広がった


ワンレングスの髪を頭を振ることで
なおさら強調させた具合となった。


髪の毛をなであげつつ

『どこに私のバイクと、そちらの車がぶつかったのでしょうかー』とキリッと言った。


おそらく
この男性、私を年寄りの女性とみたか
お金を巻き上げるターゲットとみたか


『ああ、、いやー、俺の間違いやったみたいやわ、大丈夫やー』


私は何にも言わず
前後の車に会釈だけして
また、バイクにまたがった。

悔しいやら悲しいやら

しかし、女性蔑視もいいとこで
腹がたったりしたが

若い女性には、めっきり弱い中年男性の悲哀もみてしまった。


ただ、私は運が良かっただけ。


相手が引かなければ
私は歩道だったわけで(交通違反)
警察沙汰になったとしても不思議ではないし、相手が、厄介な世界の人であったなら
なおさら嫌な思いをしたところだった。


それにもう一つ
バイクの怖いところである、転倒。


倒れ込んだ時
怪我一つしなかったこと
そして、誰一人怪我しなかったこと。


今では
私がバイクを内股で転がした上手さを
友達内では、笑い話にはしているが
命が助かったことは感謝しかない。



なにせ、橋の下は、
紀ノ川の河口付近
橋の鉄筋にぶつかってなくとも
紀ノ川に落ちていた可能性も
あったのだから、、、と


書いてる今、そのことに気がついた(笑)


どこまでも、呑気なわたし。

ほっと、また胸を撫で下ろした。








ホンダChaly [シャリー]の話 ①

2018-11-19 09:11:40 | 日記
ホンダ・シャリイ50
3段式オートマチックトランスミッション
ロータリー式
キックスターター
右手ブレーキ
左足踏み込み式ブレーキ


オレンジ色の車体


スーパーカブをファミリー向けに作られ
座席が低くく
大きな前カゴが付いている
確か、12万円だった






これが
高校卒業時に
父が頭金の三万円を出し
あとは、自分が働いて
払っていくようにと
買ったバイクだった。
のち、結婚し、第一子ができるまで
大切に乗っていたことになる。




高校生の時、父が
『ゆくゆくは、車の免許を取るのに
先にバイクに乗っていたほうが
交通ルールを解るのにはいいから
バイクの免許を取っておけ』と


通っている高校は、
他県から通学手段として
バイク通学者は認めているが
その頃の高校生のバイク事故が多発したため、学校自体、バイク免許の取得は禁じられていた。


私は父の言っていることもわかったし
卒業してからの就職先のこともある。


自動車免許は後々取るにしても
高校時代にバイクの免許を取ることは
乗らなければよいだけで
校則違反には該当しないと思い
高校2年の夏休みの2週間ほど
バイク免許の試験のための勉強に当てて
すぐに、バイクの免許を取得した


免許だけでは
すぐに乗れないからと
和歌山の港まで父に連れていかれ
ほとんど、誰もいない場所で
父のスーパーカブ(70cc)を乗り回した。


私の取得したのは、原付免許だというのに
父は容赦ない。
父は、昔、スズキのナナハン、ハーレーも乗っていたと言うツワモノ。


父は、私が安全運転できるよう
彼特有の特訓だったのだろう


私は、クラッチ付きのミッション車は
すでに、ここで培われていたことになる


バイクのみならず
のちの自動車免許も
取得前にそこの港内で練習したことになるのだけれど
父曰く
『港内は、公道ではないから大丈夫だ』


果たして、交通法規にはどうだか、、。

しかし、その特訓のおかげで
新しく買ったシャリイも
なんなく乗れたからには
笑ってしまうが、感謝しかない。


バイク免許取得から2年後に
自分のバイクを持ち
さらに、その2年後に
自動車免許を取得した


頭金の3万円は、父からのプレゼントとはいえ、それぞれの、バイク、自動車免許取得の諸費用は、全て自分持ち


それが当たり前であったはずが
自分の子供には
そこまで課せられなかったことは
時代とは言え
ちょっぴり後悔はしている(笑)


さて
そこから
チャリンコいっぺん通りの生活が
バイクによって激変する


通勤にしても
遊びにしても
公道範囲が広がった。


バスも電車も使える便利な場所であったにせよ
思えば、はなから
私は交通機関が昔から
そんなに好きではなかったんだと思う。


バイクを乗り出して
2回目の冬
ちょっとしたアクシデントに見舞われた