湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

リフォーム中の風邪

2018-11-18 14:01:26 | 日記
人は
その置かれた立場で
不思議なものを欲しがる生き物なんだね


両親の介護に
明け暮れていたときは
風邪で寝込みたいけど寝込めない


どうか介護から
解放されて
風邪を引いたら
ゆっくりお布団で寝込めますようにと。


介護の最中に寝込みたいほどの
風邪をひいた時や
体調がすぐれなくても
やらなければいけないことに
体を奮い立たせて動くことが
泣きたくなるほど
悔しくて悲しかったりしたものだから
そんなお願い事のように
思っていた時期があった。


実際
2人が居なくなったとき
これで私も
自分の体だけのために
横になることを許されるのだと安堵した


しかし
いま‥

風邪とて寝ていらない状況


うちは先週末よりリフォームに入ったからだ。


諸々の打ち合わせ
その都度、確認。


事前に話は詰めていても
ダブルチェックとして
材質の色や仕様の確認に始まり
昔ながらの10時と3時のお茶出し


そうなんだ
寝てはいられない状況



あれだけ憧れていた
ただ寝るだけのことを

あれだけ熱望しておきながら
こうして、体調悪くとも
起きて、いつものようにしている


結局は
ないものねだりなのかな


今は
この風邪を長びかせたくない思い


やっぱり、風邪はシンドイもの


家人がいても
寝ることは無駄な抵抗だと
諦めるしか手立てがないのが実情で。



私が立って起きていらない状況を
想像してみる。



ヤバイぜ、これは、、、。
マジに、ヤバイ


かつて、インフルエンザとて
完全防備で
ご飯の支度を終えてから寝て
インフルエンザ期を経てきたのだから


寝込むことは余程のこと


やはり
憧れてはいても
本当は
本当は


何にもなくて
元気でいられていられることの有難さ


この風邪から
完全復活をとげて
リフォームも終わり
片付けも済んだら


ステキな紅葉が見える
綺麗な場所のランチに行こう!


そうだ、行こう!


しっかりと
大地を踏みしめていたら
楽しみは後から
もれなく付いてくる

















あふれくる思い出

2018-11-16 20:31:20 | ポエム
あなたの
こころの隙間

たよりなく
たなびいた



あなたと
その手の隙間

こぼれてく
はなれてく


あふれても
あふれても


あふれ足りなくて

どこまでいっても

忘れられないまま



思い出は遠のく

花のようにはかなく

一瞬の出来事のよう


だけど
忘れずにいるよ


約束するから
約束するから


あの日の
雨上がり


あの日の
雑踏の中


あなたの笑顔に
わたしの笑顔と





部屋とポスターと私

2018-11-13 20:55:24 | 日記
我が家は、木曜日から
居間のリフォームにとりかかる。

家具を別の部屋に移して
今は、テレビとDVDとテーブルだけ

壁にかけてあったタペストリーも外し
大好きなキアヌリーブスのポスターもとった。

敷き詰めていたカーペットは
部屋の半分だけ。

もとのある古びたフローリングが
むき出しになっている。


すると
不思議なものね。


テレビの音
自分の声
スマホから流れる音楽


音という音の響きが違う


クリアで、すこしばかり
今まで聞いていた音より少し高く聞こえる
高音域の声や音には
耳をつん裂く感じがしてしまう


音は伝わる方向や壁に当たって跳ね返ってきたり
人やものが音を吸収したりすることは知ってはいたが、
こうも違うなんて。


昔、アマチュアバンドのお手伝いで
数カ所違うホールやライブハウスといわれる場所に行ったとき
人が居ない時のリハーサルと
お客さんが入った時の音が
とても違うホールがあったことを思い出した。
防音壁になってるとは言え
材質や人の数によって音が変わっていく。

