諧趣園(かいしゅえん)は万寿山の東麓にあり「園中の園」と云われる。
江南マニアの乾隆帝が乾隆16(1751)年に無錫の寄暢園(きちょうえん)を
模して造ったもの。
寄暢園は恵山の麓にある為、当時は恵山園といったらしい。
嘉慶16(1811)年に改修され
「物外の静趣を以て、寸田の中和を諧(ととの)う」の意から、
諧趣園と改称された。
ここは後に西太后の観魚、垂釣の場となったそうだ。
▲諧趣園の中央には蓮池があり夏には蓮の花が咲き乱れる▼
諧趣園(かいしゅえん)は万寿山の東麓にあり「園中の園」と云われる。
江南マニアの乾隆帝が乾隆16(1751)年に無錫の寄暢園(きちょうえん)を
模して造ったもの。
寄暢園は恵山の麓にある為、当時は恵山園といったらしい。
嘉慶16(1811)年に改修され
「物外の静趣を以て、寸田の中和を諧(ととの)う」の意から、
諧趣園と改称された。
ここは後に西太后の観魚、垂釣の場となったそうだ。
▲諧趣園の中央には蓮池があり夏には蓮の花が咲き乱れる▼
仏香閣は昆明湖北岸、万寿山に建つ。
八角、三階建てで高さ41m、基壇の高さも20mある。
乾隆帝が生母の生誕60年を祝って建立した。
元は9層の延寿塔を建てようとしていたらしいが、8層まで造った
ところで、勅命により仏香閣に造り直された。
何か問題があったのか、乾隆帝の気が変わったのか…。
ここも咸豊10(1860)年に英仏連合軍に壊されたが、光緒年間に
元通りに再建された。
ちなみに咸豊帝(かんぽうてい)は西太后が仕えた皇帝。
現代的に言えば、まあ、旦那さん。
▼排雲殿と仏香閣
▼覇気がまったく感じられない諸葛亮(笑)
▲排雲殿から回廊を上って仏香閣の基壇へ
▼仏香閣からは頤和園の全景が一望できる
船着場を上がると長廊がある。
長廊は全長728m、合わせて273間。留佳、寄瀾、秋水、清遥、
春夏秋冬を象徴する4つの亭が設けられている。
内部の桁と梁には花鳥風月、神話伝説、歴史、民間故事など
精美な彩色画が施されている。
三国志、西遊記、日本人が見ても分かる絵も多くあるので、
一つ一つ見て歩くのも楽しい。
▼長廊1999/10塗り替えたばかりで色彩鮮やか▲
▼長廊2015/04観光客で賑わっている
昆明湖は冬になると凍結する。
真冬の頤和園は凍結した昆明湖の上部を吹く風が冷たくて冷たくて
帽子を被らないと頭が凍りそうになる。
それでも観光客が少ない冬の頤和園は趣があってかなり好き(笑)。
以下2002年2月の昆明湖…。
▼氷の上でスケート靴のレンタルをしているおじさん
▼氷が薄いので氷の上に降りるなと注意書きがしてあるが
みんな構わずに歩いている
東堤から十七孔橋を渡った先、南湖島の広潤霊雨祠(こうじゅんれいうし)は
元は竜王廟で宮廷の雨乞いの場。
西太后は船で頤和園にやってくると、船を降りて焼香したそうだ。
▼広潤霊雨祠の竜王さま(2002年冬撮影)
昆明湖は乾隆年間までは、西湖といっていたそうで
現在も昆明湖の西堤を隔てて西湖の名前は残っている。
乾隆帝は水軍を調練する為に、西湖を東に拡大して昆明湖を造ったが
その際、竜王廟の周囲の土地を残して南湖島としたそうだ。
南湖島は竜王廟の島ということか。
竜王廟の脇には藤棚があって、このシーズンは藤の花がとても美しかった。
今回は時間の関係でそのまま船着場に向かったので見ていないが、
時間があれば是非見ていただきたいスポット。
▲涵虚堂 この前の船着場から仏香閣方面へ船が出ている
涵虚堂(かんきょどう)は昆明湖北岸の仏香閣に相対して建っている。
乾隆年間は望蟾閣(ぼうせんかく)という三階建ての楼閣で
水軍の調練を観閲した所だった。
光緒年間に平屋に建て替えられ、西太后はここから海軍学堂の演習を
見学したそうだ。
現在はここの前から対岸の仏香閣方面に向けて遊覧船が出ている。
遊覧船は別料金で15元(300円)。
▲西堤は杭州・西湖の蘇堤を模している▼
