大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

潯陽楼

2018年07月19日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

時間が無いので煙水亭は30分で切り上げて、潯陽楼(じんようろう)へ。

時間に余裕があればぶらぶら長江沿いを散策して潯陽楼に向かうが
今回は煙水亭着15:01の上、南昌行きの高鉄(新幹線)が17:55九江発なもんで
巻きで観光しないと…。ということでまたまた路線バスで行くことに。

煙水亭から一番近い潯陽楼行のバス停は長江沿いの濱江路にある「清真寺」。

煙水亭からバス停までは460m、煙水亭を15:36に出て、いつもより早歩きで
清真寺から5路に乗ったのが15:40、潯陽楼着15:46。 バス代1元(16円)。

時間制限があるとキチンと時間の記録もするようになるんだなー(笑)。

潯陽楼は水滸伝の舞台。酔っぱらった宋江がここの壁に落書きした内容が
反骨精神丸出しだったので反逆罪で捕まった…というような展開だった気がする。

潯陽楼一階には陶器製の水滸伝人物像が展示されていた。展示方法もいい感じ。

▼中央二階が衆義庁

▼薄暗い中ライトアップされているので光量不足でUPはピンボケ気味。
 李逵と花栄

▼何故か索超だけきれいに撮れていた

▼陶器人物展示の両側の壁にはタイル画

水滸伝の記念切手の画風だよねー

潯陽楼の3階から望む長江上流方面

同じく長江下流方面と九江長江大橋。


煙水亭2016

2018年07月15日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

甘棠湖(かんとうこ)の北にある煙水亭(えんすいてい)は元の名を
浸月亭(しんげつてい)といい、白居易(白楽天)が周瑜の点将台跡に
建てたのが始まりだという。

中は周瑜所縁の陳列物が展示してある。

周瑜立像。以前は白かったが今は金色…作成途中だったのかな。

…白い像の方が良かった。

周瑜所縁といっても1800年以上前の話なので三国志関係の史跡の写真が主な展示物。

▼蘇州南門外にあったという孫策の墓の写真
 '88年に行ってみたけど、既に撤去されていた。 

▼目前に広がる甘棠湖

▼写真だと穏やかな曇天に見えるけど実際はこんなに強風

▼点将台で水軍の調練をする周瑜
 30年以上経過しているのに綺麗なまま。やっぱり焼き物って長持ちするのね〜。 


九江リベンジ ~煙水亭~

2018年07月14日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

K731の経路が判るような停車駅をマークしてみました。
大同〜九江は1752km、24時間。…確かに遠いかも。 

大同〜太原間は列車の待ち合わせ等で30分近く遅れていたが、以降遅れを取戻して
曹操の故郷、亳州(はくしゅう)には定刻通り6:58に到着。
亳州は15年ぶりだけど駅だけ見てもだいぶ変わった感じ。降りたかったなぁ。 

14:20頃、15分遅れで九江到着。いつの間にか長江を渡る橋が出来ていた。
そうだよね、橋が無いと列車は長江渡れないもんね(笑)。
前に来た時は長江に掛かっていてた橋は3本だけ。
云わずと知れた重慶、武漢、南京。

▼九江駅も甘棠湖の東から南門湖の南東に移動した 

▼九江の駅舎、90年代に流行ってたデザイン

夕方の南昌行きの切符を取ったあと、駅前のバス停から108路で煙水亭へ。
駅から煙水亭まではバスで15分、1元(16円)。
'87年に来た時には人気の無い、寂しいところだったが、
現在煙水亭の周辺は商業地区になっていてかなり賑やか。 

やってきました、約30年ぶりの煙水亭。 

煙水亭の佇まいは30年前と全く変わらず。
87年の旅の最初の目的地はこの煙水亭で、香港〜広州〜南昌と3都市を経由して
やっとたどり着いた。
そして、この年はここ九江でカメラが壊れたという悔しい旅…。

