大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

都江堰 その③魚嘴と安瀾橋

2017年10月30日 | 中国の旅

宝瓶口(ほうべいこう)の少し上流寄りにある「臥鉄(がてつ)碑」。
昔はここに水位を測る鉄杭があったそうだ。

▼中洲の先端「魚嘴」/岷江を内江と外江に分割している

▼古代のテトラポット

▼安瀾橋(あんらんきょう)

安瀾橋は旧称を珠浦橋(じゅほきょう)といい、かつては竹で出来た吊り橋で
今よりも上流に架かっていたそうだ。
その頃は長さ500m余りで、岷江をまたぐ龍のように見えたらしい。
この吊り橋は宋代以前に架けられ、明末の戦火で焼失し、
清の嘉慶年間(1796-1820)に再建された。

伝承によれば、私塾教師の何先徳夫妻が橋の再建を提唱して募金を
募っていたが、地方官吏がそのお金を着服。
その不正を暴いた何先徳先生は殺されてしまったが、
怒った民衆が先生の奥さんと橋を完成させたそうだ。
これは川劇の演目にもなっているらしい。
1974年の改修時に橋は現在の位置に移設されたそうだ。

▼安瀾橋/中洲から対岸の玉塁山側へ渡る

▼安瀾橋から内江の下流を眺めるとこんな感じ

▼都江堰の水/さすがにお高くて350mlで10元。
 高いだけあってボトルの出来は良かった。


都江堰 その②伏龍観

2017年10月29日 | 中国の旅

蜀は四方を山に囲まれた天然の要塞で、穀物が豊かに実る地だった為、
古来「天賦の国」と呼ばれている。

蜀を天賦の国に変えたのは、氾濫の絶えない岷江(びんこう)の洪水を防ぎ
その豊富な水を耕作地に引き入れた都江堰だった。
都江堰は万里の長城と並ぶ古代の大事業と言われる。

都江堰を視察した諸葛亮は、この堰(せき)は国力の源と、その重要さを語り、
管理の役所を設置、都江堰の大規模な改修工事を行ったそうだ。

そんな訳で都江堰には諸葛亮の像がある。

▼伏龍観から見る内江の流れ

▼伏龍観の裏から見る内江と中央の緑の岸が魚嘴(ぎょすい)のある中洲

▼内江にかかる安瀾橋(あんらんきょう)と右岸の木々に埋もれる二王廟

▼安瀾橋と木々に埋もれている二王廟その②

▼ふりかえると伏龍観/伏龍観は離堆に建っている

伏龍観の大殿には3m近い李冰(りひょう)の石像が陳列されているが、
この石像は後漢の建寧元(168)年のものらしい。
1974年の都江堰改修の際に発見されたそうだ。

▼離堆と伏龍観遠景/伝説ではこの下に龍が封じ込められているという


都江堰 その①

2017年10月28日 | 中国の旅

8時に茂県を出た我々は、2時間弱で都江堰(とこうえん)に到着。

「どのくらいかかる?」

観光を始める前に、出発時間を運ちゃんが聞いてきた。
うーん、前回来たのは四半世紀前だから判らない。
しかも昔の観光施設は二王廟くらいしかなかった。
二王廟に上る階段途中に諸葛亮の塑像を造っているところだったから
四半世紀も経てば観光施設はかなり増殖しているはずだ。 

「普通は何時間くらいかかるの?」

「うーん、見終わったら電話して」

日程表では1時間になっているが。、昨日の黄龍すっとばし事件から
我々と運ちゃんの立場が逆転したので観光時間を切られなくなった。

都江堰は成都の郊外にある紀元前(秦代)にできた灌漑施設。
氾濫する岷江(びんこう)に中州を作って本流と支流の二つに分け、
支流を川西平原に引いて農地を潤したのだ。

2000年に世界遺産に登録された。入場料90元(1440円)。

代々修復されているとはいえ、紀元前に作った施設が21世紀の現代に至っても
使われているのは凄い。

▼都江堰正門 

▼諸葛亮像は中国人にも大人気

▼水利施設なので水は豊富

▼階段を上ると「伏龍観」

中国名勝辞典によれば都江堰は、戦国時代、秦の昭王の頃
蜀郡太守の李冰(在任B.C.256〜251)が息子と民衆を率いて築いたそうだ。
逆巻く岷江も都江堰を経ると、険が夷(平)に、害が利に変わり
農民に福をもたらすようになった。