そこの誰もいないホールでのリハーサルは
音が屈折して跳ね返り
どこから音が流れてくるのかわからず
ボーカルを悩ませた

自分の声が聞こえないらしい。

しかし、
人が入ると落ち着いて歌えていた。




今のうちの家は
高音が飛び交う
いや、耳障りの音が気になるだけ


すこし疲れてしまう


カーペットのせいなのか
家具のせいなのか
声が高く響く


フローリングが音を飛び跳ねさせていくのだろう


リフォームのあとは、
フローリングのままにして
家具は極力少な目にと思っていたが
音の落ち着きどころも
考えなくてはいけないね。


リフォームによって知ったこと。




もう、どれだけ長く
かっこいい姿をみつづけていたことか!


『マトリックス』のポスター


すこし寂しいけれど
これも、お別れすることにしました。


ありがとう、キアヌ。










夢で逢えたら

2018-11-12 13:11:39 | 日記
『夢で会いましょう』とか

『夢でもし逢えたら〜』とか

昔から、歌の題材になったり
締めのロマンティックな言葉にしたり

ふざけて言ったり
願望だったり

予知夢とは別に

これこそ、リアルだと感じるような夢を
見たりするときがある。


実際は会えるような人ではない場合
夢で会ったりしたならば
何故かとても
意識するようになって
その一日がポワンとした夢ごこち


夢って
奇想天外、摩訶不思議。


今朝の夢

私の首筋に
熱いキスをした人がいた

エグザイル 岩田剛典さん

何故に???

夢の中では、同じ温泉宿に泊まり
地域の観光名所を説明していた、、
そんな夢の中で、、、。

ふと
夜中に目が覚めた

ふと
夢だとはわかっていた

ふと
スマホを手繰り寄せたら
画面が反応して明るくなったので
今何時だろうと思いスマホを開いた。

そこに映し出された画面を見て驚愕!!



だ、だれが、、、、。

見覚えのない画像。


私は知らぬ間に何かした?
調べた?

いや、覚えがない、、、。

とにかく、朝だから起きなきゃと

なぜか、左首筋が熱い

なぜだ?

不思議なまま階段を降りた


最後の二段を踏み外して
転びそうになりながら耐えた


恋したかもwww


あまりのリアルさに
イケメンの毒にやられてしまった。


全く、タイプでは、ないのに、、、。


夢は夜ひらく?









氷川丸の話

2018-11-11 08:29:45 | 日記
2年前の今日
書いたものが
ちがうSNSに上がってきた。

読み返すと
この時父は、元気にデイサービスにかよっていたころだった。

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数々の武勇伝を持つうちの父。
人に言えないことばかり。
普通じゃないことを繰り返し
放浪のギャンブラーの時期もあり
俗に言う『臭い飯』を数日喰ってきたこともあり
それでも生きながらえて
今はデイサービス先の美人スタッフに恋して
いかに口説こうか
いかにコーヒーに誘おうかと
馬鹿な考えをしている、介護認定2の、ただいま87歳。

やんちゃでどうしょうもない父が、今朝、ポツリポツリと話し出した。

いつものようにデイサービスの為
少し早めの朝食にパンとコーヒー、温泉卵を食べている最中のテレビに横浜の氷川丸が映ったときのことだった。

どうやら、自分が潜水夫だった頃の事を思い出したみたいだ。

『そう言うたら、この船が和歌山の住金の構内に曳航されてきてな〜、
あれだけの船やさかいに、スクリューも大きいんや。そのスクリューに
太いロープがグルングルンに巻き込んでいてなぁ、15センチぐらいあったかなぁ。
ものすご太いロープを切るのに、えらい難儀したゎ。』