▼正にこの位置で写真を取った時にカメラが壊れたたんだよね〜。

中国に入国して5日目、煙水亭の入口で写真を撮った瞬間リコーのカメラが
お亡くなりになったので、仲間内では「周瑜の呪い」と云われていた。

この年は残り一ヶ月間カメラなし。漢中、白帝城もカメラなし

当時はデジカメもなく、フィルムカメラですよ。
今みたいに携帯やスマホがあればねー。
上海で先輩と、成都で友人と待ち合わせたので写真が全くないという訳ではないけど
悔しい九江だった。

で、30年後にリベンジ(笑) 

初九江は厳寒の2月で、あの日もこんな曇りの寒い日だった。
目下中国は全国的に悪天候で、-8℃の大同からやって来たから暖かく感じるのかと
思っていたが湿気のある寒さって大同とは別の感じで、やっぱり寒い。 


大同の関帝廟

2018年06月23日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

大同の関帝廟は鼓楼東街にある。入場料30元(480円)。

大同の関帝廟は変な風に直されてなくて、結構いい佇まい。

関帝廟山門脇の入口。
入口には関帝廟お決まりの忠義の文字が控えている。

主殿は大同で唯一残った元代建築。

主殿の東西には名将殿がある。

主殿には鐘と太鼓が置かれていた。

大同の関帝廟、塑像は垢抜けないけど、壁画が素敵。

東西の回廊には石碑が立っている。

関帝廟内はどこにも撮影禁止の札が無かったので、撮影可だと
思ったが、実は不可で廟内を巡回して見張っているおばさまに
教育的指導をされてしまった。
外側(建物)の撮影は可、山門も含め殿内は不可という話だった。 

▼唯一撮影した壁画
ここは壁画が素敵なので図録か絵はがきを出してほしいものです。

▼関帝廟前広場 山門の対面には戯台がある。


武侯祠おまけ

2017年12月05日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

武侯祠博物館にはいつの頃からか、
NHK人形劇三国志の諸葛亮人形が展示されている。
寄贈されたものらしい。

▼懐かしの"孔明先生"

▼武侯祠対面の火鍋屋の呼び込みは関羽と張飛。
 中には番台のような劉備も居ます。


武侯祠その拾 恵陵

2017年12月04日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

昭烈廟、武侯祠、三義廟と一直線に回って、最後は西側の回廊を
抜けて劉備の墓、恵陵へ。

▼恵陵に続く回廊の入口

▼朱塗りの回廊を抜けると恵陵がある

▼中国版鬼瓦(笑)

▼恵陵の入口

▼入口の左側

▼恵陵の門/漢昭烈皇帝之墓とある

▼内部から門を見るとこんな感じ

▼恵陵

▼恵陵入口から大門方面を見るとこんな感じ

▼参道脇には石像もあります。

▼恵陵(漢昭烈陵)の大門


武侯祠その捌 三義廟

2017年12月01日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

武侯祠の裏は20年くらい前に出来た三義廟。

▼近づくとこんな感じ

▼堂内には桃園三兄弟が安置されています。

▼劉備

▼張飛

▼この張飛は結構男前に見える気がする

▼関羽

▼どこかが悪そうな顔色…何故か手は白い…


武侯祠その漆 正真正銘武侯祠

2017年11月29日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

昭烈廟の奥に進むと一段低くなったところに武侯祠が現れる。
去年は昭烈廟の文臣廊が工事中だったが、今年は武侯祠の門付近が工事中。 

武侯祠の本殿正面の扁額が有名な「名垂宇宙」。
「名は宇宙に垂(た)る」の元は杜甫の詩で、
諸葛亮の名は遍く天下に知れ渡っている程の意味。
諸葛亮の廟にはだいたい掲げられている。

▼本殿中央の諸葛亮像

▼ここの孔明先生は手がプクプクなんですよ(笑)

諸葛亮の左右には、孫と息子の像があります。
孫と息子の像は康煕11(1672)年に作られたそうです。 
…写真に収めてきた説明を今初めて読んで知った(笑)

▼諸葛尚(諸葛亮の孫) 

▼諸葛瞻(しょかつせん/諸葛亮の息子)


