大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

大同に寒波襲来

2018年06月26日 | 中国の旅

2016年11月の中国は大寒波にみまわれていた。
内蒙古では家畜が寒さと降雪の為大量死しているというニュースが
連日放送されていた。
天気予報は中国全土で悪天候、雨マークと雪マークで地図が
覆い尽くされていた。 

この大寒波が大同にもやってくる。…いや、今日やってきたはず。
昨日、LINEで友達からも連絡があった。

月曜の気温がヤバい、生きて帰ってきてね…

山西電視台の天気予報では、明日は更に気温が下がっている。
最高気温-8℃、最低気温-16℃、そして今夜から雪。
氷点下8〜16℃なんて、スキー場か?
日本は秋だったので、嘗めた服装で来てしまった。
薄いキルティングのコートとマフラー、薄いセーター。手袋なし。
確実に死んでしまいそうだ。

でも、今日の天気 も雪予報だったから予想に反して暖かい事も
あるかも…。

明けて11/21月曜日。晴れ。

なんだ、晴れてるじゃん

が、見た目暖かそうに見えた屋外は、もの凄く寒かった。
耳と鼻がちぎれそうだが、本日大同を離れるので、
下華厳寺の菩薩さまをもう一度見てから帰りたい。

強風の中、華厳寺に向かう途中、昨夜雪が降ったであろう痕跡を
見つけた。どうも、歩道の雪は近所の人たちかお掃除担当の人達に
除雪されたようだ。人海戦術か…?

早朝から辺りを掃く音がしていたが…。

乾燥してパラパラしたアラレのような雪は、寒さで溶けないから
箒で掃いて、塵取りで集められる感じではあるが…。まさかね。

埃のように扱われる雪を華厳寺前で目撃した。

竹ぼうきと塵取りで除雪できるなんて、凄いぞ大同!!

 


永泰門(南門)

2018年06月24日 | 中国の旅

関帝廟見学後、道教の文昌帝君を祀った帝君廟を観て、17時直前に
南門に到着。冬場だし田舎だから17時に閉まっちゃうかも、
と心配していた城壁の開放時間は、20時までだった。

おーっ。

しかもなんと入場無料だった。すご〜い、西安なんて900円弱取るのに。
入場券は身分証を見せるとくれるので、外人はパスポートを提示すればいい。

11月半ば、大同は17:00を過ぎるとそろそろ暗くなる。

▼大同古城

城壁入口の看板によれば、大同古城の面積は3.28平方キロ。
現存の城壁は、明の大将軍徐達(じょたつ)が、漢、魏、唐、遼、金、
元の城壁を元に洪武5(1372)年に完成させた。
城壁の周囲には堀を巡らし、吊り橋、城楼、箭楼、月楼、望楼、角楼、
控軍台と軍事施設を完備している。
城壁の高さは14m、上部の幅12m、下部の幅18m、一周7.2kmで
正方形。4つの主城門は、東を和陽門、南を永泰門、西を清遠門、
北を武定門という。

大同古城って本当に要塞っぽい。
さすが、徐達…。 

▼大同城南東にある雁塔

城壁は日が暮れるとライトアップされる。
西安よりもかなりセンスあるライトアップっぷり。
そして、大同は日が暮れると一気に寒くなった。
氷点下かも、と思わせる寒さにライトアップどころではなくなり
早々とホテルへ撤退(笑)。 

▼ライトアップされた南門


大同の関帝廟

2018年06月23日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

大同の関帝廟は鼓楼東街にある。入場料30元(480円)。

大同の関帝廟は変な風に直されてなくて、結構いい佇まい。

関帝廟山門脇の入口。
入口には関帝廟お決まりの忠義の文字が控えている。

主殿は大同で唯一残った元代建築。

主殿の東西には名将殿がある。

主殿には鐘と太鼓が置かれていた。

大同の関帝廟、塑像は垢抜けないけど、壁画が素敵。

東西の回廊には石碑が立っている。

関帝廟内はどこにも撮影禁止の札が無かったので、撮影可だと
思ったが、実は不可で廟内を巡回して見張っているおばさまに
教育的指導をされてしまった。
外側(建物)の撮影は可、山門も含め殿内は不可という話だった。 

