大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

五丈原2000

2020年06月13日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

2000年の写真もあった(笑)。
この頃は地元民が境内で普通に生活していた。

▼五丈原の碑の裏に占い師が居て、石畳の上には
 トウモロコシを広げて乾かしている

▼境内にせっせとトウモロコシを広げているおばあさん

▼五丈原山門前の階段を降りた脇にある集落には
 諸葛亮延命の祭壇址がある

▼お祭りなのか影絵芝居を鑑賞中

▼諸葛亮延命祈願の祭壇址らしい


五丈原'87 その弐

2020年06月13日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

献殿左側の扉が諸葛亮の画で塞がれていた。
こういう画好きなのかな?
当時こんな感じの画が至る所にあったけど。

この頃の孔明先生はまだ黄金のマスクではなく
人間ぽかった(笑)。

黄月英殿はまだ作り始めたばかり。


五丈原'87

2020年06月12日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

1987年の五丈原(諸葛亮廟付近)です。
前の丘の上が諸葛亮廟。周りは畑しかなかったですねぇ。
バス通り(路線バスなし)も未舗装でした。

丘に上がっていくとやっぱり畑しかない。

諸葛亮廟の一段低いところにお墓(?)らしきものがあったりして。

諸葛亮廟の脇から下界を見るとこんな感じ。
かろうじて村があります。

2017年の下界は、田舎の町だけど工場が出来てる感じ?


五丈原'97 その弐 献殿の壁画

2020年06月04日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

▼1997年当時の献殿。現在よりシックな感じ。

▼献殿の壁画、右側に座っているのは関羽、その左が曹操。
 この画には写っていないが、下に赤兎馬がいる。

▼壩陵橋の関羽

▼長坂坡の趙雲

▼東呉に諸葛亮を迎えに行った趙雲

▼馬超


五丈原'97

2020年05月29日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

1997年秋の諸葛亮廟麓の村には階段が整備されて、中腹に道観も出来ていた。
(2017年は工事中で行けなかった側)

道観前の階段下には諸葛亮の八角井戸が作られていた。
新規なのか修理したのかは不明。

道観内には諸葛亮も神として祀られている。

ついでに三兄弟も居た(笑)。

諸葛亮廟麓の農村。

諸葛亮廟正面。シックでいい感じ。

▼1988年の諸葛亮廟正面。
 勉県の武侯祠みたいに鄙びた雰囲気が最高だった。

87年は周瑜の呪いでカメラが無かったので翌年行った友達からもらった。


五丈原2017 その⑦ 諸葛廟 正殿の配殿

2020年02月04日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

正殿の左右には小さい配殿があり、
左に姜維、右に楊儀像が安置されている。

▼向かって右の配殿

配殿内はかなり暗い。

そして楊儀の顔がかなり怖い…。
塗装の剥げ具合の問題?
ここの塑像は結構こまめに塗りなおして
もらっているが、埃のコーティングっぷりも
結構なもの。
内部が暗くてもこの明るさで撮れるのは
デジカメの御陰…特にiPhoneに感謝だなぁ。

▼楊儀…凶悪すぎる…

▼向かって左の配殿

こっちは姜維。
楊儀の配殿より明るかったので比較的写真も
撮りやすかった。
でもうっかりするとピンボケる暗さ。

▼姜維


五丈原2017 その⑥ 諸葛廟 正殿

2020年02月03日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

「英名千古」の扁額が掛かる正殿。

正殿中央は諸葛亮像、左に王平、関興、
右に張苞、廖化の塑像かが配置されている。

ここは来る度に塗りなおされていて、
いつもキレイになっている感があるが、、、
(いや、十数年周期で来ているから
たまたまってことか…?)

正殿は過去最高に綺麗。
物凄い意気込みで観光地化しようと
しているから、気合入った修復っぷりか。
(ただし、献殿の壁画を除く…)

何と諸葛亮の顔が金色に…!!!
いや、神々しすぎる(笑)。

うーーーん、柱、扉、軒下もキレイ。

▼正殿向かって左の入口

▼王平と関興

▼王平

▼関興 印綬を持ってる

▼正殿向かって右の入口

▼廖化

▼張苞


五丈原2017 その④諸葛亮廟壱

2020年01月31日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

諸葛廟に入る前に、先ずは境内前の階段を下りてみる。
90年代後半に整備された階段で、以前はこの下に集落と道観があった。
道観を横目にさらに下ると、麓の村に着く。

麓から諸葛廟に至る正規ルートはこっちの階段だったと思うけど…。

長い階段を下りた先は、工事中で重機が蠢いていた。
コンクリートで出来た岩があって通路の整備中といった感じ、
ここから先は危なくて下りられなかった。

この岩の感じといい、この先の斜面を滝にするつもりか???

