大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

麦積山 その壱

2019年01月14日 | 中国の旅

34路は天水駅発で終点は麦積山(ばくせきざん)。
運賃は5元(約85円)。観光路線の為か高い…。

9:05に駅を発車した34路は9:54、麦積山に着いた。

麦積山石窟も麦積山風景区として広大な公園に整備されていた。
麦積山景区の入場料は90元(約1530円)。石窟の入場料込み。
石窟を観光しない場合は25元(約425円)。
麦積山景区入口から石窟方面に行くカートは片道8元、往復15元。

▼麦積山景区入口 疎らな観光客はみな寒そう

▼麦積山景区の入場券

カートで坂道を上がり、1分ほどで着いたところは軽食や土産物の
屋台が並ぶ広場だった。シーズンオフの為か、まだ10時前だからか
開店している店はなさそう。

▼軽食や土産物の屋台

カートを降りても石窟に向かうにはまだまだ坂道を上がる。

観光客はあまり見当たらない。
前を上がっていくのはここのスタッフらしい。

坂道を上がっていくと、上の方に麦積山石窟が現れる。
坂道の脇の階段の上に香炉があったので見に行くと、線香売りの
おばさま方に囲まれて線香を売りつけられそうになった(笑)。

山を回りこんで、やっと石窟の麓に着いた。

麦積山石窟麓の山門には瑞応寺(ずいおうじ)という扁額が
かかっていた。

瑞応寺の脇を進んでいくと、いよいよ石窟。

天水の麦積山石窟は、敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)、大同の雲岡
石窟、洛陽の龍門石窟と共に中国四大石窟に数えられる。
莫高窟が壁画の宝庫ならば、こちらは塑像の宝庫と言われている。

麦積山は高さ150m余りの孤峰で、麦を積み上げたような形状から
麦積山と言われているらしい。
中国名勝辞典によれば、麦積山石窟は後秦代(A.D.384~417)に
開削され、西魏の文帝(在位535~551)の時代に改修、寺院を
再興したが、唐の開元22(734)年の大地震で絶壁の中央部分が
崩落し東崖、西崖に分かれた。
現存するものは北魏から清代まで194の窟、7000体余りの泥塑像と
石像、延べ1300㎡余りの壁画らしい(1981年の情報なので整備が
進んでいる現在とは異なるかも)。


漢口から天水へ

2019年01月13日 | 中国の旅

漢口駅は昔通り、発車20分前に検札開始。
シーズンオフの上、発売当日に予約したからか、大同に続いて
またも1番ベットだった。

漢口駅からの同居人は無しかと思っていたところ、
発車直前に20代半ばと思しき中国人女性が一人、スーツケースを
押して入ってきた。
室内を見まわしてスーツケースの置き場所に困っている様子。

ここに置けるよ

と下段ベッドの間のテーブルの下のごみ箱を退けた。

軟臥の荷物置き場は天井に近い棚で、コンパートメント入口の
直ぐ上、場所的には廊下の天井裏にあたる。
女性が重いスーツケースを持ち上げるのはかなり大変だ。
下段ベットの下が収納スペースになっていればいいのだが。
そんな訳で、スーツケースを携帯している時は
いつもこのテーブルの下を狙っている(笑)。

彼女は西安まで。今回、軟臥初体験で少し興奮しているそうだ。
暫くすると友達に電話をかけて、軟臥設備の解説を始めた。
かわいらしい…。

▼今回の軟臥…紫でした…ウルムチ支局の列車

暗くて景色も見られないので、後はちゃっちゃと夕飯を済ませて
寝てしまうに限る。風邪気味で喉痛いし。

外から見た食堂車がきれいだったので、そこで暖かい料理を食べたい
ものだが、今回はまい泉のカツサンドを持ってきてしまった。

洗面所とトイレを一番に使って寝る。
トイレは何故か便座シートが敷いてあった。

▼まだ誰も使用していないので奇麗な様式トイレ

18:30就寝…。
二つ目の停車駅、駐馬店でコンバートメントは一杯になったが
全員、西安で降りて行った。

▼Z292は武漢から北上して途中許昌、鄭州、西安、宝鶏を経由して天水へ

5時過ぎ、西安を出たところで起床。空いてるうちにトイレと洗面。
軟臥入口に設置された電光掲示板情報だと、外気温は3℃らしい。
11月下旬の西安はもう冬だね…。
と、列車が進むにつれ、外気温がどんどん下がっていく。

