大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

兵馬俑博物館

2017年01月31日 | 中国の旅

西安駅から兵馬俑博物館までは1時間20分ほど。
306路の終点は秦陵北路の「兵馬俑」だった。
秦陵北路を横切り、兵馬俑博物館の駐車場を抜け、長い長い
土産物売場エリアを突き進み、やっと切符売り場にたどり着く。

入場料は150元(約2400円)。
切符売り場で切符を買っていると、日本語ガイドが客引きにやってくる。
兵馬俑博物館は広いから道に迷うので、ガイドを雇えということだった。
ガイド料は200元ほどだったと思うが、自由に見て回りたかったので
丁重にお断りした。

が、切符売り場そばの第一ゲートから、兵馬俑博物館の入場ゲートまで
立ちはだかる緑地で遭難しそうだった。
早くもガイドを雇うべきだったかと、ちょっぴり後悔する。
以前来た時は、駐車場の直ぐ傍に切符売場と入場ゲートがあったのに。
時間の限られた観光客に優しくない観光地になっていた。 

▼兵馬俑坑第二ゲート内の広場
 左側の白い屋根が第二の入場ゲート

▼第二ゲートを背にすると、兵馬俑一号坑の蒲鉾屋根の建物がある。

この一号坑の建物は、30年前からこんな感じだった。

▼一号坑内。30年前の発掘度合いはこの1/8以下だった。

▼始皇帝地下軍団の皆さん

以前は写真撮影禁止の兵馬俑坑だったが、現在は写真撮影可能らしい。
最近は、以前撮影可能だったところは撮影禁止で、
以前撮影禁止だった所は撮影可になっていように感じる。 

▼修復中の兵馬俑も展示されている。

▼ラッブで巻かれた兵馬俑。のりが乾く迄の固定か?

▼修復中の馬はブランコのような感じで固定されている(笑)

▼左の建物が二号坑

▼二号坑…だったと思う。


火車站東と游5(306)路

2017年01月30日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

その昔、フリー旅行者が兵馬俑坑を見に行くポピュラーな方法は、
東方ツアー(東方一日游)に参加することだった。
東方ツアーは朝7:00ごろに出発して、15時半頃戻ってくる日帰りの
バスツアーで、半坡博物館、始皇帝陵、兵馬俑坑、華清池を回っていた。
ツアーの切符は一部ホテルのフロントで販売されていたが、
西安駅前に行くと別のツアーバスが客の呼び込みをしていたので、
当日乗りも可能だった。 

現在は兵馬俑博物館まで観光用の路線バス306路が運行されている
ので、時間を気にせず楽に行ける。
百度地図で306の所要時間を確認すると1時間52分。
過去の経験から、百度のデータよりは早く着くので1時間半程度の
道のりと思われる。 

▲西安駅2016年と▼2000年
 看板や変なオブジェが無くなり、少し洗練された感が出てる 

西安駅前の城壁を潜って右に進むと、バスターミナル「火車站東」がある。

最近、中国のホテルは朝食の開始時刻が遅くなった。
早くて6:30、ところによっては7:00からというところもある。
7時ごろホテル出発のはずが、出遅れて火車站東に着いたのは
8時近くだった。

▼火車站東(フオチャーチャントン=えきひがし)方面

▼火車站東の306路乗り場/朝から長蛇の列

午前8時少し前、火車站東にはすでに長蛇の列が出来ていた。
この列はまさか…と思って先頭に行くと、看板に
「火車站→華清池→兵馬俑」、「国営陝西省旅游公交専線」、
「游5(306)」 、「西安火車站→秦兵馬俑」と書いてあった。

あいにくの日曜日、ところどころ乱れてはいるものの二列縦隊で連なり
途中で折れ曲がったその列は、50m以上続いていた。
炎天下日傘を差しながら、何時間待つことか。
タクシーで行こうか、などと考えながら見ていると、
バスは間をおいてもコンスタントに来ている様子なので、
このまま人間観察をしながら待つことにした。

列に並ぶこと30分弱、306路に乗り込む。思ったより待たなかった。
この路線は昔と同じく、車掌さん(?)が乗っていて発車後に料金を
回収にくるシステムだった。
西安駅から華清池まで6元(96元)、兵馬俑博物館まで7元(約112円)。

華清池をざっくり言うと、楊貴妃と玄宗のロマンスの舞台の温泉宮で
兵馬俑博物館の一つ手前になる。
…厳密に言うと、路線バスなのでこの間バス停はあるのだが
途中で乗降する客は居なかったので通過していた。
西安駅にはまだまだ観光客が待っているので、早く帰ってピストン輸送
しないとね…とは日本人の考え方かな? 

