大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

白馬寺2016 その弐

2017年01月21日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

1986年版の洛陽市交通図の裏面にあった、白馬寺全景。

白馬寺の位置は後漢時代から変わっていないそうだ。
洛陽城は始め白馬寺の東側にあったが、隋以降に西側の現市街地方面に移っている。 

▲天王殿▼山門を入ると四天王が鎮座している天王殿がある。

ここの四天王は愛がこもってない造形なので割愛します。
▼天王殿後ろの帝釈天/なんとなく寄り目に見える。

▼大仏殿の脇侍菩薩、とても美しい立ち姿。

▼観世音菩薩/大仏殿後ろにある。
観世音菩薩は前出の脇持菩薩にも劣らない出来の良さだが、
以前は赤い布が掛けられていてよく見られなかった。

▼大雄殿後ろの韋駄天


白馬寺2016 その壱

2017年01月20日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

白馬寺は紀元68年に創建された中国最古の仏教寺院。

後漢の明帝が夢枕に立った神のお告げで西方に仏教を求める使者を遣わした。
その使者が白馬に乗せて経典を持ち帰ったことから、寺の名前が白馬寺になったそうだ。

関林から白馬寺はタクシーで30分ほど。
路線バスだと58路一本で関林廟から白馬寺まで行けるが、多分1時間半以上かかると思う。 

▼1986年3月/白馬寺山門前。山門前はわずかばかりだが広場のようになっていた。

▼1998年9月/鄭洛公路(310国道から)白馬寺山門方面を望むとこんな感じ。

以前は鄭洛公路から白馬寺山門前に一本道が延びていた。
その道の両側は凸凹でところどころ草が生えていたり、大きめの窪みには水が溜まって
池のようになっていたが、その部分の整地が始まったようでラフな感じに成らされていた。
現在、この部分は山門前の広場になっている(下の写真参照)。

▼2016年8月/上記写真の空き地部分が整備され、山門前広場は磚が敷き詰め
 られている。しかも塀で囲まれているので道路から直接見えない。

▼白馬寺山門脇の白馬の石像…でも以前のものとは違う感じがするが…。 


旧・関林

2017年01月19日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

関林近くの龍門大道1986年版。対向一車線のセンターラインなし、適当でボロボロの
舗装、3本立ってる街路樹の向こう側は自転車用の側道。 
現在は片道3車線、自転車用(?)側道あり。
1986年当時は道の向こう側が一面畑で、夕日が沈むさまが美しかった。 

龍門大道から関林に至る道。毎月3の付く日に市が立ち、その時は賑やかになる。

▼大門1988年2月/大門の左側に入場券売場があった。
 丁度春節時期で、元宵節前だった。この前は現在だだっ広い広場になってる。 

▼儀門1986年3月

▼大殿1986年3月

▼大殿の扁額1993年3月

▼オマケで洛陽のトロリーバス。二輌連結で連結部の床はターンテーブルになっている。
 昔は床が板張りで、よく穴が開いていた。走っていると地面が見えるものが多かった。


関林2016~⑨娘娘殿

2017年01月18日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

西の配殿を紹介したので、ついでに東も。
東の配殿は「娘娘殿」。関羽の奥さんが祭られている。

関羽の奥さんになりたい人は居ても、奥さんに関心のある人は…まあ居ないかな。

▲聖母娘娘(関羽夫人)/だいぶ色あせてしまって、白髪のように見える。

▲1988年出来立てホヤホヤ(?)の関羽夫人像。まだ黒髪。

▲1993年3月の関羽夫人。そろそろ白髪になってきている。
 当時は前に柵が設けられていた。一時期どこに行ってもこんな柵がついてる時期があった。

▲1986年3月の二殿付近。昔は生活感ありありの関林だった。当然坊さんも居ない。

▲馬の石像越しの二殿付近。この馬の石像は以前は無かった気がする。


関林2016~⑧五虎将殿

2017年01月17日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

話しは戻って、財神殿となってしまった二殿の西の配殿は「五虎将殿」。
そんなに出来が良い訳ではないですが、五虎将ファンの為にサービスです(笑)。

関羽を中央に西側に趙雲、黄忠。東側に張飛、馬超と並んでいます。

▲左から黄忠/趙雲/関羽

▲左から関羽/張飛/馬超

▲関羽/昔はマント着てなかったんだけど…。

▲趙雲/マントを着せることを想定していない造りの為か、せむし男みたい…。

▲黄忠/配色からいうと、趙雲とマントを交換した方がいい。

▲張飛 …いつも思うが、扱いが可哀想。

▲馬超/中国の馬超さんはなんでピンクなんだろう。

▲関羽作成中/髯が無いと若く見える

▲張飛、馬超も作成中/色つけなくてもいい感じ。


関林2016~⑦石坊と関塚

2017年01月16日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

三殿を抜けると、石坊(せきぼう)を配した関羽の首塚が現れる。
石坊には「漢寿亭侯墓(かんじゅていこうぼ)」と記されている。 


▲石坊▼

石坊の後ろにはいつ行っても色鮮やかな、八角亭。

八角亭だけは、1986年当時からいつ行っても発色が良い(笑)。

現在は関羽の首塚(関陵)には上がれなくなっているが、以前は上に登れた。
八角亭に向かって右側にアーチ型の入口があり、入口上部には「関陵」と書かれていた。
以下が昔の関陵。
塚を覆う煉瓦は赤く、塚の上は人が上がるためか土がむき出し。 