残念な開発だけど、滝が出来たら見てみたい。

…多分栄えないだろうから、
滝が見えるのはオープン時期の一瞬だよね。

▼写真中央より少し上に見える高架は高鉄(新幹線)

階段を戻ってみると、五丈原の碑が着色されていた。
石が黒で文字と上部が金で刺し色に赤が入ってる。

………なんか、お習字の墨みたい

中国人的にはいいんだろうか???
日本人的には残念な感じ、昔の方が良かった。
といっても、階段整備の時に建てられた石碑だけど。

▼諸葛廟境内
 この先を左に行くと入場ゲートと売店、駐車場がある

階段を上がった正面(…少しズレてるけど)に
諸葛廟の山門がある。
この山門も90年代後半の整備で出現した。

▼諸葛亮廟の山門

山門の扁額には「五丈原諸葛亮廟」
多分80年代後半にこれがあったら感動してたかも。
(↑訂正、87年当時も有りました。ここは閉まっていて
使われていなかった。そして写真がなかった。
スミマセン。)

自分でいうのもなんだけど…
今思うと、当時の自分は頭がおかしかった…。
三国志ファンって、って感じです…。
でもハマるんだよねぇ。

山門の内側。向かって左が馬岱で右が魏延だったかな。

「五丈秋風」の扁額がかかった献殿は1987年当時から
ありましたね。


五丈原2017 その③五丈原臥龍瀑計画?

2020年01月26日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

▼五丈原(諸葛廟)と岐山、蔡家坡駅

▼この丘の上に諸葛廟がある

ここのタクシー、なんだか知らないが物凄くぶっ飛ばしてくれた。

岐山站から丘の上の諸葛廟までタクシーで10分弱、
20元(約340円)。観光地価格か…。
抗議したら10元になるかもしれないが(笑)。

この年の夏に行った劉家峡(炳霊寺)は
ここの半分の距離で5元だった。
あの街のタクシーは擦れてなくて良かったなぁ。

▼五丈原観光センター 広い駐車場が出来ていた…

丘の上は整備されてて昔の面影なし。
当然入場料も取られる。
さすが観光地化されただけのことはある。
35元(約595円)…微妙に高い。

諸葛廟まではお土産物屋が並んでいるが、
シーズンオフの平日だからか全て閉まっていた。
そして所々まだ工事中…。

開発途中の仮の仕切り壁には五丈原の開発完成図があった。
なんと、高鉄の駅前から観光地化され、
しかもこの丘の斜面には「臥龍瀑」と書かれている。

………がりゅうばく?

げーっっ!!!滝を作る気か??????

入場ゲートを少し歩くと諸葛廟の境内に出た。
そうそう、ここが五丈原の諸葛廟だ…。
以前はこの辺の農民が境内にトウモロコシを
広げていたが、生活感は全く無くなった。


五丈原2017 その②幻の諸葛廟専線

2020年01月25日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

西安北站から岐山站へは約45分。
高鉄の車次によっても変わるけどだいたい50分弱と思えばいい。

………いやー、近いな五丈原

▼岐山站ホームから見た五丈原周辺

岐山というと、五丈原より周原、周王朝のイメージですねぇ。

高鉄(新幹線)が開通する以前は在来線で
蔡家坡(さいかは)站下車、
蔡家坡までは特急で2時間ちょっと、
客(各駅停車)だと4時間以上かかりました。

昔、中国の列車の切符を取るのは半日がかりの大仕事。
当時はまだ実名制では無かったので、
外人が集まる観光地の駅にはダフ屋がたむろして居ました。

外人料金(人民料金の1.75倍)なんてのがあった時代ですからね。
ダフ屋は少額の手数料さえ払えば、安い人民料金で切符を
取ってくれるので、時間とお金の節約になり重宝されてました。