『それで?なんで、スクリューにロープなんか巻き付いたんやろ?
それで? じーちゃんが1人で切ったの』

『ワシが30前の古い話や。住金から依頼があってなぁ。
自分の船のロープを巻き込んで航行できなくなって
近くに大きな港って言うたら、住金の港しかなかったんやろう。
鉱石を積んだタンカーが着けるぐらいの港やさかいに。
そんで、住金の港にタグボートで引かれてきて、潜水夫のワシが呼ばれて
1人で切ったんや。あれは大変やったゎ。
一本切ったところでも、にっちもさっちもいかんで、
潜水夫は上から空気を送って来てもらっているやろ。
その管と体に結わえたロープで上の船に合図して、スクリューを少し動かしてもらうんや。
右に少し、左に少しってやって、そのたんびに離れへんと
グ〜っと体が船に方に持っていかれてなぁ。それでも、なんとか外したなぁ』と。

私の生まれる前の話らしい。
そんな話を初めて聞いたので、びっくりした事と
笑ってしまうがキチンと仕事をしていた時期があったんだと言う事。
職業上、危険な事は周知の事実だったけど。
(潜水夫をやっていたのは私が小学生に上がるまで。のち、放浪の旅に出たので、辞めた理由は不明)

今までの潜水夫時代の話は、
下関の関門海峡の柱の土台を作りに行ったとか、
夜中に、海上保安庁から連絡があって紀伊水道に沈んだ船を
引き揚げる際に、死人を何人も揚げてきたとか。
そのときどんな風だったか。
そのとき、一緒に住んでた女がどれだけ嫉妬深い女だったとか。
色んな話を聞いてきたが、今朝の氷川丸の話は初めてだった。

『そんな話、今までしてくれてなかったやん。思い出したん?』

『そう言うたら、話してへんかったなぁ。まだ、お前が生まれる前の古い話や』

【氷川丸】をググってみると
確かに私の生まれる少し前(父が30歳ごろ)横浜に係留される前に、
アメリカから神戸へ最後の航海を終え、
神戸から係留地、横浜に航行されたことが記されていた。

父の記憶が、その時のものならば、神戸から紀伊水道を経て太平洋に出る前に
和歌山の港に立ち寄らねばならない事態になったことになるが
父の記憶違いで、もっと古い時のものなのかは
知るよしもないが、氷川丸は、1960年に現役を退いている。
数々の時代の波を乗り越えた波乱万丈な船の歴史は、
父の生まれた翌年(昭和5年)に、造船され、私の生まれた年に正式に横浜に係留され公開されることになる。
氷川丸は、戦争を経て、病院船になり、引き揚げ船にもなり、時代と共に難局を生き抜いて
今は静かに係留されている。

まさに、うちの父の時代と同じ時を歩んできたんだと感慨深い朝となった。

実は私。
横浜へは、高速の上から町を見たのが数度と
横浜駅に降り立って駅ビル内に一度しか行ったことがない。

今度氷川丸に会いに行かなきゃね。
私がたそがれる前に。


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実は
来年の3月に横浜に行くことに急遽決まった。
息子達が上京するのに合わせて
合流しょうと言う話になった。

私は例のごとくホテルを探した。
家族全員のホテル予約するのには
人数のことを考えれば、なかなか難しい。

とにかく、春休みに入る土日の予約で
数々の条件を付け加えると
いつも、数少ない選択しかなくなってしまう。
まずは、先に取れたのは、桜木町のホテルしかなかった。

2日たって
横浜中華街に、そのホテルからは二駅と、、ここは、、やめよう。

歩いていけるホテルはないものかと
また、検索の時間。

数日前には現れなかったホテルの名前!
ここはどうかと予約してみたら
バッチリと予約が取れた。
これで、中華街に歩いていける!

安堵してから、前のホテルをキャンセルし
ふたたび、予約できたホテルのホームページへ、、、、。


開いたページに写真があった。



ホテルの目の前が、氷川丸だった。


おりしも、一年遅れで
亡くなった父の厚生年金の漏れた年数による残りの金額が提示されたハガキが届いたところ。


ご仏壇に手を合わせて
父に報告をしたのは、言うまでもない、ね。


(写真は、ウェブより)