大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

宝頂山石刻10

2021年02月07日 | 中国の旅

毘盧洞に続いて
父母恩重経変相(ぶもおんじゅうきょうへんそう)。

父母恩重経変相は高さ7m、幅14.5m。
南宋代(1174-1252年)のもので、
子供を育てる父母の恩を子宝を祈願する場面から
11シーンで現している。

「孝」という儒教的思想が仏教に混じったのは
初唐の頃らしい。
身近な思想を含めた方が布教し易かったのか。

変相とは、仏教の浄土や地獄を
ビジュアル的に表したものらしい。


宝頂山石刻09

2021年01月31日 | 中国の旅

孔雀明王の隣が毘盧洞(びるどう)。

入口の上部には「毘盧道場」とある。

毘盧洞は高さ6.9m、幅8m、奥行5m。
大仏湾にある石窟の一つで、
窟内には287の仏が現存しているらしい。

▼入口左脇の菩薩

窟中央の塔亭には大日如来説法像がある。

▼大日如来

周囲の壁に穿たれた仏は、大日如来の説法に
聞き入っている。

内部の仏は結構色が残っている。
以前は煌びやかな窟だったんでしょうねぇ。

入口の上には飛天。

大仏湾の窟はここの他、円覚洞(えんかくどう)があり、
そちらの方が広くて素晴らしそうだが、
この年は改装中で見学できなかった。


宝頂山石刻08

2021年01月11日 | 中国の旅

釈迦の頭の左側には九龍浴太子図がある。

九龍浴太子図はお釈迦様が生まれた時に、
その沐浴の為に、天から9匹の金龍が降りてきた
と言う話が元になっている。
インドでは九匹の蛇らしいが、中国では蛇の印象が
悪いので、龍に置き換えられたそうだ。

龍の下では赤ん坊のお釈迦様が手を合わせて
水に打たれている。まるで滝行…。

九龍浴太子図に続いて孔雀明王。

孔雀は害虫や毒蛇を食べることから神格化され
孔雀明王は「災厄や苦痛を取り除く」功徳がある
とされる。

この像は孔雀の首が蛇に見えて、説明を見るまでは
何やら判らなかった(笑)。
良く見ると孔雀の羽がある。


宝頂山石刻07

2021年01月01日 | 中国の旅

千手観音の社殿を出て右側には
第11号龕「釈迦牟尼涅槃図」がある。

仏龕(ぶつがん)の幅32m、高さ6.8m。
上半身を露出させた釈迦牟尼像が頭を北、
顔を西に向けて横たわっている。

仏前には、二十数人の弟子と菩薩、
護法(神霊)などの像が並んでいる。

仏の下半身を彫らないことで
無限の広がりを表しているということだ。
顔を大きく彫りすぎた、ということでは
ないらしい(笑)。

▼第11号龕を上から見るとこんな感じ


宝頂山石刻06

2020年12月27日 | 中国の旅

華厳三聖像の先は社殿に覆われた千手観音像。

ここ宝頂山の千手観音像は縦8m、横12m。
世界最大で、孔雀の羽のように広げた手は
無限の救済を意味するらしい。

ここの千手観音は830の腕を持つという。
近年修復されて、すっかり綺麗になったが
修復過程で、120年前、300年前、500年前等、
過去8回に渡って修復されていた可能性が
考えられるらしい。
金箔が8枚重なっている部分があったことから
判ったそうだ。

昔の金箔も使える物は再利用して、
800年の深みある色を出しているとか。

社殿に覆われた暗い中、圧倒されるような輝きが
目に飛び込んでくる。
中国人の好きそうな感じだよね〜。

うーん。ありがたい感じがする。
けど、ついさっき見た普賢菩薩のが好きだな。


宝頂山石刻05

2020年12月05日 | 中国の旅

続いて、華厳三聖像。
仏龕の高さ8.2m、幅15.5m、奥行2m、
南宋の淳熙〜淳祐年間(1174〜1252年)に造られた。

手前から、文殊菩薩、毘盧舎那仏、普賢菩薩。
三像の高さは7m。

▼文殊菩薩

▼毘盧舎那仏

普賢菩薩のお顔は一際優しく綺麗だった。
峨嵋山が近いからか、
四川は普賢菩薩推しな感じがする(笑)。

▼普賢菩薩

過去の経験でいうと、
こちら(↑)の方が文殊菩薩の雰囲気。

普賢菩薩の隣には塔柱がある。

仏の足下では鬼(?)が支えている。


宝頂山石刻04

2020年11月29日 | 中国の旅

続いて六道輪廻図。
密教はインドからチベットと中国(漢民族)に伝わり発展した。
中国ではチベットに伝わった密教を蔵密、
漢民族に伝わった密教を漢密という。
ついでにいうと空海が日本に広めた密教は東密。

唐の武宗(840〜846年)が仏教を弾圧した為、
華北では密教がほとんど途絶え、信仰は地下に潜む。
唐末から宋にかけて中央の影響が薄い
四川盆地の大足一帯で漢密が発展したという。