西安駅のダフ屋は英語を話してたから結構インテリです。

初回の五丈原行きは、西安駅のダフ屋のおじさんに
取ってもらった切符が「客」でした。
はじめは特急指定で交渉したんですが、

各駅停車の方が席が取れていいよ

という話だったので、そのアドバイスに従い、
中国初の各駅停車に乗りました。

…山手線の如く停まる列車でダラダラと長距離移動するのは
結構キツかった。しかも4時間。

早朝に出発したのに蔡家坡に着いたら既に昼すぎ。

蔡家坡站からは乗り合いのミニバスで
市場を過ぎたあたりの「高店」下車。
畑のあぜ道を延々と進み
道なき丘の斜面を登って諸葛廟に到着でした。

今回は45分で着いたけど、五丈原を訪れる時間帯は
奇しくも初回と一緒だ。

百度地図によれば、岐山站前から諸葛廟行きの「諸葛廟専線」
というバスが出ている模様。
百度地図の指示に従いそれらしい場所で待ってみたが、
20分待ってもそれらしいバスは来ない。

諸葛廟専線のバス停と思しきところに近い食堂で
それとなく聞いてみたが、そんなの聞いたことがないそうだ。

「諸葛廟行きは知らないけど、近くまで行くならあっちのバス停」

と教えてくれた。

ダメ元で駅前に屯ってるタクシーの運ちゃんの輪の中に突撃!!

やはり「諸葛廟専線」なんてものは無いらしい。

百度地図のガセだった。

百度地図の縮尺では、諸葛廟がある丘は岐山站から5キロ位。

歩いて行けるが、明るいうちに西安に戻りたいので、
行きはタクシーで行くことにした。

「諸葛廟なら近いから歩いていけるよ、あっちだ…」

という運ちゃんに

「いやいや、その車で連れてってよ」

近いなら、5~10元か?と思いきや、
ここでは諸葛廟までは20元と決まっているということだった。

どうでもいいから、早く諸葛廟に行ってくれ!!


五丈原2017 その①一路岐山へ

2020年01月19日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

含元殿後ろの博物館を出ると10時半過ぎだった。

………やっぱり、五丈原チャレンジだ!!!

昨日から気になって仕方ない工事中の諸葛廟。
昔は一日がかりだった五丈原も、新幹線が出来てから
半日で行く気になれる近さだ。

と言ってもそれほど本数がある訳ではないので、
とりあえず12時台の切符がとれたら行くことに決めた。

一番近い西門(右銀大門遺址)を出て、
地下鉄一号線の龍首原站(りゅうしゅげんえき)から
西安北站へ。11:40着。幸い12:12分発の切符が取れた。

ラッキー!!

G2023次 12:12発 西安北➡岐山 二等
40元(約680円)


秋の武侯祠 その三 ゆっくりお茶ができる

2018年11月30日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

恵陵の大門を出て左方向に、最近お土産屋さんができました。

そして、お土産屋さんの中庭は昔懐かし茶館スペースになって
おりました。

おーーーっ!!

何十年かぶりに武侯祠でお茶をしましたよ。

昔の茶館は巨大なヤカンを持った服務員さんが徘徊してお湯を
足してくれましたが、現在はお茶を頼むと湯の入ったポットも
一緒に持ってきてくれます。

公孫樹の黄葉を愛でながら、ボーっと過ごす贅沢な時間です。

私が好きなのは龍井か寧強雀舌ですが、数日前に峨眉山に行って
きたのだから、ということで竹葉青(ちくようせい)を注文。

竹葉青はちょっとお高い35元(約600円弱)

…茶葉も揃っていてきれいな深い緑色、そして強い感じですが、
最近の竹葉青はやっぱり青臭い…。

うーん、西湖龍井が正解だったかも…。

実は前日は西湖龍井(35元)を注文してました。
鉄板の美味さでした(笑)。

▼竹葉青/黄緑っぽく写ってますが、本当の色はもっと深い緑色

ここは上位ランクの西湖龍井、碧螺春(へきらしゅん)、竹葉青の
3種が35元で、20元以下の通常ランクのお茶もあります。
落花生や瓜子等のお茶請けは袋売りで10元程度でした。


秋の武侯祠 その二 武侯祠は明るくなった

2018年11月28日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

ここ数年ですが、武侯祠各殿の内部はかなり明るくなりました。

下の写真、漢昭烈廟の左右(東西というべきか…)の配殿ですが
共に配殿の内部からiPhoneで撮りました。

カメラ側の能力も向上しているとは思いますが、以前は真っ暗で
肉眼ではガラスケースの中のみ見えるといっても過言ではなかった。
中に入ってしばらく目を凝らしていると殿内のしつらえが判る
といった感じ。
(関羽と張飛の殿は季節的に明るさが変わる可能性もあるのか…?)

