大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

五丈原2017 その④諸葛亮廟壱

2020年01月31日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

諸葛廟に入る前に、先ずは境内前の階段を下りてみる。
90年代後半に整備された階段で、以前はこの下に集落と道観があった。
道観を横目にさらに下ると、麓の村に着く。

麓から諸葛廟に至る正規ルートはこっちの階段だったと思うけど…。

長い階段を下りた先は、工事中で重機が蠢いていた。
コンクリートで出来た岩があって通路の整備中といった感じ、
ここから先は危なくて下りられなかった。

この岩の感じといい、この先の斜面を滝にするつもりか???

残念な開発だけど、滝が出来たら見てみたい。

…多分栄えないだろうから、
滝が見えるのはオープン時期の一瞬だよね。

▼写真中央より少し上に見える高架は高鉄(新幹線)

階段を戻ってみると、五丈原の碑が着色されていた。
石が黒で文字と上部が金で刺し色に赤が入ってる。

………なんか、お習字の墨みたい

中国人的にはいいんだろうか???
日本人的には残念な感じ、昔の方が良かった。
といっても、階段整備の時に建てられた石碑だけど。

▼諸葛廟境内
 この先を左に行くと入場ゲートと売店、駐車場がある

階段を上がった正面(…少しズレてるけど)に
諸葛廟の山門がある。
この山門も90年代後半の整備で出現した。

▼諸葛亮廟の山門

山門の扁額には「五丈原諸葛亮廟」
多分80年代後半にこれがあったら感動してたかも。
(↑訂正、87年当時も有りました。ここは閉まっていて
使われていなかった。そして写真がなかった。
スミマセン。)

自分でいうのもなんだけど…
今思うと、当時の自分は頭がおかしかった…。
三国志ファンって、って感じです…。
でもハマるんだよねぇ。

山門の内側。向かって左が馬岱で右が魏延だったかな。

「五丈秋風」の扁額がかかった献殿は1987年当時から
ありましたね。


五丈原2017 その③五丈原臥龍瀑計画?

2020年01月26日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

▼五丈原(諸葛廟)と岐山、蔡家坡駅

▼この丘の上に諸葛廟がある

ここのタクシー、なんだか知らないが物凄くぶっ飛ばしてくれた。

岐山站から丘の上の諸葛廟までタクシーで10分弱、
20元(約340円)。観光地価格か…。
抗議したら10元になるかもしれないが(笑)。

この年の夏に行った劉家峡(炳霊寺)は
ここの半分の距離で5元だった。
あの街のタクシーは擦れてなくて良かったなぁ。

▼五丈原観光センター 広い駐車場が出来ていた…

丘の上は整備されてて昔の面影なし。
当然入場料も取られる。
さすが観光地化されただけのことはある。
35元(約595円)…微妙に高い。

諸葛廟まではお土産物屋が並んでいるが、
シーズンオフの平日だからか全て閉まっていた。
そして所々まだ工事中…。

開発途中の仮の仕切り壁には五丈原の開発完成図があった。
なんと、高鉄の駅前から観光地化され、
しかもこの丘の斜面には「臥龍瀑」と書かれている。

………がりゅうばく?

げーっっ!!!滝を作る気か??????

入場ゲートを少し歩くと諸葛廟の境内に出た。
そうそう、ここが五丈原の諸葛廟だ…。
以前はこの辺の農民が境内にトウモロコシを
広げていたが、生活感は全く無くなった。


五丈原2017 その②幻の諸葛廟専線

2020年01月25日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

西安北站から岐山站へは約45分。
高鉄の車次によっても変わるけどだいたい50分弱と思えばいい。

………いやー、近いな五丈原

▼岐山站ホームから見た五丈原周辺

岐山というと、五丈原より周原、周王朝のイメージですねぇ。

高鉄(新幹線)が開通する以前は在来線で
蔡家坡(さいかは)站下車、
蔡家坡までは特急で2時間ちょっと、
客(各駅停車)だと4時間以上かかりました。

昔、中国の列車の切符を取るのは半日がかりの大仕事。
当時はまだ実名制では無かったので、
外人が集まる観光地の駅にはダフ屋がたむろして居ました。

外人料金(人民料金の1.75倍)なんてのがあった時代ですからね。
ダフ屋は少額の手数料さえ払えば、安い人民料金で切符を
取ってくれるので、時間とお金の節約になり重宝されてました。

西安駅のダフ屋は英語を話してたから結構インテリです。

初回の五丈原行きは、西安駅のダフ屋のおじさんに
取ってもらった切符が「客」でした。
はじめは特急指定で交渉したんですが、

各駅停車の方が席が取れていいよ

という話だったので、そのアドバイスに従い、
中国初の各駅停車に乗りました。

…山手線の如く停まる列車でダラダラと長距離移動するのは
結構キツかった。しかも4時間。

早朝に出発したのに蔡家坡に着いたら既に昼すぎ。

蔡家坡站からは乗り合いのミニバスで
市場を過ぎたあたりの「高店」下車。
畑のあぜ道を延々と進み
道なき丘の斜面を登って諸葛廟に到着でした。

今回は45分で着いたけど、五丈原を訪れる時間帯は
奇しくも初回と一緒だ。

百度地図によれば、岐山站前から諸葛廟行きの「諸葛廟専線」
というバスが出ている模様。
百度地図の指示に従いそれらしい場所で待ってみたが、
20分待ってもそれらしいバスは来ない。