▼唯一撮影した壁画
ここは壁画が素敵なので図録か絵はがきを出してほしいものです。

▼関帝廟前広場 山門の対面には戯台がある。


九龍壁

2018年06月21日 | 中国の旅

九龍壁は、明の洪武25(1392)年に、代王府の前に建てられた影壁。
影壁とは門の外又は内側に建てる壁で、邪気が門内に入らないように
するもの。直接内部が見えないよう、目隠し的な役目も果たす。
代王は太祖朱元璋の第13子、朱桂(しゅけい)。

代王府は崇禎年間(1628~1644)に戦火に遭い、
九龍壁のみが残ったそうだ。

九龍壁の入場料は10元(160円)。
門を入ると、空き地にぽつんと九龍壁が立っていた。
想像とはだいぶ違う敷地だけど、九龍壁は思ったより大きく立派
だった。

長さ45.5m、高さ8m。
須弥壇に彩色瑠璃瓦で九匹の立体的な龍が描かれている。

600年以上風雨に耐えているとは思えない美しさ。
焼き物ってすごいね~。


武周山の気になる長城

2018年06月20日 | 中国の旅

雲岡石窟には北魏陳列館やら雲岡博物館やらありますが、
共に休館中で見られず。
公園のように整備された敷地をとぼとぼと戻る。

▼霊岩寺

霊岩寺越しに石窟を眺めると、武周山山頂には長城や狼煙台の
ようなものが見える。
昔見た中国の地図では、雲岡石窟(武周山)に万里の長城マークが
ついていたので石窟よりもこっちの方が気になっていたが…。

▼超気になる その①

▼超気になる その②

帰国してから百度地図の衛星写真を見たら、更に気になる建造物が…。
こうしてみると行けそうだけど、どうなんだろう。
ご存知の方がいらしたら、是非ご教示ください。

石窟を出ると驚いたことに14:30過ぎ。
入ったのが10時だったから4時間半も石窟をウロウロしていたのか。
普通は1時間半もあれば充分見られるところだけど。

この日、天気予報では最高気温6℃、最低気温-7℃そして雪だった。

ところが、雪どころかお日様が出るいいお天気で、日向に居れば
それほど寒さを感じないのどかなお日和。仏のご加護?

曇曜五窟の大仏群を眺めていたら、あっと云う間に3時間経って
しまったという感じ。ゆっくり見ていきなよ、ってことかな。

闕門(けつもん)を出ると、丁度3路のバスがやって来た。
これも仏のご加護(笑)。
3路で30分弱行ったところ、「同泉路西環路口」で38路に乗り換え。
38路も1分も待たずにやってきた。

流石に大仏群のご加護は素晴らしい。

38路で華厳寺まで戻れればと思っていたが、車内の路線図を見ると
華厳寺の次の停留所が九龍壁。
これは九龍壁を見に行けという啓示か(笑)。

3路、38路とも1元(16円)。

▼3路のバス


雲岡石窟 その⑪ ~塔窰洞~

2018年06月17日 | 中国の旅

第39窟「塔窰洞(とうようどう)」は雲岡晩期最大規模の洞窟で
内部に方形の塔を安置した塔廟窟。494~525年。
塔廟窟は当時の流行りらしい。

四角い塔は五層で高さ6m、四面に仏龕が施されている。
保存状態も良いので中国早期仏塔の重要な資料と説明板にある。

石窟の四面には千仏が彫られている。


雲岡石窟 その➉ ~雲岡西部窟群~

2018年06月15日 | 中国の旅

露天大仏の西側、第21~53窟(及び編号の無い窟)を西部窟群という。
雲岡石窟の晩期、洛陽遷都の北魏太和18(494)年以降に造られた。

▼西部窟群の一部(露天大仏の西隣)は工事中

中小の石窟と小さな仏龕(ぶつがん)が大部分を占める。
仏龕というのは、壁面に掘った仏や経典を安置する小部屋。

▼仏龕と仏

▼仏龕と仏その②…頭部が無くなってしまったお気の毒な仏

太和18(494)年に北魏王朝が洛陽に遷都して、皇家が雲岡での
石窟造営を止めた後、ということは…
裕福といえど、庶民による造営なので小ぶりの仏龕が主流なのか。

▼この仏(?)は仕女図のように女性的…施主一族の女性かな?