▼関陵には植樹されていたが、草は生えていなかった。

▼関陵の上から八角亭方面を望むとこんな感じ。


関林2016~⑥三殿 その弐

2017年01月15日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

三殿の寝台関羽は、2016/8現在寝たきり。

在りし日の…というか、出来立ての頃の寝台関羽は、
寝台脇に服務員が座っていて、その脇に操作レバー(1m近い床から生えた棒)があり、
観光客が来ると服務員がレバーを操作して、寝かしたり、起こしたりしていた。

当時としてはハイスペックなアトラクション(?)だったのだろう、
服務員のお姉さんも喜々として操作していたし、関林の別の職員も見物に来ていた。
我々観光客にもサービス精神旺盛で、写真撮影に合わせて寝かしたり起こしたりしてくれた。

………中国人らしくなく、愛想がいい(笑)

▼在りし日(?)の寝台関羽/まだ服務員が楽し気に操作していた頃

寝台関羽は後にレバー操作からボタン操作になり、
1998年には人が前に立つと
変な音楽が流れ→黄色いカーテンがオープン→関羽が自動で起き上がる
→関羽が寝る→カーテンが閉まる
というように全自動に進化していった。

現在は三殿の番人のようなお坊さんが寝台の前に座って、写真撮影を禁じている。
黄色いカーテンは閉まったままだった。


関林2016~⑤三殿 その壱

2017年01月10日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

三殿は春秋殿。春秋を読む関羽と、寝台で寝ている関羽か居るはず…。
と思って入ると、以前の通り、春秋関羽と寝台関羽が居たが、黄色い衣を着た
お坊さん(?)も居た。

……関林は寺だったのか???

以下の春秋を読む関羽の写真を撮ったら、このお坊さんに憤怒の形相で叱られた。

えーっ、写真撮影禁止って書いて無いじゃん…。

と思いつつも叱られたので、反射的に謝ると、

「おまえどこの人間だ」

「日本人です」

憤怒の形相から、「ああ、日本人か」て顔で少し笑ったお坊さん。 

中国人は謝らないから、確認したのか?


▲2016年版春秋を読む関羽

▼1986年版春秋を読む関羽

1986年当時は殿内には何もなく、春秋関羽は作成中だった。
何も無かったので、洛陽市の地図に載っていた関林図は三殿という表記だったのだろう。 

▼春秋を読む関羽の塗装モデル/これを見ながら色を塗っていたように見えた(笑)。


新・旧龍門石窟

2017年01月09日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

関林の途中ですが、龍門石窟の昔の写真を発掘したので似た様な角度のものを
並べてみました。

以下は'88年12月の写真。こう見ると当時から龍門石窟の整備は行われていた。
下段に出てくる同年2月に比べると歩道が大幅に拡張されて、木が植えられ、
売店も造られていた。 


石窟から伊河を望む▲1988/12▼2016/8

 


伊河越しの奉先寺大仏▲1993/4▼2016/8

石窟は変わらないが、岸辺の歩道に街路樹が増えた。
シーズンが違うとはいえ、以前の伊河は結構浅い川のように思えるが
 今では冬でも観光船が通れるほどの深さになっている模様。
浚渫工事もしたのかだろうか? 


石窟から南側の橋方面を望む▲1988/2▼2016/8

'88年2月は観光地とは言いがたい様な歩道だった。これはこれで趣があったが。
上下を比べると、観光道がかなり拡張され、植樹されている。
あれから何度整備を繰り返したのか…。
中国全土に言える事だが、昔は本当に緑が少なかった。 


龍門橋の東側▲1986/3▼2016/8…本当に30年(笑)

馬車が邪魔で良くわからないかもしれないが、当時はただ舗装された道で
整備された歩道はなかった。


▲1993/4
以前奉先寺大仏の下には売店は無かったが、元々何かの穴があったように石で
埋められていた。  


▲2016/8


関林2016~④二殿

2017年01月06日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

この辺で、関林の配置図を。

▲関林全景('86年版 洛陽地図より)

大門、儀門、大殿を抜けると、左右に配殿をもった二殿が現れる。 


▲二殿

二殿に入ると、なじみの無い関羽像立っていた。

………えーーーーーっ!!

その昔、二殿内の関羽像は結構格好よかったのだが、新しくなった関羽像は
私の好みでは無かった。

………これって、大殿の関帝聖君像の屏風裏にあるレリーフと同じじゃないの?? 