この路線の観光コースは、先に華清池、次に兵馬俑という回り方を
推奨している模様。
ほとんどの観光客は華清池で降りるので、兵馬俑まで行くと言ったら
三回聞き返された。今回は時間がないので華清池は回らない。 

▼306路車内/車内は普通の路線バス 

▼306路は途中、高速道路を通る


西安陽光国際大酒店と鐘楼2016

2017年01月28日 | 中国の旅

今回のホテル「西安陽光国際大酒店」はバックパッカーの強い味方
「解放飯店」の隣だった。
学生の頃、解放飯店のドミトリーにはかなりお世話になった。 

▼写真中央が「解放飯店」、その後ろが「西安陽光国際大酒店」
 写真右側の奥に延びる道が「解放路」 

▼2000年の解放飯店

13時過ぎ、「西安陽光国際大酒店」に到着。
チェックアウトのお客さんが揉めていて、受付まで15分近く待たされる。
予約した2部屋のうち1部屋がまだ準備中だった。

 ▼最近中国ではバスルームの壁がガラスになっているのが流行

西安北駅→地下鉄2号「大明宮西」→大明宮公園→西安駅と移動してきた。

ホテル前の解放路を買い食いしながらぶらぶら南下して
西安のシンボル「鐘楼」に向かう。
解放路を500mほど南下すると地下鉄1号線の「五路口」に行き着く。
買い食いで時間を食ったので、地下鉄で「鐘楼」に行くことになった。
「五路口」からは隣の「北大街」で2号線に乗り換え、次の駅が「鐘楼」。
五路口〜鐘楼は2元(32円)。 

▼鐘楼の入場券/ポップな感じになってる

鐘楼駅の地下改札を出ると、そのまま地下道で鐘楼へ行ける。
鐘楼の入場券売場も地下にあり、鐘楼の入口前の手荷物検査ゲート脇に
手荷物預り所があるので、巨大なバックパックを担いで来ても観光に
支障はなさそう。入場料は35元(560円)。

▼地下鉄の切符/別バージョンも鐘楼押し

▼鐘楼の周りはロータリーになっている

▼角度がちょっと違うけど2000年の鐘楼

▼「鼓楼」方面

▼鐘楼から北に延びる「北大街」

▼鐘楼飯店/昔から泊まってみたいと思っているが泊まったことが無い

▼ホテルで一瞬休んで復活した二人と鐘

▼2000年版夜の鐘楼

▼鐘楼側のスタバ

 


大明宮遺址

2017年01月26日 | 中国の旅

新幹線(高鉄)は西安北駅に着く。
西安北駅はその名からも判る通り、西安駅の10km程北に位置する。
中国の街はどこもそうだが、昔に比べると市街地がもの凄く広がっている。

▼西安地下鉄の非接触型切符(カード) 

G2001次が西安北駅到着したのは予定通りの10:35頃。

今回、西安のホテルは西安駅前の西安陽光国際大酒店にしたのだが
最近は中国のホテルも日本と同じく、チェックインは14:00から。

アーリーチェックインのリクエストを出してはいるが、何となく悪いし、
たぶんリクエストはあって無きが如しなので、途中観光をして
時間を潰しながら西安駅に向かう事にした。

観光地候補は地下鉄一本で至近までいける「鐘楼」と
西安駅の北側にある「大明宮国家遺址公園」。
地図を見たところ、唐の大明宮が公園として整備されたようで
「大明宮国家遺址公園」には、ちょっと興味があった。 
…いや、玄武門跡が見たかった(笑) 

でも今回は、歴史にあまり興味の無い友人二名が同行しているので、
意思確認をしなければ。

では、リクエストを取ります!
時間つぶしの観光は、鐘楼と唐代の宮殿跡の公園どちらがいいですか? 
公園は西安北駅と西安駅の間にあるのでそのまま歩いてホテルに行けます。 

宮殿跡~!!