雲岡晩期は仏教芸術が中国化していく時期で、
仏像の多くは細っそりとして、龍門石窟の様式に近いと
中国名勝辞典にある。
この辺はまさしく龍門の北魏時代の仏像を彷彿とさせる。


雲岡石窟 その⑨ ~曇曜五窟③露天大仏~

2018年06月14日 | 中国の旅

第20窟「白仏爺洞」の御本尊は、雲岡石窟のシンボル露天大仏。
…思ってたよりも、小さかった。

白仏爺洞の前壁は遼代以前に倒壊してしまったそうだ。
露出しているのは釈迦坐像で、高さ13.7m。
胸から上は堅固な材質の為、露天でも保存状態は良好。
手足の部分はだいぶ傷んでる。
人形同様、仏も顔が命だねー。

▼味のあるお顔の大仏さま。西の脇侍は既にない。

肩幅が広くて、正面から見ると丸顔。
角度によって面長にも見える不思議な仏。
説明には薄い唇とあるが、個人的には薄いとは思わないけど…。
まあ、洛陽の奉先寺大仏に比べれば、薄いか。

下華厳寺のついでに寄ってみた雲岡石窟だけど、
見始めると大仏系に不思議な魅力がある。

うーーーん、味(笑)。味だな、味。

露天大仏にはこんな参道が出来てて、頭上には風化した長城(?)がある。


雲岡石窟 その⑧ ~曇曜五窟②~

2018年06月13日 | 中国の旅

第18窟「立三仏洞」と第19窟「宝生仏洞」。

▼第18窟

▼第18窟西側の弟子像群…弟子たちは風化が進んでます。

▼第18窟の立仏 高さ15.5m

第18窟は東側の弟子像群が佳作と言われているらしい。
確かに。西側も崩れていなければ、東西だったんだろうな。

▼第18窟東側の弟子像群

第19窟「宝生仏洞」の大仏は高さ16.8mで、雲岡石窟で二番目に
大きい大仏らしい。

▼第19窟の大仏

▼第19窟の露出した菩薩さまの後ろ(写真左側)に
 第20窟の大仏さまの横顔が出ている。

第19窟西側の露出した脇侍菩薩さまは高さ8mらしい。
この露出した脇侍菩薩さまが結構印象に残っている。

第20窟の大仏同様に露天で細部まで見やすいからかな(?)
確か、第19窟東側の脇侍さまは岩の覆いが残っていて
部分的にしか見えなかった。

ここまで見学してだいぶ北魏の仏像も見慣れてきた。
見慣れてくると、クセになる顔つきというか、
ずっと見ていたくなるような、不思議な魅力がある。
北魏仏の魅力は味のある顔つきかもしれない。


雲岡石窟 その⑦~曇曜五窟①~

2018年06月11日 | 中国の旅

第9窟~13窟は清代に彩色を施されたことから五華洞というそうだ。
9窟と10窟が一対で11窟~13窟も一体で造られたらしい。
12窟天井には伎楽天が彫られているらしいが、11~13窟は改装中で
非公開だった。

▼11~13窟の楼閣(第5、6窟かも)

第16~20窟が曇曜五窟(どんようごくつ)と呼ばれる雲岡石窟の
メイン窟。460~470年。
高僧曇曜により、雲岡で最も早く開削された窟だそうだ。
ドーム状に掘った洞窟に北魏の五人の皇帝の姿を写した仏像がある。

▼第16窟「立仏洞」

▼立仏 高さ13.5m

▼第17窟「弥勒三尊洞」

弥勒さまの高さは15.6m。風化したお顔が夢に出てきそうなほど
怖い…。

▲左右の窪んだ仏龕内の脇侍菩薩は奇麗に残っている▼

第16窟と第17窟、第18~20窟がそれぞれ組みになっているそうだ。


雲岡石窟 その⑥ ~第7、8窟~

2018年06月08日 | 中国の旅

第7窟「西来第一仏洞」。471~494年。あまり大事にされていない感じ。
双窟(ペアの窟)としては、第7窟と第8窟が大同で一番早く造られたと
説明書きに書いてあった。
写真撮影可だったので、こちらで第6窟の雰囲気だけでも感じられれば…。
第6窟はここよりも色彩や彫刻が細かくてきれいに残っていた感じかな。

天井や壁上部には飛天もあります。

▼石窟内部から、入口を覆った木造の扉を見るとこんな感じ。

▼左から第8窟、第7窟、第6窟、第5窟


雲岡石窟 その⑤ ~石窟中央(第5、6窟)~

2018年06月06日 | 中国の旅

第5、6窟は雲岡石窟の中央に位置する。…と中国名勝辞典に記載あり。

第5、6窟は内部で通じているらしいが、第5窟「大仏洞」は改修中で非公開。
中には高さ17m、最大の座仏があるらしい。
石窟前の木造の楼閣は、清の順治8(1651)年に建設されたそうだ。