水旱(すいかん)人に従い、飢饉を知らず、沃野千里、世、陸海と号す

と「益州記」に記されるほど、川西平原は豊かになった。

川西平原とは、成都平野のことだ。

冰(りひょう)親子は治水を行う際に、岷江の暴れ龍を離堆(りたい)の下、
伏龍潭(ふくりゅうたん)に封じたという伝説があり、後の人がこの上に
廟を建てて祀ったのが伏龍観の始まりらしい。


黄龍〜茂県

2017年10月25日 | 中国の旅

運ちゃんお勧めの黄龍側の食堂で20:20頃夕食。
ラーメン系は麺の量が多いので、水餃子を注文。
真っ赤なスープに入った水餃子、確か24元(386円)ほど。 

ぎゃーーーーーーっっ!!!!蘇州の悪夢再び。
餃子の中身はほぼニラだった!!!(美味しくない…)

その昔、蘇州の露天販売の包子、人民が並んでいたのでさぞや美味しいのかと
購入してみた。しかも偶数販売だったので、2つも買ったのに…。
中身は真緑で、味付けが無いプレーンなニラだった。
30年前なので食事もままならず(食堂の開いてる時間が決まっていた)、
お腹を空かせていたというのに、非常に不味いという不条理。

そんな記憶が一瞬にして蘇って来た。

スープは辛いし(うーん、四川だね)。

中国人の大好きな香菜(パクチー)もトッピングされてる…。
香菜は雑巾みたいな匂いがするので個人的に大嫌いです。
友人はカメムシの匂いがするといっていたが、
カメムシの匂いが不明な私に云わせれば
牛乳を拭いて数日放置された雑巾の匂い、という感じ。 

ニラの水餃子で夕食を済ませた後、一路本日の宿泊地、茂県(もけん)へ。
まだ200km以上あるのに、既に21時近く、山道は暗く、霧も出ている。
峠にさしかかった頃、後部座席の友人から歓声が上がった。

進行方向左側、ほぼ車と同じ高度と思える位の位置にぽっかりと月が浮かんでいた。
しかも満月が雲間から出現した。
霞のように雲がたなびき、時折月を隠すが、こんな幻想的な光景は見た事がない。
感動的だった!!!残念なのは、月に見とれて写真を撮らなかったこと。

月が雲に隠れると漆黒の闇になる。そして時々真っ白な霧。

……やっぱり、山って天気変わり過ぎ

ほぼ他の車のない山道をヘッドライトを頼りに車は爆走する。
21:30ごろ街明かりが見えたと思ったら、松潘だった。
すごい、黄龍から松潘まで40分でやって来た。

▼城門がライトアップされた松潘

そして、松潘から茂県までは130km以上の道のり(百度先生の地図では137km)。

運ちゃん、いや、運転手さん頑張って〜!!!

と心の内で応援しながら、助手席で爆睡。

目覚めると、ほぼ茂県で23時すぎ。…結構寝てた。
茂県のホテル貴賓楼酒店にチェックインしたのは日付が変わる頃だった。

翌8/19は7時に朝食、8:00に出発。運転手さんは引き続き九寨溝からのお兄さん。

▼茂県から都江堰への道もやはりこんな山の合間の道が続くが、道路はちゃんと
 舗装されている。


黄龍 その④争艶池ほか

2017年10月24日 | 中国の旅

更に下って「争艶池」、「盆景池」、「金沙鋪地」等々、入口側の「迎賓池」まで
夕暮れながらも絶景が続いた。 

 …ロープウェイで頂上から下ると、一番素晴らしい五彩池から見ることに
なるので、後は消化試合のようであまり感動がないかも。

▼争艶池(そうえんち)

▼盆景池(ぼんけいち)

▼金沙鋪地(きんさほち)

▼迎賓池(げいひんち)

19:50過ぎ、やっと黄龍の入口付近の迎賓池に着いた。
日没は20時頃なのでほぼ日没寸前。
この後、山道で日没を迎え、真っ暗な中坂道を下った。 

▼黄龍の正門
デジカメの力で写真では少し明るく見えるが、かなり真っ暗だった。


黄龍 その③黄龍古寺と黄龍中寺

2017年10月23日 | 中国の旅

五彩池の外周の丘を大回りして、黄龍古寺へ向かう。

▼黄龍古寺

黄龍古寺は約600年前の明代に建てられた。
黄龍寺はもとは雪山寺といい、ほぼ7kmおきに前、中、後の3つの寺があったそうだ。
現在、前寺は無くなってしまい、中、後の二寺が残っているという。 