大仏湾は当時の状態が完全に揃った漢密道場だそうだ。

へーーーーっ。

▼六道輪廻図

密教は曼陀羅(マンダラ)を使い教義を説くそうだ。
曼陀羅は「悟りを得た場所、道場」を意味する。

へーーーーっ。

六道輪廻図の中心に居る仏は大日如来らしい。
牛のような鼻をした輪廻図を咥えた鬼が
無常大鬼。

六道輪廻図は結構大きい。


宝頂山石刻03

2020年11月25日 | 中国の旅

大足の石刻は宝頂山、北山、石門山、南山、
石篆山(せきてんざん)の五つの山に分布し、
最も規模の大きいのが宝頂山。

宝頂山石刻は大足市街の北東約15キロ、
宝頂山にあり、石刻像は一万体以上。
中でも大仏湾は規模が最大で保存状態も良いという。
入場料を払って見学するのはこの大仏湾だ。
大仏湾は、谷を囲んだ全長500メートルのU字型の岸壁で
様々な石刻が広がる。
涅槃の大仏があるから大仏湾かな。

▼第30龕「牧牛図」

僧・趙智鳳(ちょうちほう)により南宋の淳熙年間から
淳祐年間(1174~1252年)まで、七十数年にわたり
造営された。

第30龕(がん)「牧牛図」は、30メートルの龕内に
10人の牛飼いと10頭の牛の日常描かれている。

▼第30龕「牧牛図」

牛が心で人が修行者を意味する仏教説話図らしい。

▼第30龕「牧牛図」全景

この辺はなんだかよく判らないけど、六道輪廻図に続く。


宝頂山石刻02

2020年11月24日 | 中国の旅

大門を抜けて橋を渡り、石刻博物館を過ぎ
やっと宝頂山の目印を見つけて進んだが…

宝頂山の入場口はまだ遥か彼方(笑)。
カートを利用することを想定している作りだ。

▼この道の先に宝頂山の入場ゲートが有る

入場券を見せてやっと宝頂山石刻入口。
観光客がまばらで良いなぁと思っていたが、
石刻には既に団体観光客がいた…。

この団体客、どこから来たんだろう。

▼「宝頂」と穿たれている下には「福」と「寿」

最初の仏像は目を閉じていた。

微笑む仏はふくよかで女性的。
見ていると癒される。


宝頂山石刻01

2020年11月23日 | 中国の旅

駐車場を抜けると瑞相橋(ずいしょうきょう)。

瑞相橋を渡って、牌坊を抜けると

大門の右側が宝頂山の旅行センターで
チケット売場が有る。

宝頂山の入場券は115元で当日限り。
宝頂山+北山石窟の入場券は140元で2日間有効…
と言っても、宝頂山、北山共に入場できるのは
一回だけど。
北山石刻の入場料は70元なので、
宝頂山と北山の連票を買った方がお得。

▼宝頂山+北山石窟の連票
有効期限が翌日の23:30…閉まってる時間じゃん。

門の扁額には「天下大足」と有る。
大足は「大いに足る」。
水がふんだんで作物がよく実る、と言うことらしい。

▼石柱は象が支えている


成都東駅〜大足南駅〜宝頂山石刻

2020年11月18日 | 中国の旅

翌11/20、7:42成都東発G8541次で大足南駅へ。
大足南までの所要時間1時間16分。
沿線の田園風景を楽しみにしていたものの
一面の濃霧で何も見えなかった。
こんな霧じゃ高速道路は通行止めだろう。
大足行きをバスでなくて高鉄にしてよかった。

大足南駅には定刻通り8:58に到着。
大足に着くころには霧もすっかり晴れていた。

大足南駅は大足市街からかなり離れているので
先ずは206路で大足市街へ。
9:04発、6元(約96円)。
1時間以上乗るので、日本の感覚では安く感じるが、
中国の路線バスで6元は高い。
さすがは世界遺産路線。
そう言えば麦積山行きも6元だったか…。

206路には買った布団を担ぐ人、生きた鶏が顔を出す
ズタ袋を持って乗り込んで来る人、
田舎らしく、昔懐かしい中国の風景が残っていた。

1時間10分で市中の大足印象に到着、
ここで宝頂山行きの205路に乗り換える。

205路で約30分、宝頂山景区駐車場下車。
駐車場を突っ切って、宝頂山の旅行センターへ。


峨眉山から成都へ

2020年11月17日 | 中国の旅

五顕崗から峨眉山バスセンター(峨眉山旅遊客運中心)
へは20分程だった。
售票処(切符売場)に入ると次の成都行きは10分後の13:00。
窓口で切符を買おうとすると自販機で買えと
促されてしまった。
パスポートじゃ買えない、と言おうとしたところに

成都行き居ないか!! とおじさんが入って来た。

成都便の客引きか? と思いながら、

はいっ!!成都行きます、と手を上げた。

切符持ってるか?

これから買います!

おじさんに手招きされて、自販機の前へ。

早く買え!もう直ぐ出るぞ!!

いや、外人だから自販機じゃ買えない!