遊覧船は西堤を脇に一路仏香閣方面へ。
西堤は杭州西湖の蘇堤を模したというだけあって、船の上から眺めると
西湖にいるような感覚を覚える。
▲南湖島対岸の仏香閣
▲仏香閣の西側にある船着場。上部の建物は画中游
写真上部の建物は頤和園で唯一乾隆帝時代からある建物群
この中に身をおくと絵画の一部になったような気がするということで
画中游(がちゅうゆう)と呼ばれる。
▲清晏舫(せいあんぼう)=石舫(せきぼう)
清晏舫は旧称を石舫といい、乾隆20(1755)年に造られた。
当時は中国式の船楼があったそうだが、英仏連合軍に焼き討ちされて
しまい、光緒19(1893)年に欧米の観光船を模した船楼を再建した。
清晏は河清海晏(かせいかいあん=黄河が澄み、海が穏やかの意。
転じて天下泰平の象徴)からきているそうだ。
仏香閣 を左手後方に眺めながら、昆明湖東岸(東堤)を南に歩くと、
銅牛が現れる。 その先には南湖島にかかる十七孔橋(じゅうしちこうきょう)。
仏香閣 、銅牛、十七孔橋は頤和園の絵葉書に必ず登場するポイント。
▲仏香閣
▲十七孔橋遠景▼
銅牛は乾隆20(1755)年に作られた銅鋳の牛で、写実的なことで有名。
水害を鎮めるために造られ、背中に80字の「金牛銘」が鋳込まれている為
以前は金牛といったそうだ。
▼銅牛
十七孔橋は東堤と南湖島に架かる17のアーチ孔を持つ橋で、
北京郊外の盧溝橋と蘇州の宝帯橋の特徴を併せ持つそうだ。
全長150m、欄干の親柱に乗る獅子の彫刻は544体でそれぞれ形が異なる。
▼橋のたもとには麒麟の像(たぶん麒麟だと思う)
昆明湖の東岸、玉瀾堂前の小島に知春亭がある。
昆明湖は冬になると凍結するが、毎春、氷が溶けるのは
この知春亭の辺りからだそうだ。
知春亭の周りには枝垂れ柳が植えてあり、春の眺めは特にすばらしいとあるが
確かに緑色の柳に朱塗りの亭は映えて趣がある。
…周囲の眺めは、他と比較して特別すばらしいとは感じなかった(笑)。
▲左が文昌閣、橋を渡った右側が知春亭
▲知春亭
▲文昌閣
▲文昌院 内部は清朝宝物の展示館になっている
玉瀾堂(ぎょくらんどう)は乾隆15(1750)年建造の穿堂殿(せんどうでん)。
穿堂殿とは庭から庭へ通り抜けられるようになっている建物のことを
云うらしい。
東西にそれぞれ配殿があり、正殿が玉瀾堂、東側を霞芬室(かふんしつ)、
西側を藕香榭(ぐうこうしゃ)という。
光緒帝はこの玉瀾堂を寝室として使用していた。
光緒24(1898)年の戊戌政変(ぼじゅつのせいへん)後、西太后は
ここに光緒帝を幽閉した。
▼室内はガラス越しの撮影なので写りが良くないですが、
一応こんな感じということで…(笑)
楽寿堂(らくじゅどう)は昆明湖の北東に位置する西太后の居室で
門前に西太后が船に乗るための船着場がある。
西側の部屋が寝室、東側が更衣室で、黒地に金字の「楽壽堂」の扁額は
光緒帝の筆によるものらしい。
▼船着場
徳和園は光緒年間に西太后の観劇の為に建てられたらしい。
(位置関係は「頤和園2015 その三」の地図参照。)
▲門で入場券の確認があり、入場券には事務用のパンチで穴をあけられる。
徳和園内の「大戯楼」は三階建ての高さ21m。一階の舞台の間口は17m。
1891年創建で当時中国最大の戯楼だったそうだ。
また、一階~三階まで吹き抜けなので、
天上、地上、地下に跨がるストーリー展開ができ
舞台の下には井戸と池があるので、水を使った演出も可能だそうだ。
舞台の下は確認できなかったけど、さすがは西太后の為の舞台だけのことはある。
西太后は死ぬ37日前まで、ここで観劇を楽しんでいたそうだ。
▼大戯楼・NHKの「蒼穹の昴」や映画「西太后」でも京劇が上演される
シーンがあった。
▲白い雪のようなものは、北京名物の柳絮(りゅうじょ)
柳の種で、たんぽぽみたいに綿毛で種を運んでいる
▲映画「西太后」では天井の穴から孫悟空が降りてきた
▲大戯楼脇の観劇席(?)