伝説では夏の禹王(うおう)が茂州(現茂県一帯)の治水に訪れた折り、東海の黄龍が
その舟を背負て来たので、後に廟を建てて黄龍を祀ったのが始まりとか。

また、この黄龍は禹王が治水に成功した後、この地に隠棲し、その体は金沙鋪地、
鱗は黄龍の池に変わったと伝えられているそうだ。 

▼黄龍古寺の山門▲

▼山門の扁額(下の黄色い方)は、正面から見ると「黄龍古寺」、右から見ると
 「飛閣流丹」、左から見ると「山空水碧」と読めるようになっている 

▼黄龍古寺内部

▼黄龍真人の像

黄龍古寺の脇道を下っていくと鍾乳洞があるが、時間が時間なので断念した。

▼黄龍中寺

 ▼伝説では黄龍が変化(へんげ)したということになっている

▼時々ある酸素バー(酸素吸入室)


黄龍 その②五彩池(ごさいち)

2017年10月22日 | 中国の旅

ロープウェイは10分ほどで3600m地点に到着するが、池からは少し離れている。
ロープウェイを降りて団体と化した観光客は、看板に従って五彩池を目指す。
道は九寨溝と同じく、板張りの遊歩道に整備されている。

▼池の向こうの橋のようになっている遊歩道をまわって一番上の五彩池に出る

四川省北部に聳える岷山(みんざん)山脈の最高峰、雪宝頂(せっぽうちょう)は標高5588m。
東ヒマラヤ山脈の造山運動によっておよそ200万年前に誕生した石灰岩の山で、山麓の斜面に
黄色い石灰質の沢がある。
その沢はさながら黄色い龍が横たわるように見えるため、黄龍と呼ばれるようになったそうだ
(by中国神秘紀行)。

石灰が黄色くなる理由は未だ判っていないらしい。
黄龍は標高3600mから3100mの斜面4kmに渡り、黄色い堤に囲われた3400の池があるそうだ。
黄龍や九寨溝の標高、長さ等見る文献や現地の表示等まちまちだが、どれも大きくは変わらないのでそんなもんか、と思っていただければ幸い。なにしろ中国ですから。 

そうそう、石灰が沈殿してできた水盤(池)群を石灰華段(せっかいかだん)というらしい。

黄龍は世界有数のカルスト地形として、1992年に「世界自然遺産」に登録された。


▲五彩池(曇り)/前方の山は晴れているが、手前の池上空は曇った状態。こんなに暗くなる。

五彩池にたどり着くと17:20過ぎだった。
想定では午前中の11時ごろには観光が始まっていたはずなので、6時間遅れでたどり着いた訳だ。

山の天気は変わりやすいと聞いていたが、その通り上空を大きな雲が足早に通り過ぎていき、
晴れと曇りを繰り返していた。曇ると一瞬で暗くなる。 

▼五彩池越しの黄龍古寺。少し晴れた。

五彩池は黄龍にまつわる五人の仙人が作り出したと云われる池。
青、白、黄色、緑、黒、五人の仙人がそれぞれ5つの色になったと伝えられる。
五彩池の池の数は693にも上ると云う。…本当か?

▼晴れるとエメラルドグリーン…というかシアン系の薄い緑がかった水色が本当に素晴らしい
 …ちょっと温泉チック

▼五彩池には3つの仏塔だか石灯籠(?)が立っていた


黄龍 その①

2017年10月18日 | 中国の旅

爆走タクシーが松潘に戻ったのは14時すぎだった。

「お腹は空いてないか?食事するか?」

車内は険悪な雰囲気だった。…というより、とにかく急いで欲しいので
私がそのように装っていた。

「まず、黄龍に行こう、食事はいい」

「お昼ご馳走するから食べなよ」

「間に合うの?」

「間に合う、黄龍は20:00までだから」

観光に4時間かかるから16時頃入れればいいのか。
運ちゃんはdicos(ハンバーガー屋)に入ると
チキンバーガーセットを三人分買ってきた。
コーラは大きなプラスチックのリユース可能な水筒のような容器に入っていた。
キャップはミッキーマウス。これは結構高そうなセットだ。
運ちゃんも車内の険悪な雰囲気に"これはまずい"と思っていたようだ。