▼軟臥入口の電光掲示板には外気温等の情報が出てる

西安の次の宝鶏(ほうけい)に着くと1.4℃だった。
宝鶏には太公望が釣りをしてたという岩や大散関がある。
大散関は秦嶺山脈の端にある関所で関中から漢中に入る要衝。
五丈原は西安より宝鶏から行った方が近い。
昔から何度と通過している宝鶏だが、一度も降りたことがない。

▼宝鶏でやっと日が昇り始める

▼宝鶏ホーム まだ売店のおばさんは出勤前らしい

2017/11/23 7:28、Z292次は12分遅れで宝鶏を発車。
8:48天水着。気温は-3℃。
陝西省を越えて甘粛省に入ると一気に氷点下になった。

▼天水駅ホーム
駅員が赤いダウンコートを着ているあたりが21世紀の中国

▼天水駅は工事中で、簡易出口が設置されていた

▼工事中の天水駅

駅の出口を出るとバスが止まっていた。それも麦積山行の34番バス
だが、駅前の写真を撮りたかったので1本見送る。
次のバスは5分ほどでやって来たが、突然バス内の清掃が始まって
しまい、終わるまで暫く待つことになる。 

▼天水駅前の通り


漢口站〜Z292で天水へ〜

2019年01月12日 | 中国の旅

2時間は観光するには短く、待つには長い。
漢口駅近くにある武漢博物館なら時間を潰せるが
ネットで工事中という口コミがあった。

クラシックで素晴らしい漢口の駅舎周りを、観察しつつ散歩して
みたが30分もすると飽きてしまう。
後1時間は時間を潰さないと…。

▼新幹線モチーフの献血ルーム

ケンタもマックも満席なので、バスに乗って時間を潰すことにした。
中国はバスの運賃が安いので、駅で半端な時間が空くとバスに乗って
時間を潰すことがある。

駅には始発路線があるので必ず座れるし、街中の景色を楽しむには
うってつけ。ちょうど来た561路で晴川閣方面へ、2元(約34円)。
列車の発車時刻まで1時間半なので、30分程度乗ったら降りて、
また同じ路線で戻ってくる。

▼駅前に戻ってくるバス

漢口駅に戻るとほぼ17時。だいぶ日が傾いてきた。

夜行はZ292次(漢口始発→ウルムチ終着)で17:40発。
始発なので検札は20~30分前に開始するはず。
荷物、所持品検査の列に並んで、駅に入り、水を買ったら検札開始
時間になる感じ。
昔、始発駅の検札開始時間は発車20分前だったが2015年の武昌駅は
30分前に入れてくれた。以前と違って融通がきくようになったのか?
同じ部武漢の漢口駅も30分前だろうか。

▼Z292の切符 青切符(自動改札対応切符)

▼漢口駅構内

▼検札口

検札口は列車の発車5分前になると検札停止になる。
床の青い矢印は青い切符、赤い矢印は赤い切符所持者の通路。
青切符は青い磁気紙に印字されたもので、自動改札対応。
赤切符は赤い紙に印字された自動改札非対応切符なので
服務員の居る通路でないと入れない。
駅や代票所(街中の切符売り場)の発券設備が古いと赤い切符
(紅票)になる。
そういえば去年、大同駅で久々に紅票をもらった。

▼漢口駅はプラットホームもレトロで素敵
 ヨーロッパの駅のイメージだな…行ったことないけど

▼Z292の食堂車


武漢天河国際空港~地下鉄リベンジ〜

2019年01月08日 | 中国の旅

離陸時の到着予定時刻は日本時間で14:40(現地時間13:40)。
何と、定刻通り武漢天河国際空港に着陸できそう。
LCCは何かと遅延でネットニュースになるので、春秋航空で
検索したら欠航や大幅な遅延がヒット、覚悟をしていた。
が、今回は超スムーズ。LCCを侮っていて申し訳ない。 