なんか、違和感。と思ったら、現在二殿は「財神殿」になっていた。

そういえば、前回(1998年)来たときに、キンキラキンの関羽財運お守りが売っていた。
黄金のカード型お守りと、日本の神社にあるような守り袋の形状で関羽が織り込まれて
いる紺色のものと二種類あった。
三国志ファンの土産に良いので、何個か購入して帰ってきたが、
思えばこの頃から怪しかったのだ。 

………関林、変わったな。


▲二殿の新しい関羽像

一昨年(2015)行った荊州の関帝廟でもガッカリしたが、ここもガッカリ。

ちなみに、以下が80年代後半の関羽像。
個人的には、当時回って見た中では抜群の出来だと思っていた。

さすが、関林!!と思っていたのに~(T^T)

▼90年代に入ると背景がついてちょっと豪華になる(笑)


関林2016~③大殿の関羽像

2017年01月05日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

大殿の関羽は関帝聖君イメージで作られた像のよう。
冠には玉すだれがジャラジャラついて顔は金ぴか。北斗七星の笏を持っている。
このタイプは80年代後半に整備された関帝廟に見られるように思う。

この関帝聖君は左手に周倉と廖化、右手に王甫と関平を従えている。
いつの頃からか、足元にはミニ関羽像がずらっと並んでいた。


▲関帝聖君座像/これを見ると関羽は神様だねぇ。


▲周倉と廖化/周倉像は張飛と同じ扱いだよね。


▲王甫と関平


▲大殿背面の関羽像/レリーフっぱい作りです。


関林2016~②儀門と大殿

2017年01月04日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

昔は「関林」、現在は「関林廟」と改名(?)した関林の入場料は
40元(約640円)。
30年前は2角(0.2元/当時約12円)だったから、何と!200倍!!!

以前は山門脇で入場券を売っていたが、現在は広場に入る前に
「入場券売場」が新設されている。
我々のような三国志ファンは必ず訪れるのだから、
ここも龍門石窟に並ぶドル箱(死語?)なのね~。 


▲儀門(ぎもん)  …門前にはためく三角の赤いビニールの旗は
 景観を損ねている気がする


▲大殿▼ …やっぱり赤旗はいらない…


▲変わらないのは大殿脇に置かれた、偃月刀のみなのか
 …錆に磨きがかかった気がする


関林2016~①山門と戯楼

2017年01月03日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

龍門石窟から関林はタクシーで10~15分。
以前は対向二車線の、舗装された龍門大道沿いに「関林」という停留所があり、
龍門大道を行き来するバスは必ず止まっていた。
停留所「関林」 傍の舗装されていない脇道を入って暫く歩くと右手に関林の「戯楼」、
左手に赤い「山門」があった。
この舗装されていない脇道には、旧暦の3の付く日に市が立っていた。 
いつもは静かな脇道だったが、市の立つ日は賑やかだった。

現在は片側三車線になった龍門大道から延びる脇道も舗装され、71路がそのまま
関林前まで連れて行ってくれる。停留所は「関林廟」という。
71路は龍門石窟~関林廟を運行する観光路線。


▲関林山門前の広場…無駄に広い

雨が降るとドロドロだった脇道がすっかり舗装されて幅広な道に変わっていたように
関林もすっかり整備されてしまった。
関林の周りにひしめいていた民家はすっかり無くなり、山門と戯楼の間にはだだっ広い、
石が敷き詰められた広場に変わっていた。 


▲関林前の広場 其の二 中央の建物が戯楼


▲関林の山門 2016年版 すっかりキレイになっている


▲戯楼 こちらも昔はボロボロでかなり趣のある佇まいだったが、すっかりキレイ…


帝盛酒店

2016年06月18日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

武漢の宿は漢口の帝盛酒店(ドーセットウーハンホテル)。
帝盛酒店は江漢路と江漢二路の交差点に位置する。

武昌駅から地下鉄で約25分の江漢路(こうかんろ)下車、徒歩5分。
江漢路駅のA出口を出て、江漢路(歩行者天国になっている)をそのまま
地下鉄の進行方向に向かって歩いていくのだが、
前方を見上げると「帝盛酒店」 のネオンサインが見えるので迷うことはない。

今まで武漢の宿は漢陽の晴川飯店(現ホリデイインリバーサイド武漢
/武漢晴川假日酒店)と決めていたが、ここは交通の便が良くない。
今回の旅では、武漢を基点に新幹線で宜昌、荊州、岳陽と回ろうと
思っているので、残念ながら、晴川飯店は諦める。

早朝でも移動が楽なホテルでなくては…。
ということで、地下鉄2号線江漢路至近の帝盛酒店になった。

帝盛酒店のエントランスは江漢二路側。ダブルルーム、朝食つき、
一泊8000円弱(…円安だったからちょっと割高)。
6泊でデポジットは300元だった。

江漢路駅から漢口駅へは15分、武昌駅へは25分と交通至便。
バスタブは無いがシャワーの勢いもまずまずで清潔、
服務員さんの対応もよく、朝食もそこそこ美味しかった。
帝盛飯店は武漢でお勧めの宿です。