武侯祠その伍 関羽殿

2017年11月20日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

関羽殿は人口密度が高い(…といっても五人だが)。
中央は皇帝装束の関羽、左に周倉チーム、右に関平チーム。 

▼皇帝の玉簾つき冠を冠った関羽。さすが関帝聖君。

▼関羽のお色直しはこれからの模様。
 この関羽像は指が少し女性的というか、仏像みたいというか…。
 爪が長くて気持ち悪い。 

▼関平と趙累

▼だれだっけ…廖化だったかな?(笑)と周倉


武侯祠その肆 張飛殿

2017年11月18日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

昭烈廟は中央に劉備像、左右の配殿に張飛像と関羽像がある。

▼左から奥に向かって、張飛殿、劉備殿、関羽殿

張飛殿の扁額は「誠貫金石」。…ちょっと誉め過ぎ。

▼中央が張飛、右がその息子張苞(ほう)、左が孫の張遵(じゅん)

この昭烈廟では張飛像が一番それらしくて好きだな。

▼張飛

張苞はなんか、西遊記の猪八戒が人間に変身した姿みたい。
白帝廟の張苞は超カッコいいのに。 

▼張飛の子 張苞

▼張飛の孫 張遵


武侯祠その参 文臣廊

2017年11月15日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

漢昭烈廟境内の右側は文臣廊。
昨年(2015)の5月、文臣廊は改修中で観られなかった。
改修工事も終わり、鮮やかに塗り直された塑像が並んでいる。
…個人的には30年前の、色あせて侘び寂び感が出ていた塑像の方が
好きだったけど…。

文臣の筆頭は龐統先生。
昔はもっとドス黒い顔色で少し怖かったので、彼に限っては
塗り直して良かったかも(笑)。

▼龐統

三国志は曹操が死んだら終わり的な人間なので、蜀の文臣って
あまり印象に残っている人が居ないけど、とりあえず数人載せて
おきます(笑)。 
リクエストがあったら云っていただければ差し替えます

▼費禕

▼董和

▼陳震

馬良は昔の方が白眉だった。

▼馬良


武侯祠その弐 武将廊

2017年11月13日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

二門をくぐって、参道の中央を左に曲がると武将廊の中央に出る。

▼武侯祠の入場券裏にあった地図を加工

▼左側の武将廊/中央は廖化と黄忠

塑像は最近お色直しされて、色が鮮やかになっている。

▼廖化

▼黄忠

▼姜維

▼馬超

武将廊の筆頭は趙雲だが、何故か甲冑は着ておらず文官のような姿。

▼趙雲


武侯祠その壱 漢昭烈廟と武侯祠

2017年11月12日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

中国名勝辞典によれば、成都の武侯祠は、西晋末期、十六国の成漢(304〜347年)の
李雄が、諸葛亮を記念して少城内に創建したのが始まりで、後に現在地、昭烈廟の隣に
移されたそうだ。

明代初期に武侯祠は昭烈廟に併合されたので、大門の額は「漢昭烈廟」になっている。
現存の殿宇は清の康煕11(1672)年のものらしいが、昭烈廟に吸収されてしまっても
人々は武侯祠と呼び続け、現在、昭烈廟ではなく武侯祠と呼ばれている。

▼現在の武侯祠地図。赤枠の部分が昔の武侯祠エリア

▼漢昭烈廟(武侯祠)大門前の牆壁

▼漢昭烈廟(武侯祠)大門

▼漢昭烈廟大門左手の壁面に「武侯祠」と記されている

武侯祠の入場料は60元(約960円)。
劉備の廟に併合されていても武侯祠と呼ばれ続けているなんて、当の本人は
恐縮していることだろう(笑)。 

 ▼武侯祠入場券は諸葛亮像のアップ

大門を入って、二門まで結構距離がある。 
昭烈廟の金ピカ劉備像は遠くからでも目立っている。 

▼二門

 二門をくぐると、その正面に漢昭烈廟、この道の左右に主な武将、文臣を祀った
武将廊と文臣廊がある。

▼昭烈廟の金ピカ劉備像

▼昔から同じようにライトアップされていた