二人はまだ知らなかった。中国の公園が無駄に広大であることを。
そして、炎天下にバックパックを担いだ状態で1時間程度歩かされることを。 

西安北駅から地下鉄2号線で大明宮西下車。
西安北駅から大明宮西までは3元(約48円)、13分。

玄武路を東に進み、北側から大明宮国家遺址公園に入る。

▼玄武路沿いの八百屋さん。スイカが美味しそう。

個人的に大明宮の見所(?)は、玄武門跡だと思っている。
玄武門は大明宮の北にある門で、唐の太宗皇帝(李世民)が、
兄の皇太子と弟を謀殺した舞台。

▼玄武門遺址

▼玄武門遺址にある玄武門の復元模型

▼大明宮公園には建物跡にその建物がミニチュアで再現されている。

大明宮公園はそりゃもう広いので、園内を巡る有料カートが
運行されている。また、時折オート三輪タクシーも出没するので
歩き疲れたら利用するといい。

広い園内をウロウロしていたらあっという間に1時間半が過ぎていた。
時間が無いので、通りかかったオート三輪タクシーを止めて
西安駅迄行けるか聞いてみたら、行けるというので、お願いした。
西安駅まで一人5元(約80円)。

▼オート三輪はおばちゃんが運転している 

オート三輪は大明宮の南に出ると、丹鳳門(たんほうもん)前を通り、
そのまま路地を少し行って止まった。

………えっ?

大明宮から西安駅に行くには、線路を渡らなければならない。
地図を見る限り、大明宮前には線路を渡る道は無いので道を一本
遠回りするのだろうと思っていたが、線路のこっち側で降ろされて
しまった。 

おばちゃんに駅への道を聞くと、地下道を通れば線路の向こう側、
西安駅に出られるそうだ。

彼女の指差した先に、怪しい地下道があった。

▼大明宮の丹鳳門 

▼再建された西安駅前の城壁モドキと西安駅の後ろに丹鳳門

地下道を抜けると西安駅の東側、バスターミナルに出た。

 


G2001次 洛陽〜西安北

2017年01月25日 | 中国の旅

洛陽の次は西安。
昨日乗ったG2001次(鄭州→西安北)で西安に向かう。 
洛陽龍門駅から西安北駅へは時刻表でいうと1時間42分の道のり。
一等席で279.5元(約4472円)。 

以前洛陽→西安に乗ったのは1988年で、当時最速の特急でも約8時間。
当時一緒に旅をしていた友達が、120分テープに「爆風スランプ」の
曲を入れていたが、「これを4回聞き終わったら、西安に着くんだ」と
言ったのが印象的だった(笑)。
自分の中ではこの8時間が中国で立って移動できる最長の距離だったが、
新幹線が通って2時間を切るなんて、夢のようだ!!

▼G2001次 和諧号
 いつも"高鉄は事故ったら埋められちゃうんだな"と思って乗ってる。 

▼二等席/鄭州→洛陽龍門は37分だったので、二等車(笑) 

▼一等席/車掌さん(?)が検札兼、一等席のみのフードサービスに
 やってくる。日本の新幹線のグリーン車は乗った事がないが
 こんな感じ? 

▼一等席のみのフードサービス箱の中にオレンジジュースとパンと
 クラッカーが入っていた。 

▼西安北は結構大きい駅だった。
 こう見ると上海虹橋駅といわれても、「ああ、そうだね」と言える感じ。

 


斉雲塔と狄仁傑墓

2017年01月24日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

斉雲塔(さいうんとう)は白馬寺の東側にある仏塔で、
金の大定15(1175)年の創建。13層、高さ24m。

過去、何度訪れても入口が閉まっていて近づけなかったが、
現在は白馬寺と共に整備されていつでも見られるようになっている。
2016年8月現在、修復工事中。

▼1988年の斉雲塔。86年当時は観光客も見られず、閉まった斉雲塔前に
 人相見(手相見)のおじさんがウロウロしているだけだった。
 観光用の白馬は1987年頃から見かけるようになった。 

斉雲塔前に出没する手相見のおじさんは当初中国語で「手相見ようか」と数少ない
観光客に声をかけていた。言葉がよく判らないから見てもらえないと断っていたの
だが、翌年には日本語で「手相見ましょうか」と声をかけるようになっていた。
素晴らしい営業努力(笑)。
現在は韓国人観光客が多いようだが、この頃は日本人観光客が多かった。 

▲白馬寺と斉雲塔の間に新しく出来た「大雄殿」。この辺りは尼寺のようだった。

▲白馬寺と斉雲塔の間には、生活感あふれる場所も健在。

▲狄仁傑(てきじんけつ)墓▼狄仁傑は武則天時代の有能な官吏。
 最初に見た時はどぶのような池の前に墓石が傾いて立っているだけだった。
 現在は土饅頭も再建されてすっかり見違えた。 



