漢水南岸の襄陽城城壁、1986年版。
▲臨漢門 襄陽城の北の城門。漢水に向かう為臨漢門という。
▲臨漢門内の城門はこんな大きさ。
▲城門は二重になっている
▲城門上の楼閣
▲夫人城側から臨漢門側を望む
▲夫人城の更に西側にも城壁は続くが土がむき出し
漢水南岸の襄陽城城壁、1986年版。
▲臨漢門 襄陽城の北の城門。漢水に向かう為臨漢門という。
▲臨漢門内の城門はこんな大きさ。
▲城門は二重になっている
▲城門上の楼閣
▲夫人城側から臨漢門側を望む
▲夫人城の更に西側にも城壁は続くが土がむき出し
…旅行中なので2015年版は一休みして、86年シリーズを…。
▲襄陽公園の脇には焦柳線が通っているので、86年当時はよくSLを
見ることが出来た。
▲襄陽公園内の池の亭(あずまや)
現在の黒塗りより、こっちの極彩色豊かな方が断然いい。
▲漢水に架かる漢江大橋と襄陽城の城壁
▲襄陽側から見る樊城側。高い建物は皆無。
▲漢水の上流側を見ても橋は架かっていない。
現在はこの先に漢江長虹大橋と臥龍大橋が架かっている。
▲三顧堂
当時は中国らしく朱塗りの門だった。
▲若き日の諸葛亮。唐沢寿明に似ている(笑)
▲石韜と崔周平だったような気がする。この反対側に徐庶と諸葛亮が
談笑する塑像があったのだが、あいにく、写真が見つからなかった。
▲躬耕隴畝(きゅうこうろうほ)
▲古隆中牌房
道は舗装されていないので、雨の日は泥でぐしゃくじゃ。
現在との大きな違いは、中国国内旅行者の服装。この頃は人民服を
着ている人が結構居た。
▲抱膝亭
こう見ると曇りの初春も結構趣がある。
▲草廬碑
文字に赤い色を塗りたくる前の方が有り難味がある。
▲武侯祠を横から見るとこんな感じだった。
▲武侯祠内の諸葛亮像▼
現在に比べると祭られている感は無い。
▲三義殿の三兄弟
元はキンキラ金だったようだが、いい具合に汚れていて燻銀ならぬ
燻金のようで、良かった。この三兄弟像には愛がある(笑)
三義堂の境内に花盛りの木があった。
近づいてみると白く大きな花房は、アジサイのよう。
……背の高いアジサイ。と思ったその花は、
"木本綉球(もくほんしゅうきゅう/ムーベンシュウチュウ)"という
らしい。別名"闘球(斗球)"。
学名は"Viburnum macrocephalum"
英名は Chinese snowball viburnum
木本綉球の日本名はなさそうだが、
別名の"闘球(斗球)"で調べたら"アジサイ"だったので、
やっぱりアジサイでいいのかもしれない。
境内のこの木は樹齢100年だそうな。
武侯祠を出て右に行くと、三顧堂があった。
以前、三顧堂の山門は全体が朱塗りだったが、現在はシックに
纏まっている。
三顧堂内部の塑像は変わっていた。
昔は気怠そうな諸葛亮が蓆に座って、徐庶らと歓談している場面が
再現されていたが、今は劉備に天下三分の計を説明していらしい
諸葛亮が中央に、右側に少し離れて関羽と張飛が中を伺っている
感じ。
三顧堂という名称からすると、現在の像の方が合っているのかも
しれないが、劉備が訪れる前の日常を再現していたと思しき、
以前塑像の方が好きだった。
言っては悪いが、この塑像は出来が安っぽい。
▲張飛と関羽 横には「三顧頻繁なり天下の計」の聯額
武侯祠の西の配殿は三義殿、この時は残念ながら工事中だった。
職人さんが作業中のところ申し訳ないが、中を覗かせて頂く。
以前見た、"金ピカだが出来のいい三兄弟の塑像"は
現在なくなっている模様。…かなり残念。
三義殿の扁額は…。
書道に疎いので分からないが、一般人目線で見ると
決して上手いとは言いがたい気がする。
過去見て来た名勝旧跡の扁額は素人目に見ても、
とても素晴らしい筆致だったが。
これは達筆なのだろうか?
リニューアルされた三兄弟像は結構な大きさのようで、
丁度化粧直しの最中だった。この像は張飛のようだった。
三義堂と本殿の間にある小部屋には「智慧賢淑」の扁額がかかっていた。
諸葛亮の奥さん、黄夫人の塑像を祀った部屋だ。
さだまさしの私家版三国志(古い話ですみません)でいう
「あの有名な、ブ…」のフレーズが印象深い黄夫人ですが、
塑像はいかがでしょうか。
……一般人ぽい?
