カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

ありがたい

2007-06-09 22:02:55 | インポート

畑の世話など。



じゃがいもは、梅雨入りを前にそろそろ周りの人達は掘ったりしているようだ。植え付け後90日を過ぎて、(一応収穫の目安は植え付け後100日とされている)僕も一株さぐり掘りしてみた。やっぱりまだ小さいかな。



ミニトマトもだいぶ実が大きくなってきた。
枝分かれさせないで幹だけを伸ばすために、わきから出る芽を全てかく(切り取る)のだけど、そのかいたわき芽を(30分くらい水につけてから)土にさしておくと、またミニトマトに成長する。(さし芽)
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通ったご近所のおばあさんが「今穫ったから」と空豆をどっさり分けて下さった。




夕方、先日の草刈りのお手伝いのお礼と、休耕田のおばあさんがお米(なんと10Kg以上も)と新じゃがを袋一杯持ってきて下さった。
ありがたいなぁ。




Your Song / Elton John (1970)

(僕の歌は君の歌 / エルトン・ジョン)


How wonderful life is while you're in the world.
なんて人生は素晴らしいんだ、君がこの世にいるのなら。

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節約家

2007-06-07 23:59:06 | 田舎暮らし

こいけは髪にはシャンプーを、顔にはまた別のあわものをつけて洗っている。僕はシャンプーでついでに顔も洗ってしまう節約家だ。本当はそのまま体まで洗ってしまいたいのだが、いかんせん足りない。


昨日の木更津の親の会はおさぼりして(今年初)こいけと買い物へ行ってしまった。


ホタルはかなり出てきて群舞に近い状態になりつつある。
もう少しで最盛期。
あと三週間くらいが見頃なのかなぁ。気が付くとこの辺はあちこちで飛んでいる。初夏の夜の静かな静かなイルミネーション。
なんて素敵なの!?



今週末に来宅を延期してもらった弟一家は甥っこが熱性けいれんとかで、更に延期か中止になりそう。う~ん何とか見せてあげたいなぁ。




草の上のホタル
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教えてくれよ

2007-06-05 23:56:17 | つれづれなる想い

この年になって、強迫観念から一瞬でも取り乱したってことが結構ショックだった。
あとを引いたという点では、今までで一番きつかったのかも知れない。


完全に楽になったわけではないけれど、なんとか持ちこたえている。
のび太君と勉強しているとき、自分がホワイトボードに向かって説明しているときは良かったが、おやつの時間に彼の話を聞いていたら少し不安になった。(けどなんとか乗り切った。)



心療内科でSSRIのような薬を処方してもらえば或いは少し楽になれるかも知れないと思う。
けれど、薬や医者や病院に今後時間と労力を取られていくのはごめんだ。
すでに心臓の持病があるし。もうこれでたくさん。



完璧主義の性格から来る雑念恐怖なのかなぁと思っている。
冒頭の想いからして、完璧でなければいけないという気持ちの裏返しだもの。
たまに取り乱したっていいんだよね。
恐るべし、完璧思考。


その完璧思考すらも、もう自分の一部なんだなぁ。切っても切り離せない。
これもありのまま。
少しづつ楽になっていけるといいんだけど。



それにしてものび太君、オンラインのRPGゲームまで自作するとは。
僕「検索すれば出て来るの?」
のび太「何人かもうそのゲームで遊んでます。」
僕「どんな検索すれば出てくるのかなぁ? あ、僕には知られたくない?」
のび太「うん」
チッ


一日のメールは50通とか。
と言ったかと思うと、京都などの古い家並みに心惹かれるのだと言う。
同じ理由でドイツなんかに行ってみたいんだって。
中1で入ったばかりだからなのか、中間テストはなく代わりに単元テストだったらしいが、英数ともほぼ満点。
今まで会った子とはまた全然違うタイプ。可愛いなぁ。