諸葛廟専線のバス停と思しきところに近い食堂で
それとなく聞いてみたが、そんなの聞いたことがないそうだ。

「諸葛廟行きは知らないけど、近くまで行くならあっちのバス停」

と教えてくれた。

ダメ元で駅前に屯ってるタクシーの運ちゃんの輪の中に突撃!!

やはり「諸葛廟専線」なんてものは無いらしい。

百度地図のガセだった。

百度地図の縮尺では、諸葛廟がある丘は岐山站から5キロ位。

歩いて行けるが、明るいうちに西安に戻りたいので、
行きはタクシーで行くことにした。

「諸葛廟なら近いから歩いていけるよ、あっちだ…」

という運ちゃんに

「いやいや、その車で連れてってよ」

近いなら、5~10元か?と思いきや、
ここでは諸葛廟までは20元と決まっているということだった。

どうでもいいから、早く諸葛廟に行ってくれ!!


五丈原2017 その①一路岐山へ

2020年01月19日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

含元殿後ろの博物館を出ると10時半過ぎだった。

………やっぱり、五丈原チャレンジだ!!!

昨日から気になって仕方ない工事中の諸葛廟。
昔は一日がかりだった五丈原も、新幹線が出来てから
半日で行く気になれる近さだ。

と言ってもそれほど本数がある訳ではないので、
とりあえず12時台の切符がとれたら行くことに決めた。

一番近い西門(右銀大門遺址)を出て、
地下鉄一号線の龍首原站(りゅうしゅげんえき)から
西安北站へ。11:40着。幸い12:12分発の切符が取れた。

ラッキー!!

G2023次 12:12発 西安北➡岐山 二等
40元(約680円)


含元殿遺址

2020年01月18日 | 中国の旅

丹鳳門の後ろは広大な広場になっていて、その遥か彼方に
大明宮の正殿、含元殿(がんげんでん)の址がある。
含元殿の址を見るためには入場券が必要だった。

大明宮の入場料は60元(当時約1020円)。

▼大明宮公園の入場ゲート

▼含元殿の模型

▼含元殿遺址

▼含元殿遺址から望む丹鳳門

▼中国の新市街はどこも高層ビルだらけ

…しかし、広大すぎる。

▼紫宸殿址

▼含元殿後ろにある博物館

▼唐の宴会風景のジオラマ

▼武則天


丹鳳門

2020年01月10日 | 中国の旅

大明宮は長安の北西にあった宮殿で、唐の太祖(李世民)が父
李淵の為に建設を始め、三代目高宗(武則天の旦那)が大規模な
改修をして太極宮から移り住んだ為、以降政治の中枢となった。
現在は大明宮跡が発掘され、公園として整備されている。

▼この先が大明宮公園

▼シルクロードを彷彿とさせるオブジェと古代の馬車を模った風見鶏

丹鳳門(たんほうもん)は大明宮の正門で、現在復元されている。
さすがに大唐の都、長安の皇宮。大明宮の南門は超巨大だった。

丹鳳門の前を行きかう人と比べればその圧倒たる巨大さが
わかろうというもの…。

超巨大な門には5つのゲートがあった模様。
この楼閣では宴会が開かれることもあったらしい。
最初は門の上で宴会??とも思ったが、実際見てみると
宴会も出来そうな規模だ。

う~~~ん、素敵!!!!

丹鳳門の内部は博物館になっていて、発掘跡が保存されている。


北大街から安遠門

2020年01月06日 | 中国の旅

翌2017年11月24日金曜日。
一晩ぐっすり寝て、やっと復調した。思い返すも恐るべし麦積山…。

西安観光は今日1日のみなので、夏に行けなかった大明宮遺址と阿房宮にでも
行こうと考えていた。朝食をさっさと済ませて北大街を北に向かう。
今回は鐘楼の側に宿をとったので、ホテルを出ると北大街だ。
北大街は鐘楼から真っ直ぐ北に延びる大通りで、旧西安城壁の北門
安遠門(あんえんもん)に続く。

▼鐘楼から北に延びる北大街

朝8時の北大街沿いは、軽食の屋台で賑わっていた。
出勤途中の面々が立ち寄って朝食を買い求めている。
西安の屋台を久しぶりに見たが、全体的に小奇麗になっていた。
昔から変わらない軽食も多いが、道具や屋台はかなり進化している。

その昔、ドラム缶で作った窯に炭や練炭の燃料で焼いていた
小餅(シャオビン)は、今では屋台には不釣り合いな見た目の
プロパンガスのオーブンで焼かれていた。

すごい、仰天!!!