▼天河国際空港 ガスってる

地方空港の為か、滑走路からサテライトへの長距離移動も無く、
何と!!!!13:50には飛行機を降りていた。
入国審査もあっという間に抜けられた。地方空港万歳!!!!
荷物は機内持ち込みのバックパックだけなのでターンテーブルで
荷物を待つことも無い。

北京と浦東は入国審査に1時間はかかるよね~。
現場の段取りも悪いよね~。
旅客が多すぎてさばききれないのは判ってるんだから
人を増やすなり、何か対策を取っていただきたいものです…。
乗り継ぎの時はホント焦るよね…。 

さて、去年、工事中だった地下鉄も空港に乗り入れ済だから
地下鉄リベンジだ!!

天上から下がっている標識を見て、交通中心(交通センター)に
向かう。標識のマークからすると、交通中心には鉄道、地下鉄、
長距離バスが纏まってる模様。 

出来立ての長〜い通路を延々と交通中心に向かい、
地下鉄の切符を買って2号線のホームに降り立っても
まだ14:12…。

飛行機を降りてから20分程度しか経っていないなんて超順調。

▼地下鉄2号線 天河空港駅ホームはラグジュアリー感あり

地下鉄2号線で向かうは、漢口駅。空港から漢口までは35分程。
15時少し前に漢口駅に着き、研修生窓口に10分並んで本日の夜行
列車の切符をゲット。切符はC-Tripで予約しておいた。

列車は17:34発なので2時間ほど空いてしまった。

▼漢口駅の切符売場


2017秋の旅〜春秋航空で武漢

2019年01月06日 | 中国の旅

2016秋の旅の後は、続きの2017年秋の旅にしようと考えていたが
丁度、2018夏の旅が終わった直後だったので、武夷山の話を先に
と始めてしまった。
が、更新も滞り気付いたら既に冬、しかも年明け… ということで、
2018夏の旅の途中ですが、先に2017秋の旅を。

…最近すぐ忘れるので早く書こう。(備忘録なので。) 

始まりは2016年9月、11月の全日空武漢便が異常に安かったので
行く当てもなく予約。…だって、往復25,900円だったから。
行きの武漢着が22:00過ぎ、帰国便が特定日だったけど、
なんでこんなに安いのかと思って調べてみたら、LCCが同じ曜日に
武漢便を飛ばしてた訳ですよ。全日空よりも良い時間帯に。

成田▶︎武漢/水曜 10:00▶︎13:55
武漢▶︎成田/日曜 15:05▶︎19:30 

自国の航空会社には良い時間帯を割り当てるんですね…。

2017/11/22水曜、初LCCにチャレンジ… 

▼第二ビルから第三ターミナルに向かう渡り廊下…とても寒い

春秋航空は成田第三ターミナル。噂に聞いた、LCC用ターミナル。
LCCに詳しい同僚に行き方を確認したところ、第二ターミナルの床に
運動場のトラックみたいなラインが引いてあって、その指示通りに
進めば20分程度でたどり着けるとのこと。
空港第二ビル下車、 床の指示に従って道を行く。
途中、建物を出て渡り廊下を進むことになるので戸惑った(笑)。 

▼第三ターミナル…本当にトラックだ(笑)

空港第二ビルでJRを降りてから第三ターミナルまで早歩きで
15分だった。
7:30に春秋航空のカウンターに着くと、既に10人程並んでいた。
チェックインは7:45からと、掲示されている。
LCCの機内持ち込みは5kgまで。かなり厳しく取り締まられるのを
私の前に並んでいたケバい中国女性が身を以て教えてくれた。
彼女は重量制限を知らなかったらしく、激しく抵抗していた。

手荷物5kgまでというのは私も仰天した。彼女の気持ちも判る。
でも仕方ないじゃん、そういうルールなんだからさ。

うーん、ここから既にに中国が始まっている(笑)  

▼チェックインで計量が済むと、名前のタグが渡される

第三ターミナルは見るところもなく、搭乗ゲートで待つことに。
早く来すぎたのか、搭乗ゲートにはまだ誰も来ていなかった。
そして、滑走路に降りる階段は金網で閉ざされていた。
まさか空港のゲートで金網を見るとは思わなかった。