漢魏洛陽故城遺址

2017年01月22日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

白馬寺前の鄭洛公路(310国道)を東に行くと、漢魏洛陽故城遺址がある。
漢魏洛陽故城遺址といっても、以前は畑の中に土を盛った旧城壁跡が残っている
だけだったが。
現在は鄭洛公路の南側が発掘されているという噂を聞いたのでこの旅でも行くつもり
…だった。
が、真夏の炎天下、友人に畑の中を小一時間歩こうとも言えず諦めた。
やっぱり遺跡の旅は冬に限る。

ということで、昔の写真を。

▼1986年3月/鄭洛公路(310国道)。この辺りの主要幹線道路だった。
 翌1987年は中国でビリヤードが流行っていて、この道端に台を置いて昼間から
 青空ビリヤードに興じる若者がいた。今思えば、彼らはなんだったのか。 

▼同鄭洛公路(310国道)で撮った写真。凄く好きな一枚。

 

▼鄭洛公路(310国道)の南には、鉄道が走っている。街路樹が並んでいるところが線路

▼1988年2月漢魏洛陽故城遺址
 左右の一段高くなっている所が洛陽城の西側の城壁。この辺が西南門だったらしい。 

▼このコンクリートで出来た碑には1986年当時、漢魏洛陽故城雍門と書いてあったが、
 1988年時点で既に判読できなくなっていた。

▼1998年9月の漢魏洛陽故城址/いつの間にか畑の中に石坊が立っていた。

▼漢魏洛陽故城の石坊(コンクリート製)/ここだけ農道が広くなっていた

▼漢魏洛陽故城址をずーっと北上していくと、ボウ山(ボウは亡+おおざと偏)に至る。
 ボウ山(北ボウ)は洛陽城の北にあり、古来皇帝や貴族の陵墓が造営された場所。
 以下の写真の土山もお墓。 近づいてみると結構大きい。


白馬寺2016 その弐

2017年01月21日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

1986年版の洛陽市交通図の裏面にあった、白馬寺全景。

白馬寺の位置は後漢時代から変わっていないそうだ。
洛陽城は始め白馬寺の東側にあったが、隋以降に西側の現市街地方面に移っている。 

▲天王殿▼山門を入ると四天王が鎮座している天王殿がある。

ここの四天王は愛がこもってない造形なので割愛します。
▼天王殿後ろの帝釈天/なんとなく寄り目に見える。

▼大仏殿の脇侍菩薩、とても美しい立ち姿。

▼観世音菩薩/大仏殿後ろにある。
観世音菩薩は前出の脇持菩薩にも劣らない出来の良さだが、
以前は赤い布が掛けられていてよく見られなかった。

▼大雄殿後ろの韋駄天


白馬寺2016 その壱

2017年01月20日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

白馬寺は紀元68年に創建された中国最古の仏教寺院。

後漢の明帝が夢枕に立った神のお告げで西方に仏教を求める使者を遣わした。
その使者が白馬に乗せて経典を持ち帰ったことから、寺の名前が白馬寺になったそうだ。

関林から白馬寺はタクシーで30分ほど。
路線バスだと58路一本で関林廟から白馬寺まで行けるが、多分1時間半以上かかると思う。 

▼1986年3月/白馬寺山門前。山門前はわずかばかりだが広場のようになっていた。

▼1998年9月/鄭洛公路(310国道から)白馬寺山門方面を望むとこんな感じ。

以前は鄭洛公路から白馬寺山門前に一本道が延びていた。
その道の両側は凸凹でところどころ草が生えていたり、大きめの窪みには水が溜まって
池のようになっていたが、その部分の整地が始まったようでラフな感じに成らされていた。
現在、この部分は山門前の広場になっている(下の写真参照)。

▼2016年8月/上記写真の空き地部分が整備され、山門前広場は磚が敷き詰め
 られている。しかも塀で囲まれているので道路から直接見えない。

▼白馬寺山門脇の白馬の石像…でも以前のものとは違う感じがするが…。 


旧・関林

2017年01月19日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

関林近くの龍門大道1986年版。対向一車線のセンターラインなし、適当でボロボロの
舗装、3本立ってる街路樹の向こう側は自転車用の側道。 
現在は片道3車線、自転車用(?)側道あり。
1986年当時は道の向こう側が一面畑で、夕日が沈むさまが美しかった。 