▼漢昭烈廟の左の配殿(張飛殿)

▼漢昭烈廟の右の配殿(関羽殿)

武侯祠本殿は、以前閉じられていた壁上部の明り取りの窓が
オープンになってから格段に明るくなりましたね~。
明るくなってから以前の陰気臭さがなくなりました。

▼武侯祠本殿の左側天窓

▼武侯祠本殿の右の天窓(写真は梁で隠れちゃってるけど…)

▼三義廟は最近の建築物なので元々明るかった。
 しかし最近作ったものは老朽化のスピードが尋常ではない(笑)


秋の武侯祠 その一 黄葉がきれい

2018年11月27日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

三連休+有給消化で成都を拠点に峨眉山、大足に行ってきました。


▲恵陵(劉備の墓)の内門
 黄緑っぽく写ってますが、実際は下の写真のように黄色です。

秋の武侯祠は公孫樹(いちょう)がの黄葉がとてもキレイでした。


▲恵陵参道の石像

過去春・夏・冬に来たことはありましたが、秋は今回が初めてなので
知らなかった…。

新しい発見にちょっと感動!!
武侯祠は秋がお勧めかもしれません。

▼武侯祠博物館は引き続き工事中です

ついでに、過去書いていなかったので恵陵と武侯祠博物館の間にある
溝にかかる橋を紹介。

この橋の側面は三国演義の名場面がレリーフになっています。
図柄は上海人民出版の連環画ですね。 

▼恵陵と武侯祠博物館の間にある水路にかかる橋

▼阿斗さまと趙雲

▼劉備と曹操

▼呂布と貂蝉


黄鶴楼2016

2018年08月30日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

中華路埠頭からバンド沿いに長江大橋下をくぐって、長江大橋
記念碑側から上がっていくと、道の正面に黄鶴楼が見える。
去年は工事中で楼閣全体が網に覆われていたが、やっと工事も
終了した模様。
入場料80元(約1280円/2016年当時)。

▼黄鶴楼の軒先は鶴が羽を広げたような形になっている

黄鶴楼は武昌の蛇山にあり、黄鶴楼の元になった楼台は、
呉の黄武2年(223年)の建立と云われる。
当時、呉の孫権がこの要害の地に夏口城を築いた。

楼の荒廃、更に紀すること能わず

というくらいだから過去何回作り変えられたのか分からない。
清代だけで8回重建されているそうだ。
鶴が羽を広げたような絢爛華麗な楼閣は仙界の宮殿のようだった
ので、古来多くの伝説がある。…と中国名勝辞典に記載あり。

蜀の費禕(ひい)が鶴に乗って休みに来た。

唐の王勃(王子安)が鶴に乗って飛んで行った。

一番有名なのは、以下の件だ。
その昔、辛という人がここで酒屋を営んでいた。
辛さんは酒屋に毎日やってくる道士に酒をふるまっていた。
その道士がこの地を離れるにあたり、酒屋の壁にみかんの皮で
鶴の画を描いてこういった。

酒客至りて手を拍たば、鶴即ち下りて飛び舞わん

お客の手拍子に合わせて黄色い鶴が踊るのが評判になった酒屋は
大繁盛した。
そして10年の歳月が流れたある日、件の道士がふらりと現れ、
壁に描いた鶴に乗って飛び去った。
辛さんはこの地に楼閣を建て、この楼閣は黄鶴楼と呼ばれる
ようになった。

▼二階まで吹き抜け/黄鶴に乗った仙人の巨大なタイル画

黄鶴楼は唐代には隆盛を極めていたらしい。
現黄鶴楼は1985年に再建されたもので、
一代前の清末(同治7年/1868年)の楼閣を参考にしたそうだ。

黄鶴楼を最初に見たのは1986年3月で、当時はまだ瑠璃瓦が
華やかな黄色だった。

現在は落ち着いたオレンジに近い色になっている。
瓦を葺き直したのか、経年で色が変わったのかな?

▼三階(だったかな?)には、夏口に因んで三国志のタイル画

▼周瑜と劉備

▼黄鶴楼から長江を隔てた漢陽亀山方面を望む

▼黄鶴楼の脇には鉄道が走っている(丁度高鉄が通っている)

▼黄鶴楼公園内の岳飛像