▼群英会(左から魯粛・太史慈・蒋幹・周瑜・諸葛瑾)
頤和園の東宮門(東門)を入ると仁寿殿(にんじゅでん)がある。
元は勤勉に政治を行うという意味で勤政殿と呼ばれていたが、
西太后の長寿を祝う場所として仁寿殿と改称したそうだ。
中国名勝辞典によれば、仁寿殿は東向きで間口柱間9間。
南北に配殿、前方に仁寿門、仁寿門外に九卿房を配し、
頤和園における政務処理の場であったが、
光緒29(1903)年以降は外国使節との謁見に使われたそうだ。
▲仁寿門 東宮門を入ると前方に仁寿門が見える
▲仁寿殿 この北側に徳和園がある
ものの本(中国名勝辞典)に依れば、
頤和園は中国名園の一つで歴代皇帝の庭園、行宮ということだ。
1153年(金の貞元元年)に金の海陵王・完顔亮(かんがんりょう)が行宮を設け、
明代に好山園、清の乾隆15年(1750年)に清猗園(せいいえん/猗の字はサンズイつき)と改称。
1860年に英仏連合軍に破壊され、1888年に西太后が海軍の経費を流用して
改修し、頤和園と改称したと記載されている。
頤和園は約290haの敷地に様々な形式の3000余りの建物が建ち並び、
政治、生活、遊覧の3つの地区に分かれるらしい。
…行く前に読んでおけば良かった。
▲頤和園…Google Mapより拝借
2015/4現在、頤和園(いわえん)の入場料は30元(約600円)。
園内で別料金の徳和園、文昌院、蘇州街、仏香閣の入場料込みのチケットが60元(1200円)。
4/1~10/31までの開放時間は8:30~17:00。
▼頤和園の入場券60元
徳和園、文昌院、蘇州街、仏香閣の入場券付き
▲東門(東宮門)▼ 門前の広場もかなり広くなった感じ
4月なので園内は牡丹が花盛り。洛陽も牡丹祭りのシーズン。
牡丹を見ると洛陽に行きたくなる。
……過去、牡丹のシーズンには行ったことないけど(笑)
…書き忘れちゃったので、頤和園を中断して到着日の天安門情報。
あまりにもあっけなく切符が手に入ったので、天安門を見てから
ホテルに戻ることにした。
北京西駅から地下鉄9号線、軍事博物館駅で1号線に乗り換えて天安門西駅へ。
20分弱で4元(約80円)。
地上に上がると天安門前を東西に貫く長安街に出る。
長安街を東に行くと天安門に至る。
もう少しで天安門というところで検問(荷物検査)があった。
▲天安門脇に新設された検問(中央の箱型の建物)
赤い壁、黄色の屋根で一応天安門に同化するよう化粧されている
……えーっ、歩道でも検問???
そういえば以前、天安門に車で突っ込むテロがあったっけ。
地下鉄乗り場で見かける荷物検査機に持ち物を通し、空港と同じように
身体を調べられる。
夕方で職員も疲れているのか(いや、きっと朝でも同じだ)、
形骸化しているような気がしないでもない。
▲写真右下に自動小銃を持った武装警察
▲13年ぶりの北京はマイカーが増殖していた。
以前はバスと公用車と黄色いタクシーばっかりだったような。
▲天安門前の堀にかかる橋の欄干は柵で囲われていた▼
翌日は16時の列車まで頤和園(いわえん)を観光することにした。
頤和園の広さからするとゆっくりは回れる時間ではないが、
30℃近い炎天下の観光を考えると、昆明湖のある頤和園の方が
北京市内よりは涼しそう。
朝のラッシュアワーが過ぎた頃、新橋飯店をチェックアウトして
地下鉄で北京西駅へ。
先ずは南口の手荷物預かり所にスーツケースを預ける。
スーツケースMサイズで20元(約400円)。
サイズによって金額設定があるのかは聞かなかったので不明(笑)。
20元払うと領収書とゴム紐のついた札をくれる。
荷物を受けだす時には、この札を服務員に返すシステムになっている。
服務員に渡った荷物は、X線検査機にかけられた後、棚に置かれた。
▲「行李寄存」が手荷物預かり所 ▼預かり札
一路、頤和園へ。
その昔、頤和園へは北京動物園で路線バスを乗り換えて行っていたが、
現在は地下鉄で行けそう。
地図で見ると、地下鉄4号線の西苑駅で降りると頤和園の東門、
北宮門駅で降りると頤和園の北門に行けるようだ。
北京西駅からは西苑でも北宮門でも5元(約100円)なので
近い方の西苑で降りてみた。
地上に上がって辺りを見回すと、頤和園への案内板があった。
頤和園につづく道は広く、きれいに整備されている。
その両側には食べ物屋や土産屋が点在していた。
ここも北京オリンピック合わせで整備されたのだろうか。
▲西苑から頤和園に向かう同慶街を行くと▼牌房が現れる