9:20搭乗開始。LCCはやっぱり沖停めなのね…。

春秋航空の機内は無駄なものが無く、スッキリした感じ。
パーソナルモニタが無い分、心置きなく爆睡できます。
9:58ギリギリで大勢の中国人が駆け込んで来て、なんだかんだで
出発時刻の10:00には扉が閉まっていた。
帳尻を合わすというか、こういうところの瞬発力すごいね(笑)。 


宝石山から西湖を一望

2019年01月05日 | 中国の旅

三公園から断橋を通り過ぎて、北山街へ。
北里湖周囲は未だに古い佇まいをもった建物が点在している。
内部がリフォームされて博物館やスタバに変身している建物もある。

▼西湖の北、北里湖と宝石山

北里湖北岸に沿った道、北山街(路)は30年前は路線バスが時折、
本当に時折通るだけだった寂しい道だったが、現在は路線バスや
長距離バス、観光バス、タクシー、マイカーが往来する賑やかな
通りになった。
日没後の北山街は、渋滞した車のテールランプが西湖を彩る
イルミネーションのようで結構綺麗ですよね~。
三公園方面から西湖越しに見るとgood!です。

▼北山街/北里湖の向こうに白堤が見える

▼葛岭(かつれい)/7、27、51、117、118路の停留所

北山街のバス停、葛岭(かつれい)を過ぎると宝石山に入る道がある。
この道、駐車場の手前で分かれ道があり、分かれ道は途中から
切通しのようになっていて幾分風情があるかな。

▼分かれ道は途中からこんな感じ

▼牌坊を潜って上がっていくと保俶塔方面
 右側の崖には仏が彫ってある

保俶塔(ほうしゅくとう)は宝石山山頂に建つ7層の塔で、細身で優美な
ことから美人に例えられる。塔の始まり、由来は色々あるが、
代表的なものは呉越王・銭俶(せんしゅく)にまつわるもの。

それは安史の乱以降、分裂した中国を宋が統一しようとしていた頃の話。
宋の開宝年間(968〜976年)、銭俶(銭弘俶)が宋の太祖・趙匡胤(ちょう
きょういん)に招聘され、都・開封に赴く事になった。
銭俶の叔父・呉延爽(ごえんそう)はその無事の帰還を祈って、9層の
宝塔を建立した。これが、保俶塔の始まりだという。

明末清初の作家、張岱(ちょうたい)の「保俶塔」には以下のように
書かれているそうだ。
五代十国の末期、十国のうち最大勢力を誇った南唐が宋に滅ぼされ、
皇帝は宋の都・開封に移された。呉越王・銭俶(せんしゅく)は、次は
自分の番と、開封に連行されることをとても恐れていた。
そうこうしているうちに銭俶も開封に招聘された。
南唐は皇帝が病と称して趙匡胤の招聘に応じなかったことを理由に
滅ぼされたので、行かない訳にはいかない。
そこで銭俶は仏に願をかけた。
 
無事に開封から戻る事ができたたら、必ず宝塔を建ててお礼をします。
 
開封に出頭した銭俶は、趙匡胤に手厚くもてなされ、二ヶ月逗留した後、
無事杭州に戻る事が出来た。
銭俶は仏に感謝し、塔を建てた。
銭俶を保(まも)った為、保俶塔と呼ばれた。

▼保俶塔

また、西湖にまつわる伝説もある。

昔、西湖に一匹の妖怪が居て、風や波を興しては民衆を害していた。
これを知った銭俶は3本の矢で妖怪を退治した。
民衆はこの事を忘れないために宝石山の上に塔を建立し、保俶塔と呼んだ。 

▼保俶塔から西に進むと岩の間を通る細い道がある

▼宝石山の北側はビルが建ち並ぶ

▼南側は西湖

岩場を上がると西湖が一望できる。
この辺りの岩場が蛤蟆峰(がまほう)。

▼西湖と白堤

▼早朝に登ると舟も観光客も居ない西湖が見られる

▼白堤から望む宝石山

▼蛤蟆峰(がまほう)にズームイン…結構危ないところだよね。