時の流れを感じるねー。

…焼きたての小餅は超美味しそう。

▼小餅の屋台、オーブンが凄い!!!屋台とは思えない!!!

▼北大街の突き当り、安遠門(内側)

▼安遠門(突き出た城楼を横から見たところ)

▼安遠門(城郭の外側)

安遠門をくぐった先には鉄道の高架がある。
大明宮は西安站(せいあんえき)の北側なので、鉄道の高架も
くぐって更に北進。


天水南→西安 ちょこっと三国志

2020年01月05日 | 中国の旅

3路のバスは50分ほどで天水站に着いた。
天水站から天水西站へは1路のバスで20分ほど、
3元(約51円/2017年11月時点のレートは約17円)。
天水站に着いて安心したのか、1路で椅子に座ったら
急に頭が重くなり、ついでに吐き気が…。
二日酔いの朝みたい。恐るべし麦積山。

15時少し前に到着した天水南站の内部はまだ建設工事中。
幸い、15:30の西安行きが取れた。

慌ただしくホームに入って、滑り込んで来た高鉄に乗る。
1時間ほど爆睡した後、ふと目覚めると右手の丘が目についた。

なんか見覚えがある…。

丘には二機のクレーンが経っていた。

まさか、五丈原の諸葛廟か????

乗っていた列車は岐山に停まらないので、一瞬で通り過ぎたが
嫌な予感が。そう、百度地図で確認した諸葛廟は、
高鉄の駅から歩いて行ける程(個人差あり)近いのだ。 

▼後日激写した諸葛廟がある丘

クレーンが立ってたぞ!!!

コンクリートらしきもので固められてたぞ!!!

あれ絶対諸葛廟の丘だ!!!

なんてこった〜!!!

悶々としたまま、列車は定刻通り西安に着いた。


麦積山 おまけ

2020年01月04日 | 中国の旅

▼麦積山入口前の掲示写真 第44窟「寂陵」の菩薩

寂陵(じゃくりょう)は西魏・文帝の皇后、
乙佛(おつふつ)氏の元陵墓。
何でこんなところに皇后の陵墓があったのかといえば、
乙佛氏は皇后を廃されたから。

時代は隋が建国される半世紀ほど前、北魏が東西に分かれた後。

文帝が即位して数年、西魏と東魏が北魏の正統性を争っていると
モンゴル高原の遊牧国家、柔然(じゅうぜん/蠕蠕(ぜんぜん)
の方がなじみ深い気がする)が南下して来た。

東魏と争っている中、柔然と敵対する訳にはいかないので
文帝は柔然の王女を妃として迎えることになり、乙佛皇后は
出家して息子の居る泰州(現天水周辺)に移り住んだ。

12人も子を生した(多くは夭折)ことからも判るように
文帝と乙佛皇后の夫婦仲は良かったが、露骨に下克上の時代。
宇文泰に実権を握られた傀儡皇帝に選択肢は無かったのだろう。 

が、柔然の王女は輿入れしてわずか2年で逝去したので、
死因を怪しんだ柔然の王が兵を挙げ、
そのとばっちりで乙佛廃后は死を賜る。
時に乙佛氏は30歳(中国的に言えば31歳)。

535年 文帝の即位とともに皇后になる
538年 柔然の王女の輿入れに際して皇后を退位
540年 柔然の皇后の逝去に伴い賜死

…なんとも慌ただしい、というかお気の毒。
つーか、流産が多かったとしても、16歳で輿入れして
12回も懐妊したということが凄い。 

文帝の死後、その遺言によって乙佛氏は文帝の永陵に
合葬されたそうだ。 

▼屋外で編み物に勤しむ中国マダム。
30年前はどこの街にも歩きながら編んでいる強者がいたが、
最近はめっきり見かけなくなってしまった。 

正午過ぎの麦積山景区入口は人気が無かった。

10時から観光を始めて3時間、13時過ぎに駐車場に戻ると
34路のバスは既に停まっていた。
天水には他にも見所はあるが、石窟の観光を終えて放心状態。
ただホテルで休みたい一心だ。

………早く西安に行こう

天水站(えき)から在来線だと西安まで4〜5時間。
天水南站から高鉄(新幹線)だと2時間弱。
そりゃぁもう当然高鉄ですよ。
天水南站への最短乗り換えを検索しようとスマホを見ると

………残念!!圏外〜〜!!!! 

麦積山の駐車場、中国聯通(China unicom)は圏外でした。

ここ数年の中国旅行では、SIMフリーのスマホで
香港のプリペイドSIMを使っている。
昔は街に着くと一番最初に地図を購入していたが、
百度地図が概ね便利なので、かなり助かっている。
百度地図の罠にも時々嵌るけどね。
香港のSIMは今のところLINEもできるので超お勧めです。