と窓口の女性に向かってパスポートを掲げ
やっと切符を売ってもらえた。

峨眉山旅遊客運中心→新南門客運站は
46元 (736円/2018年は1元16円で計算)。

驚いたことに、私を急かしていたおじさんは
成都行きバスの運ちゃんだった。

▼成都行きバスの切符

ここからのバスは新南門バスターミナル行きで
新南門バスターミナルは錦江の南側に有る。
交通飯店の隣と言う方が分かりやすいかな。
最近錦江のことを南河というみたい…。

13:03、乗客3人を乗せたバスは
3分遅れで峨眉山バスセンター発車した。

乗客が3人でも時間が来ると発車するのか。
中国も変わったなぁ…。

と、感心していると、20分程走って停まった。
見れば城北バスターミナル(城北客運站)。
ここで峨眉山発成都行きは満席になった。

▼城北バスターミナル

城北バスターミナルを13:40に発車したバスは
一路新南門へ。
高速に乗って14:05青衣河を渡った。
青衣河は楽山大仏に向かって流れ込む
大渡河の支流だ。

何故、初めての地で青衣河と判ったのかと言えば
運転席の後ろに陣取ったおじいちゃんが
ずっと運ちゃんに話しかけ、あれはなんだ、
この川の名前はなんだと聞きまくっていたから。
気のいい運ちゃんはずっと観光案内しながら
運転していた(笑)。

▼青衣河

城北バスターミナルから新南門バスターミナルまでは
ノンストップで約2時間20分だった。
峨嵋山バスターミナルからだと待ち時間含めて3時間。
やっぱり高鉄の方が早くて便利だ。


五顕崗へ

2020年11月16日 | 中国の旅

清音閣に戻ってバス乗り場の有る
五顕崗(ごけんこう)方面へ。
途中、白蛇と青蛇が闘ったという
闘龍壩(とうりゅうは)があった。
…ただの河原だけど。

川劇の白蛇伝では、
白蛇が峨眉山を下る途中、青蛇に見初められ
青蛇は白蛇を我がものにせんと
戦いを挑んだがあえなく返り討ちにされて
その子分になった。

闘龍壩の先には良寛さんの碑が有る。

「娥眉山下橋」と刻まれた柱が浜に流れ着き
それを見た良寛さんが峨眉山と李白の詩に
思いを馳せて七言絶句を詠んだ。

そんなこともあって、日中友好で
良寛さんの碑が建っているらしい。

▼橋の欄干の猿

ものすごく愛嬌の有る石猿が欄干に乗っている橋を
石猿を眺めながら渡ると、
そこは金亀壩(きんきは)。

伝説によると、金亀壩ではその昔
金色の亀石が掘り出されたとか。

この辺りの売店では、猿除けの棒が売っている。
凶暴猿が出てきたらこれで撃退しろと言う(笑)。

ダム沿いを歩いていると、五顕崗方面から
一人旅らしい若者が歩いてきた。
ここ数年、一人旅の中国人も見かけるようになった。

…この先、どのくらいかかる?

この先の観光地点は清音閣周辺だ。
山道を一人で歩いてきて心細くなったのか、
それとも歩き疲れたのか(笑)。

次までだいたい20分位かな、
と時計を見ながら答えると、

まだそんなに有るのか…。

そんなやりとりを3人の一人旅らしき青年と
交わした後、五顕崗に到着。

五顕崗のバス停で
丁度停まっていたバスに乗り込む。
12:30発と言うことで10分待機。


磨崖石刻

2020年11月10日 | 中国の旅

清音閣の脇を黒龍江に沿って一線天方面へ
10分ほど行くと磨崖がある。

黒龍江は黒水の上流。
名前とは違って流れる水は少ない。
春夏は水量が増えるのかな?

磨崖には唐の太宗(李世民)や
清の康熙帝(こうきてい)の彫像が有る。

▼唐太宗

李世民は秦王の頃に成都に巡察に来た折
峨眉山で李氏の先祖という
老子(李耳)を祀ったらしい。

清の康熙帝は峨眉山の寺院を手厚く保護した。

▼康熙帝

磨崖から黒竜江の更に上流
洪椿橋方面に10分ほど歩いてみる。
凶暴なチベットモンキーを見に行こうと
思ったのだが、まだまだ遠そうな感じ。

そろそろお昼になろうかという時間なので
どうしようか考えていると、生ぬるい風が吹いてきた。
中国文学ではトラの出る前触れだ(笑)。
見上げると、雲の隙間にあった青空も
見えなくなり、雨でも降りそうな黒雲が湧いてきた。
凶暴猿はあきらめて下山、下山。
早く成都に戻り、伊勢丹に和幸のとんかつを
食べに行こう!!


清音閣

2020年11月09日 | 中国の旅

接王亭の右側の階段を上がり
橋を渡ると清音閣。

清音閣前では輿屋さんが寛いでいた。
歩き疲れたら、輿屋さんを雇って移動できる。

清音閣は牛心嶺の麓、黒水と白水の合流点に有り
晋代の有名な学者、左思が
糸竹を言わず山水に清音あり
と謳った事から、清音閣という名がついた。