龍門大道から関林に至る道。毎月3の付く日に市が立ち、その時は賑やかになる。

▼大門1988年2月/大門の左側に入場券売場があった。
 丁度春節時期で、元宵節前だった。この前は現在だだっ広い広場になってる。 

▼儀門1986年3月

▼大殿1986年3月

▼大殿の扁額1993年3月

▼オマケで洛陽のトロリーバス。二輌連結で連結部の床はターンテーブルになっている。
 昔は床が板張りで、よく穴が開いていた。走っていると地面が見えるものが多かった。


関林2016~⑨娘娘殿

2017年01月18日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

西の配殿を紹介したので、ついでに東も。
東の配殿は「娘娘殿」。関羽の奥さんが祭られている。

関羽の奥さんになりたい人は居ても、奥さんに関心のある人は…まあ居ないかな。

▲聖母娘娘(関羽夫人)/だいぶ色あせてしまって、白髪のように見える。

▲1988年出来立てホヤホヤ(?)の関羽夫人像。まだ黒髪。

▲1993年3月の関羽夫人。そろそろ白髪になってきている。
 当時は前に柵が設けられていた。一時期どこに行ってもこんな柵がついてる時期があった。

▲1986年3月の二殿付近。昔は生活感ありありの関林だった。当然坊さんも居ない。

▲馬の石像越しの二殿付近。この馬の石像は以前は無かった気がする。


関林2016~⑧五虎将殿

2017年01月17日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

話しは戻って、財神殿となってしまった二殿の西の配殿は「五虎将殿」。
そんなに出来が良い訳ではないですが、五虎将ファンの為にサービスです(笑)。

関羽を中央に西側に趙雲、黄忠。東側に張飛、馬超と並んでいます。

▲左から黄忠/趙雲/関羽

▲左から関羽/張飛/馬超

▲関羽/昔はマント着てなかったんだけど…。

▲趙雲/マントを着せることを想定していない造りの為か、せむし男みたい…。

▲黄忠/配色からいうと、趙雲とマントを交換した方がいい。

▲張飛 …いつも思うが、扱いが可哀想。

▲馬超/中国の馬超さんはなんでピンクなんだろう。

▲関羽作成中/髯が無いと若く見える

▲張飛、馬超も作成中/色つけなくてもいい感じ。


関林2016~⑦石坊と関塚

2017年01月16日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

三殿を抜けると、石坊(せきぼう)を配した関羽の首塚が現れる。
石坊には「漢寿亭侯墓(かんじゅていこうぼ)」と記されている。 


▲石坊▼

石坊の後ろにはいつ行っても色鮮やかな、八角亭。

八角亭だけは、1986年当時からいつ行っても発色が良い(笑)。

現在は関羽の首塚(関陵)には上がれなくなっているが、以前は上に登れた。
八角亭に向かって右側にアーチ型の入口があり、入口上部には「関陵」と書かれていた。
以下が昔の関陵。
塚を覆う煉瓦は赤く、塚の上は人が上がるためか土がむき出し。 

▼関陵には植樹されていたが、草は生えていなかった。

▼関陵の上から八角亭方面を望むとこんな感じ。


関林2016~⑥三殿 その弐

2017年01月15日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

三殿の寝台関羽は、2016/8現在寝たきり。

在りし日の…というか、出来立ての頃の寝台関羽は、
寝台脇に服務員が座っていて、その脇に操作レバー(1m近い床から生えた棒)があり、
観光客が来ると服務員がレバーを操作して、寝かしたり、起こしたりしていた。

当時としてはハイスペックなアトラクション(?)だったのだろう、
服務員のお姉さんも喜々として操作していたし、関林の別の職員も見物に来ていた。
我々観光客にもサービス精神旺盛で、写真撮影に合わせて寝かしたり起こしたりしてくれた。

………中国人らしくなく、愛想がいい(笑)

▼在りし日(?)の寝台関羽/まだ服務員が楽し気に操作していた頃

寝台関羽は後にレバー操作からボタン操作になり、
1998年には人が前に立つと
変な音楽が流れ→黄色いカーテンがオープン→関羽が自動で起き上がる
→関羽が寝る→カーテンが閉まる
というように全自動に進化していった。

現在は三殿の番人のようなお坊さんが寝台の前に座って、写真撮影を禁じている。
黄色いカーテンは閉まったままだった。