関林の関羽夫人と比べると薄化粧といえるかも。
「あの有名な、ブ…」だからナチュラルメイクにしたのでしょうか。
武侯祠の前殿を抜けると中庭を挟んで左右の回廊に文官と武官の
塑像が並び、正面の殿に諸葛亮の塑像がある。
前殿と後殿の間にある庭 。写真の中央から左側の奥に見えるのは、
武官の塑像群。植わっている木については、武侯祠には柏の木が
つきものだから、多分柏の木。
「錦官城外、柏森森」の「柏」は日本人が想像する柏の木とは
別もの。古い記憶を辿ると、コノデガシワの類いだったような。
この部分は後で調べて、間違っていたら訂正しときます。
ちなみに"錦官城"とは成都のこと。
▲文官の塑像 ▼武官の塑像
▲後殿の諸葛亮像▼
諸葛亮像は以前と同じ。
この像は祀られているので、目の前に賽銭箱があっても違和感なし。
▲後殿の扁額「諸葛武侯」
草廬の石碑を過ぎて道なりに上がっていくと武侯祠に続く階段があった。
階段を上がると、武侯祠が出現。
武侯祠前にあった猿の石像。かわいらしいので撮影(笑)。
武侯祠に入ると、直立不動の諸葛亮像がお出迎え。
この像がいつ出来たのか不明だが、前に賽銭箱が不自然に
置かれている。
……既に神扱い?
……いや、参拝用の座布団が置かれていないので違うか
……そういえば、五丈原の武侯祠では孔明先生を拝んでいる人が
居たっけ
この諸葛亮像は人知れず、古隆中の修繕費を稼いでいるのかも
しれない。
抱膝亭の先には草廬の石碑があった。
草廬の碑は明の嘉靖19(1540)の建立。
以前は獣道のような山道だったが、今では整備され、
石を敷き詰めた道になっている。
草廬の石碑の下の亀の首はテカテカに光っている。
中国人がここに股がって写真を撮るのかもしれない。
草廬の石碑の周囲には以前から、石碑の基盤たる亀の石像が
散在していた。どんな石碑が載っていたのか…。
若き日に諸葛亮が隠棲していたという旧居は、晋代には碑銘があり、
唐代に武侯廟が創建され、興廃を繰り返した後、現存するのは
清代に建てた三顧堂、武侯祠、三義殿、草廬亭、抱膝(ほうしつ)亭、
六角井(ろっかくせい)等。
古隆中牌坊を通り、脇道に逸れると小虹橋(しょうこうきょう)に出た。
小さい虹というだけあって綺麗なアーチ型の橋。
来歴は分からないが、昔から古隆中の名勝旧跡として扱われている。
▲小虹橋▼
天気が良いので、草の緑が目に鮮やか。
小虹橋の先、緑に覆われた斜面の階段を上がって行くと
抱膝亭に出た。
抱膝処と書かれた石碑が鮮やかに塗り直されているが、
これは以前のはげはげで灰色だった頃の方が趣があった。
▲抱膝亭
古隆中の入場料は80元(1600円)。
……諸葛亮で街起こしを目論んでいるだけあって高い。
……以前来た時は入場料は無かったような…。
昔の日記を探してみないと定かではないが、
当時、洛陽の龍門石窟の入場料が人民料金で2角(0.2元)、
外人料金で3元だったので、あったとしても1角程度だろう。
1角は当時のレートで6円だ。
▲古隆中の入場券
入場券の裏を見ると、地図が無い。昔の入場券は気が利いていて、
裏面には必ずといっていいほど、観光地図がついていた。
……以前は入場券の裏を見ながら観光できたのに、使えない…
入場料はべらぼうに上がっているのに、入場券はレベルダウンしているなんて
残念だ。 古隆中に改善提案したい(笑)。
▼入場券の裏
入口脇に地図があったので、写真に収めようと思ったら
保護ガラスに朝日が反射して全く見えなかった。
地図は諦める。
古隆中は朝の8:00開園。
……そういえば、中国の観光地は早くから開いていたっけ
朝の9:30だというのに、もう結構な観光客が来ている。
以前来た時は、ほぼ貸切状態でなんだか寂しかったが
観光客が多いというのもゆっくり見られなくて嫌だ(笑)
団体観光客が行く順路らしきものから外れて、観光することにした。
▲古隆中牌坊 ▼牌坊裏
諸葛亮像をカメラに収めたので本来の目的地、古隆中へ。
一旦襄陽駅に戻ってから512路で向かうか、ここからバスで向かうか。
……ここから直で行ければラッキーだが…
近くのバス停を探して、行けそうな路線があるか見てみようと
諸葛亮広場前の歩道に出ると、目の前にバス停があった。
その名も「諸葛亮広場」!!