この後も、黄龍に急ぎながら長袖の服は持ってきたか、

防寒具買うなら店に寄るけど、と色々気遣ってくれた。

……松潘以前と立場が逆転した(笑)。

若者をいじめて申し訳なかった

黄龍に行く途中、
岷山山脈の最高峰である雪宝頂(せっぽうちょう/標高5588m)が
よく見える観光スポットがあるが、我々が通った時には
辺り一面霧が出ていて何も見えなかった。

それでも車を止めて、撮影している中国人は居たが…。
背景が真っ白な自撮り写真を誰かに見せて見えなかったアピールでもするのだろうか。

……午前中だったらよく見えたろうなぁ

黄龍景区に着いたのは16時過ぎだった。

黄龍景区の前の道は坂道で、黄龍のメインゲートから少し下ったところに
ロープウェイ乗り場がある。

黄龍の入場料+ロープウェイ片道分で280元(約4480円)。

▼黄龍の入場券

▼16時でもロープウェイにのるには長蛇の列

入場券を買うのに10分ほど並び、ロープウェイに乗るのに20分程並んだ。

▼ロープウェイで一気に3600mまで上がっていく

ロープウェイから眼下に見える棚田状の池も素晴らしい。
やっぱり、諦めずに来て良かった(笑)。 

中国とは思えない美しさ(笑)。

 ▼山の間を縫うように続く道

▼雲に隠れた雪宝頂とその麓に黄色く見える部分が黄龍


黄龍への道程 その④茂県大返し

2017年10月17日 | 中国の旅

10:25から松潘の観光を始め、怖い運ちゃんの指示通り30分で駐車場に戻る。
11:00過ぎ、一路黄龍へ。

▼看板にムーニー溝風景区と矢印が出てる
ムーニー溝は九寨溝と同じく美しい池と滝があり、松潘から茂県に向かう途中にある。
この看板に注目できていれば、よかったのだが(笑) 

今日は雲は多いがとても良い青空なので黄龍の素晴らしい景色が見られるはず。
車窓から青空を眺めつつ、九寨溝からのこの3日間の天気の良さに、感謝!!!!
と、この時はルンルンだった。

松潘を出てから30分ほどは頑張って起きていたが、そのうちまた眠ってしまった。
目覚めると道の右側にダムのような湖と湖に張り出した休憩スペースに白いヤクが…。
ここは観光客がヤクに騎乗して写真撮影できるスポットらしい。

同行者の一人は牛マニアで、九寨溝でも噂のヤクに興奮していた。
かねてより姿を見たがっていたが、その希望は本日の山越えで叶えられた。
が、、、ここでは騎れるのである!!

「写真撮るか?」

運ちゃんのサービスか、ここで一休みすることになった。

写真は一人20元(約320円)。過去こういうのは乗らないので、相場が判らない。
中国の感覚からすると高いと思ったが、九寨溝入場券の価格を考えると
最近の中国は諸事物価高なのでそんなものか、とも思える。

なんだかんだ言って、牛マニアの友人は100元でも乗るだろう(笑)。

▼白い観光用ヤク。ヤクは中国語ではマオニュウという。

時計を見ると12:30。松潘から1時間30分程度きているが、黄龍感全くなし。
何となく、下ってきている感じもする。

撮影を終えて車に乗り込み、少し進むと標識に「茂県」の文字が…。

……マジか?

茂県に行こうとしてないか、しかも、だいぶ来ている。
黄龍飛ばされたかも。

この時、悪い自分が「このまま茂県でもいいんじゃない」とささやく一方
良い方が「黄龍にも連れていくと友達に約束しただろ」という。
とにかく運ちゃんに確認だ。

「黄龍に着くのは何時ですか?だいぶ来たみたいですけど」

「えっ?黄龍にはいかない」

「えっ?我々の目的地は黄龍ですよ!!黄龍を見るために日本から来たんです」

ちょっと強めに抗議がましく言ってみた。
車を止めてダッシュボードから行程表を出す運ちゃん。
行程表に「黄龍」と書かれているのを見る。
一瞬目が泳いだ運ちゃんだが、行程表をしまうとUターンした。

……えっ、戻る気???間に合うのか???