でも、南こう○つみたいな顔をしているので、今後は"こうせつ君"と呼ぶことにする。


強迫が

2007-06-02 17:12:35 | 僕は強迫性障害だった?ヘンなこだわり

夕べ久しぶりにきつめの強迫観念に襲われてしまった。ここ10年では一番ひどいかも。
それ自体がひとつのトラウマだ。

 


夜テレビを見ていたところ、ある場面から大きなスピーカーが自分の右斜め前にあり、大きな音が流れているさまをイメージしてしまった。
普通はそれをある程度の格闘で追い払う(忘れる)ことができるのだが、昨晩はなんか違ったんだなぁ。


うまく気を散らすことができずに頭の片隅にぼや~っというイメージ(音が鳴っているような、振動しているような)が入り込んでしまったような気がして、更に恐怖感が募った。
そこで更に(よせば良かったのだが)気晴らしになるかとお風呂に入ってしまい、そこで更に悪化。(風呂場は狭くて音が反響するので、逆効果になる場合多し)


もうこの強迫から逃げることは一生無理なのだというような恐怖に襲われた。
もううめくは泣き叫ぶ(一応小さな声で)は吐き気はするはトイレは行くは。「もう限界かも知れない、もう死ぬ」


このまま夜中もこれに苦しむのだったらいっそのこと、ってちょっと思ったわ。
「神様助けて下さい」と手を合わせて祈らずにはいられなかった。
安定剤を飲んで、こいけにも頭をなでてもらって、、だんだん落ち着いてきてぐっすり眠れた。

 


音のイメージ自体もも恐怖なのだが、それがずっと頭から今後生きている限り離れないのではないか、というのはほんとに恐怖だ。


なぜ、このような強迫観念がいつまでも起こるのかなぁ。


学生時代どんなにいい成績をとっても、当たり前のようになっていて、ほめられることもなく、そのことで「もっともっと頑張らなくてはだめなんだ」という強迫的完璧主義の性格になったのではないか、ということは以前から思っていた。

 


ただ、それだけでもなく、その後の挫折やひきこもりになって、長い間の自責の念、罪悪感、無力感などにさいなまれ、自己評価が下がり、面の皮が(一見厚そうに見えるのだが)薄~い膜のようになってしまったこともあるのかも知れない。


加えて季節の変わり目であること、仕事のことなどもそりゃ悩みは尽きない。
こうあるべきという自分の姿と今の自分の姿との距離感もやっぱりあるし。


強迫的でリラックスできず、神経質、執着的(粘着質)、こだわり、そんな性格がこういうときに自分を苦しめる。
結局はそのイメージを払えるどころか、自分で探し求めてしまっているのだ。座禅でいうと一切の妄想、想いをただ頭の中に流れるままにしておくということらしいけど、僕の場合は格闘してしまっている。


こんな静かなところに過ごしているのに、頭の中に大きなスピーカーを抱え込んでいるようなのは耐え難いこと。忘れる、ということがいかにありがたいことか。
何でもない日常の光景が、不安と恐怖に満ちた人生の現実へと一変する。


K君も(音ではないようだけど)似たようないやなイメージが頭に浮かんでなかなか追い払えないなんて言っていたっけ。そういえばどうしてるだろう、全然連絡来ないけれど。会いたいなぁ。


今日は午前中、(いつも僕が草を刈っている)田んぼのご夫婦が珍しく草刈りにいらしたので、ご挨拶して、僕も途中から草刈り機を出して手伝ってあげた。
斜面ではなく、いつもはトラクタで耕運してしまう休耕田の部分。


で、いい汗かいて少し横になったらまた少し強迫が出てきた。


これからこいけの娘がご飯を食べに来るというし、大丈夫かなぁ。
夜はホタルを見に連れて行って、癒されたい。


きっと大丈夫。また楽になれるさ。これを書いている間は不思議と忘れてたよ。


ちょっと重たかったかな。1曲お送りしますね。


Just Too Many People
/ MELISSA MANCHESTER(1975)

(想い出にさようなら / メリサ・マンチェスター) 

ニューヨーク生まれのシンガーソングライター。
調べたらまだ元気で活動しているらしくてうれしかった。

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