……さすがは、襄陽(笑)
バス路線の停留所一覧を眺めていると、隆中植物園行きがあった。
543路だ。終点から三つ前に"隆中風景区"があるので一本で行ける。
バスの表示版を眺めながら、543路のバスが来るのを待つ。
15分程経って543路がやってきた。
この路線は定額料金で空調付きバスは一律2元(40円)、
空調なしは1元(20円)。やって来たのは空調なしだった。
▲543路の車内、郊外に出てから撮影したので空いてる
543路は諸葛亮広場前の長虹北路をそのまま南下、漢江に架かる
襄樊漢江長虹大橋(じょうはんかんこうちょうこうたいきょう)を
渡って襄陽城側へ。漢江を渡る時、左手に懐かしの漢江大橋が
霞んで見えた。
ここでやっと"襄樊に戻って来た"という実感が湧いてきた。
襄樊漢江長虹大橋を渡りきった543路は檀渓路(だんけいろ)に
あたると右に曲がる。
檀渓路を道なりに進むと突然周囲が寂しくなり郊外感が増してきた。
いつの間にか、檀渓路は隆中大道(りゅうちゅうだいどう)に
なっていた。田舎感は否めないが、さすがに30年前とは違って
舗装された道になっている。
以前は小雨の田園風景の中、ぬかるんだ道を人民政府の車で
やってきた 。この車、中国産の上海というクラシック感満点の
車だったがスピードを上げてもメーターは30km止まり(笑)。
春先だったので、周囲の畑には黄色い菜の花が咲き乱れていた。
現在、当時の面影は全くなし。
▲隆中大道で見つけた「草廬」という演劇の看板
「諸葛亮広場」から50分ほどで「隆中風景区」に到着。
……50分も乗って20円、こう考えると中国のバスって凄い!!
バスを降りると目の前に閉鎖された古隆中の入場券売り場があった。
……え?
543路でここ迄来た古隆中目的と思しき観光客は私を含めて5人。
辺りを見回してみるが何も無いので、一律にバスを追って前に進む。
しばらく歩くと、観光客らしき人々が見えてきた。
近づいていくと、岩に赤く"隆中"と書かれていた。
襄陽駅の改札を出ると前方に手荷物預かり所があった。
…が、行ってみると無人だった。
しばらくその前で待っていると、客引きと思しきおば様が寄ってきた。
おば様といっているが、きっと私と大して歳の差は無いはず(笑)。
このおば様、怒ったような大声で機関銃のように話す。
話を聞いてみると、この手荷物預かり所の職員でもあるらしい。
すったもんだの末、無事荷物を預けることに成功したが
荷物を預けようとしているだけなのに、
何故怒られてるような気分になるんだろう。
……ああ、中国のおばさんは健在だ。
急に懐かしさがこみ上げて来た(笑)。
▲襄陽駅の售票処(切符売場)、朝早いためか、人はまばら
身軽になって時計を見ると、まだ7:30前。
襄陽駅を散策した後、地図で発見した諸葛亮広場へ歩いて行くことにした。
さすが襄陽、諸葛亮で町興しか?
駅舎前からまっすぐ伸びる中原路をぶらぶら散策しつつ諸葛亮広場を目指す。
襄陽駅周辺に昔の寂れた面影はなく、最近の中国の地方都市といった感じに
整備されている。
道端の雑誌を売っている店に地図があったので、
過去の習慣からすかさずゲットするも、
iPhoneの地図を活用していたので、結局使用せずじまい(笑)。
七里河路を左に曲がって道なりに行き、長虹北路に突き当たると
左手に体育館、右手に諸葛亮像が見えた。
道草しながらだが、40分程で諸葛亮広場に到着。
そこにはブロンズ色の巨大な諸葛亮像が立っていた。
このブロンズ像、かなりハンサムで出来が良い。
襄陽のなみなみならぬ諸葛亮愛を感じる(笑)。
諸葛亮広場は広場というだけあってかなり広い。
風に立つ諸葛亮…。
以下、諸葛亮ファンの為に、サービス。
サービス。
まだ、サービス。
まだまだ、サービス。
諸葛亮像の足元では、有閑老人が朝活の独楽回しを楽しんでます。
諸葛亮広場はクラウンプラザホテルの目の前なので、ここに泊まれば
部屋から諸葛亮像が眺められるかもしれない(笑)。