白馬寺前の鄭洛公路(310国道)を東に行くと、漢魏洛陽故城遺址がある。
漢魏洛陽故城遺址といっても、以前は畑の中に土を盛った旧城壁跡が残っている
だけだったが。
現在は鄭洛公路の南側が発掘されているという噂を聞いたのでこの旅でも行くつもり
…だった。
が、真夏の炎天下、友人に畑の中を小一時間歩こうとも言えず諦めた。
やっぱり遺跡の旅は冬に限る。
ということで、昔の写真を。
▼1986年3月/鄭洛公路(310国道)。この辺りの主要幹線道路だった。
翌1987年は中国でビリヤードが流行っていて、この道端に台を置いて昼間から
青空ビリヤードに興じる若者がいた。今思えば、彼らはなんだったのか。
▼同鄭洛公路(310国道)で撮った写真。凄く好きな一枚。
▼鄭洛公路(310国道)の南には、鉄道が走っている。街路樹が並んでいるところが線路
▼1988年2月漢魏洛陽故城遺址
左右の一段高くなっている所が洛陽城の西側の城壁。この辺が西南門だったらしい。
▼このコンクリートで出来た碑には1986年当時、漢魏洛陽故城雍門と書いてあったが、
1988年時点で既に判読できなくなっていた。
▼1998年9月の漢魏洛陽故城址/いつの間にか畑の中に石坊が立っていた。
▼漢魏洛陽故城の石坊(コンクリート製)/ここだけ農道が広くなっていた
▼漢魏洛陽故城址をずーっと北上していくと、ボウ山(ボウは亡+おおざと偏)に至る。
ボウ山(北ボウ)は洛陽城の北にあり、古来皇帝や貴族の陵墓が造営された場所。
以下の写真の土山もお墓。 近づいてみると結構大きい。
'86年〜'87年にかけて北京に留学しておりました。女性です。イイトシをしていまだにバックパックを背負って今年の元旦は荊州で迎えました。
「荊州」を検索していて'80年代とおぼしき記事を見つけ、こちらのブログにたどり着きました。
'80年代の写真、懐かしいです。私は'87年の麦秋のころ、洛水を渡し舟で渡って延々麦畑の中を歩きました。今は中国もめっきり旅しやすくなって、ますます行かねば!と逆にちょっとつまんないかも?とこもごもです。
またちょくちょく見に来させていただきますね。
当ブログにご来訪いただき、ありがとうございました。
キャディさんもあの頃の大陸をご存知なんですね!!
未だにバックパック担いでとは、さすがです。
私も、最近はすっかり便利になった中国で少し物足りなさを感じつつも、短期間で内陸までいけるので、学生時代に行った所を再訪し始めました。
荊州での元旦、いいですね~。
荊州城ですが、西門の楼閣が無くなってしまいちょっと残念じゃなかったですか?
何はともあれ、今後ともよろしくお願いします。
荊州市博物館には'97年にも行ってて、そのとき1ヵ所門楼にも登ったのですが、それが西門だったかどうかは憶えてません…。自分の記憶力のなさが悔やまれます。
荊州博物館に行かれたんですね!!
私も去年、門前まで行きましたが、ちょうど月曜で休館でした(T^T)。失敗、失敗(笑)。