▼第4窟から第5窟への通路

第6窟には巨大な塔柱があった。
その四面には釈迦牟尼の誕生から入滅までの物語が彫られている…と
後から入ってきた中国人付のガイドさんが説明していた。

お釈迦様の誕生から入滅の物語と言われてレリーフを見てもよく判らなかったが、
規模といい、天井や壁のレリーフや緑の色彩といい、素晴らしかった、気がする(笑)。
実際2年近く前なのと、記憶がごっちゃになっているのでどことがどこか
よく覚えてない。

なんたって、素晴らしいところは当然写真撮影禁止だったから。

一部中国人は普通に写真撮っていたけど…。

▼第6窟の楼閣

北魏の遷都により雲岡石窟から龍門石窟に移ったというが、
北魏時代の石窟として比較すると、雲岡石窟の方に軍配が上がる気がする。


雲岡石窟 その④ ~雲岡東部窟群~

2018年06月05日 | 中国の旅

中国名勝辞典によれば、雲岡石窟は大同市街の西16km、武周山の南麓にある。
現存する主要洞窟は53、像は51000体にのぼり世界的に著名な芸術の宝庫だそうだ。
石窟自体は東西1kmらしい。

霊岩寺から堀を渡って行くと、やっと雲岡石窟の東端に到着。
石窟の東端第1~4窟は東部窟群と呼ばれる。

いよいよ雲岡石窟群。

東部窟群は塔洞で、洞窟の中央部に方形の塔柱が造られている。
塔柱の四面は仏像と故事の彫刻、塔柱周囲の壁面には建物のレリーフが施されていて、
北魏建築を研究する上で重要な資料らしい。

第2窟「寒泉洞(かんせんどう)」は壁面に結構色が残っていた。
龍門石窟も以前はこれくらい朱色が残っていたが、この夏に見た感じでは
だいぶ退色している印象だった。

▼第2窟「寒泉洞」(…だったと思う)

▼寒泉洞の塔柱

岩肌は結構風化が激しい。

第3窟の霊岩寺洞(れいがんじどう)は大型の塔洞として設計されたが、
規模が大きすぎて北魏一代では完成しなかったそうだ。

▼第3窟「霊岩寺洞」

▼霊岩寺洞の後室の仏と菩薩

豊満で柔和な様式の仏像は初唐の様式らしい。
やっぱり、いいと思う仏像は唐代のものなのね~。


雲岡石窟 その③ ~曇曜広場から霊岩寺~

2018年06月04日 | 中国の旅

雲岡石窟の入場ゲートを抜けると、曇曜(どんよう)広場に出る。
曇曜は北魏文成帝(452~465年)時代、雲岡に石窟寺院を造営した
高僧らしい。

▼広場西側の石窟方面に続く大門

曇曜広場を抜けると、象が背負った仏の柱が林立する参道がある。
新しいとはいえ、この柱に囲まれた参道は圧巻。

参道の先には、新設された巨大な霊岩寺がある。
そういえば、第三窟が霊岩寺洞と書いてあったからそこから
来ているのかな。

▼霊岩寺

▼霊岩寺境内の石塔

▼千仏殿

 雲岡石窟はまだまだ先。


雲岡石窟 その②

2018年06月03日 | 中国の旅

さすが世界遺産!!といわんばかりに整備された雲岡石窟の大門(闕門)は超巨大。
きっと石窟までかなり歩かされるであろうことを暗示している(笑)。



門を入ってしばらく行くと巨大な駐車場が現れ、ガードレールで仕切られた
広い道を渡った左側に旅客センター(切符売場)があった。
旅客センターは道から見ると木々に埋もれた感じで、最初は判らなかった。
シーズンオフの朝10時、雲岡石窟の観光客は疎らだった。

そして、石窟どころか、入場券売場まで結構歩いた(笑)。

▼雲岡地図

雲岡石窟の入場料は125元(約2000円)。
龍門石窟より高かったのはビックリ。
30年前は人民料金1~2角、外人料金3元ってところかな…。

石窟の入口は、地下一階。この辺の造りは龍門石窟と同じだね~。
地下のホール中央には金ぴかの仏像。

仏像の脇を抜けて、雲岡石窟景区入口に出る。