アクセル全開で来た道を戻り始める。
私の知っている中国の運転手よろしく、猛スピードで前の車を抜かしていく。

……おー、中国の運ちゃん健在(笑)

途中、松潘まで128kmという看板をみて、ほぼ茂県に着いていたのを知った。
黄龍を観光できるのか判らないが、とりあえず戻ってみればいいや。
友人二人は運転の荒さにビビっているのか車の中は静まり返っていた。


黄龍への道程 その③松潘(しょうはん)

2017年10月16日 | 中国の旅

「着いたよ」

運ちゃんの言葉に、目覚めるとそこは松潘だった。

▼松潘の城壁の外側

川主寺のトンネルを過ぎた辺りで居眠りをしてしまったらしい。 

……あれ?先に松潘だったのかな??

位置関係からして、黄龍→松潘→茂県の順で進んだ方が効率が良いように思うが。 
相変わらず旅行社から貰った行程表を見ていなかった。

実は、行程表を確認しなかったが為に、前日とんでもない事態に遭遇していた。
昨日の朝、九寨溝を観光中にゲイさんから電話がかかってきた。

「今どこに居るんですか?ロビーで運転手さんが待ってますよ」

「えっ」状況が飲み込めず、一瞬フリーズするが、タクシーは18日で依頼していたはず。

「今日は17日ですよね?タクシーは明日18日でお願いしているはずですが」

「えっ、九寨溝2日ですか?」

「そうです、黄龍は明日ですよ。メールでそのように書きましたが」

言葉を失うゲイさん。
まさか九寨溝を2日も観光するなんて微塵も思わず、
翌日にタクシーの手配をしていたらしい。
メール確認で18日と書いてあったので、無料で再手配して貰えた。

西安で貰った行程表をしっかり確認していれば、もっと早くにわかったことだったが
ゲイさんの日本人並みに行き届いた気遣いに、間違いなんてないだろうと
安心してしまっていたのだ。 

「ここは30分だから」

運ちゃんは行程表を見ながら、我々に指示した。
この運ちゃんは30代位の一昔前の中国のイケメンという感じだが、
不愛想なので少し怖く感じる(笑)。

……行程表を見てるなら間違うことはないな。

何かの理由で黄龍は次にしたのか、なんて考えつつ、時間もないので
観光を始める。

▼松潘のシンボル「延薫門」/塑像はソンツェンガンポ王と文成公主

松潘の街は標高2850m、黄龍の南西に位置する。
松潘の歴史は2300年とも云われ、約600年前の明代に建てられた城門が
街のシンボルになっている。

松潘は漢民族圏とチベットの境界にあり、重要な交易中継都市として発展した。
かつては高原古城と呼ばれたそうだ。
松潘には漢族、チベット族、羌(きょう)族、回族が住んでいるらしい。

▼城壁内のメインストリートは観光客目当ての土産物屋、食堂が多い

▼唐代の剣南西川道節度使・李徳裕(りとくゆう)の塑像

▼李徳裕と怪しい日本人

▼路地に入ると、屋台の軽食がある。

▼回族の屋台/羊肉、ヤク肉、ジャガイモの串焼き

▼城壁は山の上にまで続いている

 


黄龍への道程 その②

2017年10月15日 | 中国の旅

2016/8/18、九寨溝三日目の朝。
本日は黄龍と松潘(しょうはん)を観光して、茂県(もけん)で一泊する。

九寨溝→黄龍・松潘→成都は二日がかり。
松潘で宿泊することが多いようだが、初日に茂県まで行ってしまえば
二日目の午前中に都江堰(とこうえん)の観光ができ、午後は成都市内が
観光できる。…ということで、茂県で宿泊にしてもらった。

…今思えば、これがアダとなかったのか…?

朝8:00、ホテルのロビーで新たなる運転手さんと合流。
九寨溝から黄龍へは301号線を西に進んだ後、南下する。

山道を一時間ほど上り、だいぶ標高が高くなったところでトイレ休憩。

 

▼休憩スポットでは土地の人がキノコや漢方薬を販売していた。

▼山道を上りきると、放牧のヤクが道を遮っていた。

3000mを超えた地に結構広い平地が出現。
途中広い平地に馬が放牧され、乗馬が楽しめる場所もあった。
こんな高地に広がる草原…日本人の自分には不思議な感じがした。

▼草原は車の反対側で撮れなかったので、右側の車窓を…

▼山越えは渋滞

2時間ほどで川主寺鎮(せんしゅじちん)に到着。
この辺りから左側(東)に向かうと黄龍方面。

"川主寺隧道"とトンネル上部に書いてあったので場所が判った。